ボロ長屋の住人たち
ヨルとアヤの住むボロ長屋は全部で5部屋の構造になっている。
その内向かって左端をヨル、その隣をアヤが使って住んでいるのであるが、では残りはというと、間の壁に扉を通してジンゴが3部屋分を占領している。
今は真ん中にいるはずだというヨルの言葉を受けて、アヤは深呼吸を一つ、勢い込んで扉に手をかけた。
「あ、アヤさん今はまず―」
「曖昧屋! お客だよごっはあ!!」
「アヤさん!?」
その瞬間襲いかかった鼠色の煙を顔面に浴び、盛大にむせ返る。
「おい! 扉を閉めろ!」
煙の中から潜もった男の声が聞こえ、慌ててアヤは扉を閉じた。
「ごほっ、げっほ。あああ喉が。ああもう曖昧屋ぁ!!!!」
「アヤさん落ち着いて。ほら水、水」
ヨルが慌てて水瓶から柄杓を寄越してアヤに渡す。
「だ、大丈夫ですか?」
ヒカリがその背を摩った。
「この鳥娘が。実験中のアトリエに勝手に入る奴があるか」
がらりと戸を開け、左隣の部屋からジンゴが出てきた。
染みだらけの作業着にゴム手袋、口元を黒ずんだ分厚い布で塞ぎ、首からは目をすっぽり覆う形状のゴーグルを下げている。
「あ、あんたねえ。人んチの隣で何勝手に煙炊いてんのよ。馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿は貴様だ新聞屋。貴重な生物素材に害虫がつかぬよう部屋に燻し粉を使うのは常道だろうが。それにこの煙は火事の起こる類のものではないし異臭もしない。目張りはしてあるのだから仮令隣人と謂えど文句を言われる筋合いなどない」
「だから来たくなかったのよ!」
「勝手に押しかけてきて何だその言い草は」
「ヨル君! お水頂戴!」
「はいはい……」
「あ、あわわわ」
何故か一瞬で喧嘩になったアヤとジンゴの間で、ヒカリが狼狽え、ヨルは深く溜息を吐いた。
一度落ち着いて話せるようにと、ジンゴの部屋の右側、長屋の端っこの部屋を開け、土間に敷かれた茣蓙の上にジンゴとヒカリが座り、その後ろにヨルとアヤが並んで立った。アヤの手にはいつの間にか酒瓶が握られている。
部屋の中は綺麗に整頓されており、一面の壁には色あせた書物が並び、また部屋の隅にはいくつかの壺が、別の壁には小瓶や紙袋などが並んだ棚が設えられている。
「あ、あのう、ひょっとしてあなたは、この間そこの吸血鬼に川辺で襲われていた方では……」
初めてこの街に来た日のことを思い出し、ヒカリが恐る恐る切り出した。
「俺を襲ったのはお前だ。聖騎士」
「ええ!?」
「まあ、それはいい。目的のものは手に入ったからな。それで、聖騎士が俺に何の用だ」
「え、あの、私が襲ったって、ええ?」
「ああ、ヒカリちゃん。いいからいいいから。気にしなくていいから」
「はあ」
一通りの事情をヒカリとアヤから受けると、ジンゴは顎に手をやって俯いた。
「魔力のコントロールが上手くいかずに爆発するだと? 馬鹿な。魔力とは個人個人にそれぞれ備わる生来の力だ。確かに扱い方に得手不得手はあろうが、本人に扱えきれん程の力などあるものか」
「頭が固いわねえ、実際そうなんだからしょうがないでしょ」
「ふむ。理屈がわからんな。ちょっと爆発してみろ」
「はいぃ!?」
「無茶言ってんじゃないわよ!」
「おい、新聞屋。お前もう帰っていいぞ。うるさくて叶わん」
「あんたを殴り殺せたら帰ってやるわよ」
そこで、このままでは話が進まないと見たか、ヨルが口を開いた。
「ジンゴ。魔力のコントロールは本人の得手不得手の問題として、魔力量が多すぎるのが暴発の原因としたら、それを外部から制限することは出来ないか」
「ふむ。魔力の制限か。それならば方法はある。ただ、この場合はあまり意味があるとは思えんな」
「というと?」
