R-157 Over the Rainbow
衝突時に拡散した地球の破片が幾つか月面に落ちたようだ。
貴重な故郷の断片だから、カプセルに封入して新たな惑星に持って行くことになったようだ。最大でも俺の頭位の岩塊だけど、何となく愛着が出てくるな。
コロニーの責任者達を集めた会議は、だいぶ紛糾したけど姉貴の意見が通ったようだ。
「月は私達の故郷ではありません。新たな故郷を探したら皆で移民をすることになります。月に残ることは可能ですがコロニーの維持が出来なければ1世代もせずに全員死亡します」
かなり過激な意見だけど、2者選択で片方に未来が無ければ姉貴の意見に従う外に無かったんだろう。
限定した強権については反対意見が無かったようだ。コロニー内の社会を維持するための取り決めは、コロニーの代表者達で別途決めるらしい。
姉貴はコロニーの維持と月の航行システムの維持管理の総責任を負うことになる。このための保全部隊である元戦闘工兵と、月周辺を探査するための2個中隊の部隊を委ねられたようだ。姉貴の要求よりも少し多いようだから、試験的な農業や漁業に協力して貰えば良い。
「実質はコントロールセンターの要員が全て私の責任範囲になるわ。アキトはコロニー内の保全と生産区の試験運用を担当してね。コロニー外周部と月面施設の保全はユングに担当してもらうわ」
「アルトさん達は?」
「このまま、歪の調査を行ってもらいましょう。アテーナイ様も一緒だから心強いし、調査専用のオートマタも役立ちそうよ」
アルトさんを訪ねてきたオートマタは、まるでネコ族そのものだ。ぴょこんと飛び出た耳と長い尻尾にいろいろとセンサーが内蔵されているらしい。
名前が欲しいということで、付けた名前が『ミディー』になる。拾ってきた子猫が『リトル』と名付けたからかな? となると次はビッグになりそうだ。
「ユングが嫌がりそうだけど……」
「コントロールセンターにラミィがいれば十分でしょう。トラブルでもなければそれで十分よ。ユング達にはオートマタ2個中隊を預けて月面を見守って貰うわ」
俺達なら宇宙服がいるけどユング達ならそれも必要ない。ある意味適材適所だからユングも文句は言わないだろうし、月には都市伝説がいろいろあるなんて言ってたからそれを調査するのかもしれない。
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災厄の日から2カ月が過ぎた。
月面に作られた2つの天文台がかつての地球を捉えても、今では星空の中の恒星とさほど変わらなくなっている。それだけ距離が離れたのだろう。
月の速度は時速5万kmを超えたようだ。太陽系脱出速度である時速6万kmには半年以上掛かるようだが、ユングの話では太陽系のハローを抜けるまでは時速8万km程度を維持するようだ。
「ハロー付近には惑星になりそこなった隕石モドキがたくさんあるんだ。彗星の巣とも言われてるんだぞ」
「衝突を避けるってこと?」
「一応、原爆も作ってあるし、バジュラの荷粒子砲だってある。ダイモスも荷粒子砲を外に向けて着地してるから、イザとなれば使えるぞ」
まだまだ安全な旅には程遠いらしい。
それでも、旅立った以上は万難を排除して進まなくちゃならないのは確かだからな。
「中々優秀な観測員に育ってたな。進行方向に対して180度の範囲で天体の動きを監視している。分析はバビロンとユグドラシルが行ってくれてるから安心できる」
「あまり月面を離れないでくれよ」
「加速中だからな。だけど、航宙機の加速はかなりなものだぞ。あれから少し改造してるけど、抜本的な改造をカラメル族の技術者が行ってくれてる」
抜本的というところが気になるが、カラメル族はユングと違って常識的なところもある。もっとも、俺達の常識とは少し違ってはいるんだが……。
のんびりと庭の片隅にあるテーブルで、ユングとコーヒーを楽しんでいる。