「元来魔力の出力を不得手とする魔法使いが、敢えて魔力回路に負荷を掛けることで自力の出力を鍛えるための方法だからだ。それを使えば確かにその一時は出力に制限をかけることでコントロールもしやすくなるやもしれん。ただ、それを外した時に自力の出力が増してしまってはただの逆効果だろう。筋力の鍛練と同じだ。慣れれば枷も用をなさなくなるしな」
「ああ、そういう……。なら、魔法の行使に魔道具を介させるってのはどうだ。本人の出力はそのままで、それを魔法に組み上げる回路を外部に出して、そこに負荷をかけるようにすれば……いや、ダメか」
「そうだな。五色の魔法使いならその理屈で通るだろうが、陽魔法の使い手では外部に魔法的な制限をかけたところで無効化されて終わりだ。かといって機構的な制限をかければそれこそ魔道具が爆発するだけだろう」
「あうう、アヤさん。話についていけません……」
ヒカリは早くもアヤに縋りつきたい気分になっていた。
アヤは苛々とした表情で酒瓶を呷る。
「ややっこしいわね。やれることがあるなら取り敢えずやってみればいいじゃない。その魔力を制限する方法とやらを教えなさいよ」
「お前のその『取り敢えずやってみよう』という発想が俺は前から気に入らないんだ。いいか、実践とは正しい理論の積み重ねの上にあって初めて意義があるのであって―」
「私はあんたのその頭ん中の理屈だけで物事を考えるところが百年前から気に入らないのよ!」
「何で二人が喧嘩してるんですかぁ!」
「ヨル君! この唐変木に言ってやって!」
「ヨル! この鳥娘をつまみ出せ!」
「あああもう……」
ヒカリが狼狽えヨルが溜息を吐く。場所を移しても結果は変わらなかった。
取り敢えず、と言うとジンゴが怒るので慎重に言葉を選んで、ヨルは最初の魔力の出力を制限する方法を試してみることにした。ダメだろうとは思うが、それで何かしら新しい発見があるかもしれないと期待したのである。
ちょっと待ってろ、と言って棚を漁り始めたジンゴの姿を見て、ヒカリは俯いた。
「私、やっぱりダメなんですよね」
「ヒカリちゃん?」
「だって、今は暴発しなくなった聖光魔法だって。初めは全然だめだったんです。でも、養成校のみんなが一生懸命練習に付き合ってくれて、それでやっと、何とか試験に持ち込めるぐらいにはなったんです」
いや、今でも扱いきれてはいないけどな、と、喉元まで出掛かったヨルだったが、何とかそれを呑み込んだ。
「変ですよね。自分の魔力で魔法を使うと爆発しちゃうなんて。私だって聞いたことないです。私、よっぽどダメな子なんだな、って。でも、みんな、励ましてくれて。頑張ろうって。でも私、いつもいつも皆に迷惑かけてばっかりで。だから、私、一人前になって早く成果をあげないとって思って。そこの吸血鬼を何とかして退治しないといけないのに。結局バカにされるばっかりで……」
アヤが横目でヨルを見遣る。
ヨルは一瞬何かを言いかけ、首を降ってそれを留めた。
「ああ、あったぞ」
そのタイミングで、ジンゴが探し物を見つけたのだった。
「弓矢型の聖光魔法だったな。左腕を出せ」
「は、はい」
「待て。何でこちらの指先にマメが出来てるんだ。お前左手で矢を引いてるのか」
「え? ダメなんですか? だって私、左利きで―」
「利き手を問わず弓を引くのは右手だろうが」
「ええ? でもでも、先生がやりやすい方でやればいいって! 実際友達も左利きの子は左で弓引いてましたし」
「全くこれだから聖騎士という奴は!」
「ご、ごめんなさいぃぃ」
「ヨル君。引手がどっちかなんてどうでもいいでしょ、早くしなさいよ、ってその薄らトンカチに言ってやって」
「ヨル。俺は正しい弓術についての話をしているんだ、外野は黙ってろと、その脳筋女に言ってやれ」
「はああ。ジンゴ。他の人も逆でやってるなら、それが暴発の原因ってことじゃあないんだよな。今日のところは収めてくれよ」