コーヒー豆はたっぷりと手に入れてきたんだが、ユングも大人買いしていたようだ。魔法の袋に入れとけば劣化しないのが嬉しいところだ。
魔法の袋を持ったハンター達も、たっぷりと嗜好品を持ち込んではいるんだろう。住民の退避を行う際に手荷物の大きさを制限はしたものの、予想の2倍ほどの大きさまでは許容したと言っていたから住民の多くがお菓子や、酒、それにタバコを持ち込んでいる。他者の迷惑にならなければ許容できるところだ。
「酒場を作るらしいぞ。生産で余った分を使うと言ってたな」
「それぐらいは許可すべきだろう。タバコの生産は試験区域で行うんだろう?」
「この池の対岸でもやってみるつもりだ。生産量はコントロールしなければならないだろうけど、配給制には持って行けるんじゃないかな」
嗜好品の生産順位は低いけど、それによって不満が減るなら試験栽培の名目で初めても良いだろう。酒だってブドウの栽培が必要だ。
現在は水耕栽培も併用して生鮮野菜を育てているが、土で育てて行きたいものだ。
夕方近くになって、アルトさん達が帰って来た。
かなり調査が進んだと言っているけど、まだ歪の位置は分からないらしい。
「コロニーの内部にあるとは思えんが、一応念のためじゃ」
「月面もしくは溶岩洞窟の中というところでしょう。現時点で月面は出ることが出来ませんから、コロニーの周辺部を詳しく調べています」
アルトさんよりミーアちゃんの話が具体的だ。
俺もそんな気がするな。そんな歪があったなら建設時に確認できたはずだからね。それでもコロニー周辺部を調べてるってことは、歪が複数あるってことなんだろう。大きくなければ良いんだけどね。
「南方の王国と連合王国の法律が少し異なるみたいなの。アメリカの開拓都市は連合王国を基にしてるからそれ程大きくは違わないけど、リザル族やネコ族との調整も必要なのよね」
「あまり厳しくしない方が良いんじゃないか? もっとも、厳しくすべきところはきちんと説明して同意を得る必要があるかもね」
「メリハリってことでしょう? それは分かるんだけど……」
政治も難しくなりそうだ。予算という概念が変わってしまう。今まではお金ということになるんだろうけど、これからは人的資源の分配になる。衣食住を維持するための生産区、工場区、それらを分配するための民生区にどれだけ人員を配置するかということになるんだろうな。
配置すれば、生産が直ぐに上がるわけではないから、難しい舵取りをしなければならないだろう。
再び貨幣社会が出来るのは何時になるんだろう? 新たな惑星の入植がはじまってからになるのかな。
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災厄の日から半年を過ぎて、木星軌道付近にまで到達できたようだ。
月の速度は時速7万kmにまで上がっている。すでに太陽の引力を振り切れる速度らしいのだが、この後に控えているハローを突破するまでは慎重に進んでいくらしい。
コロニー内では、最初の収穫を迎えたらしく、あちこちのコロニーで収穫祭を盛大に祝っているようだ。
レジャー施設の運用は、太陽系を完全に離脱してからだとユングが言っていたけど、子供達を対象利用させているようだ。名目は運用試験と言っていたけど、利用者が喜んでこそ施設の目的に沿うからね。運用試験に子供達を招待するのは俺も賛成だ。
さらに半年が過ぎて、太陽系の辺境を取り巻くハローを超えたところで、重力推進装置が本格的に稼働することになる。
時速10万kmに速度を上げて、1年後には50万kmに加速するらしい。
「どこまで上げるんだ?」
「光速の10%ぐらいには持って行きたいところだ。そこまで上げるには数十年掛かるかもしれないな。一応上がるということなんだけどね……」