「ふん。まあいい。ならば右腕を上げろ」
「は、はい……」
ジンゴの手に握られているのは、艶のない白色の、腕輪のような形をした何かだった。
「ここを押されて痛みはあるか」
「ちょっと痛いです」
「ここはどうだ」
「すごく痛いです!」
「ふむ」
ヒカリの二の腕を圧して位置を確かめると、ジンゴはその白い輪を嵌めた。顔の全部で不安を表すヒカリの様子を気にすることなく、布を噛ませて圧を調整していく。
「どうだ。魔力の流れに違和感はあるか」
「え、ええと、その。言われてみればなんかちょっと苦しいような……」
「実験中に嘘をつく被験者があるか。正直に報告しろ」
「あう。すみません、よく分かりません」
「ふむ。場所は合っているはずだ。ちょっと弓を作ってみろ」
「は、はい。ええっと……」
「ヒカリちゃん。落ち着いてでいいからね」
「はい。すー。はーっ。よしっ。いきます!」
ヒカリは深呼吸をすると、目を閉じ、両手を胸の前で合わせた。
ぱん、と乾いた音が響き、両手の隙間から陽光が漏れ出した。
「『急ぎ定めの如くせよ。掛かるは虹。破魔の御手』」
言葉を紡ぐと同時に合わせた手を開くと、そこに陽光の輝きを放つ狩猟弓が顕れた。
「いつ見ても綺麗よねえ」
「俺には恐怖の象徴ですけどね」
外野二人の声にもめげず、ヒカリが緊張で汗を滲ませながら弓を構えた。
「どうだ。いつもと比べて」
「なんかちょっと、スムーズに出来た感じはあります」
「ふむ。ならば、…………いや待て。一回しまえ」
「ふえ? は、はい」
ヒカリが慎重に構えを解き、魔力で組み上げた狩猟弓を光の粒に返すと、ジンゴはヒカリの腕から輪っかを外した。
「ふむ。どうやらプラシーボ程度の効果はあるようだな」
「プラ、何だって?」
アヤの疑問の声を無視して、ジンゴは手中の輪っかを広げて見せる。
滑らかな白い表面に深い亀裂が入っていた。
「割れてる?」
「ちょっと曖昧屋。不良品じゃないの、これ」
「え、えと、私が割っちゃったんですか? ごごご、ごめんなさい、ジンゴさん!」
「阿呆。チュウエン平野の梯梧象の牙から作った腕輪だぞ。そう簡単に壊れるものか」
「え、えと、えと、凄く、高価なものなんですか? あの、私、弁償します!」
「不要だ。元より、お前に弁償出来る類いのものではない。しかし……、ふむ。この結果は興味深いな。どれ」
ジンゴは暫し考え込むと、恐縮すること頻りのヒカリの頭に手を伸ばし、髪を一本抜いた。
「あいたっ」
「ちょっと、いきなり何をー」
そしてくるくると自分の指に巻き付け外すと。
「ちょ、待てジンゴ。お前まさかー」
「え?」
慌てて駆け寄るヨルに顔を向けることもなく。
ぱくりと食べた。
「なあ!?」
「ちょ、あんた、いきなり何トチ狂ってー」
「う」
「う?」
げろろろろろろろろろ
そして、盛大に嘔吐した。
「「きゃああああああああああ!!!!」」
女子二名の悲鳴が、長く響き渡った。
……。
…………。
「うぅ。何なんですか、何なんですかぁぁ。ひぐっ」
「ごめん。ごめんよ、ヒカリちゃん。やっぱりここに来たのが間違いだったのよ」
一目散に部屋を飛び出した二人は長屋の外でひっしと抱き締め合い、計り知れない精神的ダメージに泣きじゃくるヒカリをアヤが繰り返し慰めていた。
そして数分後、扉を開けてヨルが出てきた。
その眉間にうんざりとした皺を寄せて。
「おい、聖騎士」
「ひっく、何ですかぁ」
「ジンゴから伝言。一週間後、もう一度来い、だそうだ」
「ヤですうぅぅ。ぐすっ」
「それなら別にいいけどな。対策が見つかったみたいだぞ」
「えええ!?」
俺は伝えたからな、と言って、ヨルは何処かにへと去って行った。
後に残され呆然とするヒカリとアヤを、雨で冷えた空気が寒々と包んでいった。
……。
…………。