ユングも自信が無いらしい。重力場推進はカラメル族の科学力だから、俺としては信頼できるんだけどな。
「姉貴が20光年を目指すようなことを言ってたな」
「光速度の1割の速度が出せるなら200年だ。そこが住めるかどうかは分からないから、何度か恒星系を訪ねることになるんだろう」
今の子供達の孫達は最初の恒星系を見ることが出来るんだろう。俺達の故郷である地球の話は、御祖父ちゃんや御祖母ちゃんがしてくれるかもしれないな。
俺達が地球を離れた理由はちゃんと子孫に伝えてほしいところだ。それが無ければ、俺達はただの旅人になってしまう。
第二の故郷を探し、そこで俺達の暮らす国を作ること。きちんと子供達を導かねばなるまい。
数十年の間に何度か重力場推進装置の稼働率を変化させる試験を行う。
合わせてコースの変更がどの程度出来るかも確認しているようだ。
もっとも、そんな話はたまに俺達の別荘を訪ねてくるユング達の土産話でもある。
アルトさん達は、2つほど小さな歪を見つけたらしい。どうやら未調査だった溶岩洞窟の奥にあったのだが、おもしろいことに洞窟内では宇宙服を着る必要が無いらしい。
「まだまだあるかも知れんが、とりあえずはハンターに開放しても良いじゃろう。黒5つ程度であれば容易に潜れるぞ。魔石の利用価値は悩むところじゃが、1日程度歩いた場所に泉がある。その水は飲めることを確認しておる」
その報告を聞いて一番喜んだのは姉貴だった。魔石を使えば魔法の袋が作れるし、水を運ぶことが出来る。数人で1tの水を運んでくれれば、コロニーでの消耗を補うことも可能だ。
溶岩洞窟の入口に頑丈なシェルターを設けて、いくつかのエアロックを備えれば、永続的な水を得られる。ついでに空気を運んで来ようとユング達が計画している。
100年が過ぎた時、ユングが面白いものを見せたいと言ってきた。
どうせなら皆で行こうということで、ユングに連れられて向かった先は月面近くの天文台だ。
丁度進行方向に大きなドームをいくつか持っている複合施設なのだが……。
「ここだよ。一応、強化ガラスの向こうは真空だからな。アキト達は簡易型でも宇宙服を着て貰った」
「ずっと地下にいたから、月面は久しぶりだけど……。星が綺麗なのかな?」
姉貴が天上を見ながら呟いた。
確かに星はきれいだけど、それだけなのか?
「もう少しで、試験的に光の速度の3割近い速度が出る。短時間だけど重力推進装置の120%出力だ。その時を待ってくれないか。……あと、5分ぐらいだ」
前方に何か見えるんだろうか?
ユングはニコニコ笑うだけで教えてはくれないようだ。
「もう少しだ。……5,4、……1、ゼロ! フラウ、明かりを消してくれ!」
120%出力になっても、俺達に加速度を感じることは無い。
だけど、ドームの照明が消えた時、それが見えた!
「虹じゃと!」
「星の作る虹ということか……」
「綺麗ね……。丸くなってるのね」
俺達は虹の中心に向かって進んでいる。前方に見える星は青く、後ろに見える星は赤に変わっている。
これって、ドプラー効果ってやつか?
光速度に近づけば、星のスペクトルがずれて見えると聞いた事があるけど、これがそうなんだ!
「星虹とも言われてる現象だ。俺も初めて見るけど幻想的だよな」
「確かに幻想的ね。でも私達はこの虹を越えて行かねばならないわ」
姉貴が小さくハミングするのは、この光景そのものだ。
オーバー・ザ・レインボウ
今の心境にぴったりな曲ではある。
この旅がいつまで続くかは分からないけど、俺達は希望を持ちながら虹を越えて行こう。
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END
長らく続いたユグドラシルシリーズはこれで完結です。
さすがに第二の故郷での活躍は書けませんが、後日談的に物語を追加するかも知れません。
長い間お付き合いくださって、ありがとうございます。