R-154 核パルスエンジン始動
核パルスエンジンという物は、何度聞いてもうさん臭い感じがする。
重水素ガスを圧縮して封入したカプセルを打ち出したところで、周囲から高性能のレーザービームを照射すると核融合が起ると説明してくれたが、上手く行くんだろうか?
主推進部である南極にそんなエンジンを4つも設けたのは推力を得るよりも、予備機として俺には思えるところだ。
4つもあれば1つぐらいは何とか動くんじゃないかな?
「残り30分を切っておる。いよいよじゃな」
「地球の静止軌道を回るミュールからも画像中継が行われていますし、月から先ほど観測用のロケットが発射されたようです」
「いよいよ旅の始まりね!」
ミーアちゃん達も帰ってくると、テーブルの席に座ってジッと暖炉脇のテレビに目を向けている。
ワイングラスが配られたところを見ると、上手く行ったら乾杯ってことになるんだろうが、上手く行ったかどうかをどうやってすることが出来るかは誰も知らないみたいだ。
加速感でもあればわかるんだろうけど、ほとんど感じることは出来ないとテレビのお姉さんが言ってたぐらいだからな。
ちょっと席をはずして外に出る。
コロニーの照明を調節して昼と夜を作っているから、今は丁度夜に当る。
池の周囲には蛍が飛んでいるのが幻想的でもある。こんな昆虫まで運んできたみたいだ。
庭の隅にあるベンチに腰を下ろすと、シガレットケースを取り出してタバコを1本取り出し、ジッポーで火を点けた。
このシガレットケースとジッポーは、この世界にやって来た時に姉貴から貰ったものだけど、いまだに表面の彫刻が消えていないし、ジッポーの油切れは無いんだよな。かなり怪しい品だが、いまだに使えることが嬉しくもある。
ん! ちょっと待てよ。月では魔法が使えるんだろうか?
使えなくとも問題は無いんだろうが、使えればそれだけ生活に役立つことは確かだ。
そういえば、試したことも無かったな……。
「【シャイン】!」
左手を伸ばして呪文を唱えると、いつものように光球が作られた。
この場所は秘密だから、直ぐに対岸の上空に向かって飛ばしたけれど、出来たな……。
月にも魔物がいるんだろうか?
少なくともどこかに次元の歪があることになる。大きなものではないのかも知れないが調査は行なわねばなるまい。
アルトさん達の暇つぶしに丁度良いかもしれないな。
一服を終えてリビングに戻ると、全員がテレビにくぎ付けだ。
自分の席に座って、グラスのワインを一口飲むと、俺も画面に目を向ける。
40インチ位の画面はもう少し大きくても良さそうだけど、標準品だから文句は言わないでおこう。それで文句があるなら端末を使って仮想スクリーンを開けば良いからね。
『……旅の始まりまで残り10分を過ぎました。コントロールセンターからは、何も問題は発生していないとのことです。まだ災厄の星を私達は星空の中から区別することはできませんが、いまだにコースを変えずに真直ぐに地球に向かっているとのことです』
「いつになったら我等にも直ぐに分かるようになるのじゃ?」
「2日前ぐらいからみたい。今のところ皆同じように星は点に見えるけど、小さな月のような感じで見えるらしいわよ」
アルトさんの言葉に姉貴が答えてるけど、姉貴も自信がないみたいだな。
ディーが仮想スクリーンを拡大して「これです!」と教えているけど、周囲の星とどこが違うのかまるで分らない。
『……カウントダウンを始めましょう! 10、9、……3、2、1、ゼロ!』
観測衛星からとらえた映像が、カウントゼロで核パルスエンジン付近に眩い光が発生したことを捉えたところでブラックアウトする。
次々とカメラにフィルターが追加されて発行の様子が良く見えるようになった。最初のカメラはどうやら受像素子が焼き切れたようだ。
1秒間隔で光っている場所が4か所ある。4つの発光点は同一に光ることなく、クルクルと時計回りに回っているようにも見えた。
『ただいまコントロールセンターから連絡が入りました。成功とのことです。私達の遠い旅が今始まったのです!』
いろんな場所から中継が入ってくる。この後はバラエティ番組と大差ないだろう。
旅が始まることを期待する者ばかりで、苦難の旅を思い描く者は今のところ出ていないようだ。
突然、仮想スクリーンが開くとユングが現れた。
「見てくれたか? やってみるとそれほど苦労は無いな。今のところ問題ない。このまま3日間加速して、重力場推進に移行するつもりだ。もっとも、遊星のコース次第では加速を継続するかもしれない。その辺りの判断はバビロンやユグドラシルの神官が判断してくれるだろう」
「頼んだぞ。俺達はのんびりしてるけど、手伝えるとは思えないからな」
「あぁ、任せとけ」
仮想スクリーンではユングの後ろで互いに肩を叩きあっている技術者達の姿が見える。
「やはり、動いた気がせぬな。ぐ~んと動くのじゃと思ってたのじゃが……」
「バジュラのようにはいかないよ。何といっても大きさがあるんだからね。それが少しでも動いたというのが驚きだ」
「ほんとよね。でも、これからが大変なのよ。皆にも期待してるからね」
俺の言葉に姉貴が言葉を重ねる。確かに大変な事がいろいろ起きるに違いない。それはこれから起きることだ。でも、今は俺達の旅立ちを祝うべきだろう。
「「乾杯!」」
皆でグラスをカチンと鳴らしてワインを飲む。
このワインはサーシャちゃん達が集めてきた物らしい。無人の都市から集めてきたと言ってたけど、それって盗んできたってことなんじゃないか?
姉貴が「2割だけ残して倉庫に収めなさい」と諭してたけど、2割でもかなりの量になるんだろうな。
翌日。俺達が起きたのは9時過ぎだった。
しばらくはユングに負荷が掛かってしまうが、俺達に手伝えるとも思えない。地上から人類を全て月に脱出させることが出来たのだ。その使命が終わったんだから、少し寝坊しても問題はないだろう。
どうにか着替えを終えてリビングに降りると、他の連中はすでに食事を終えてお茶を飲んでいた。
テレビは昨日の様子を伝えているところを見るとあまり変化が無いようだな。
「少し気になることがあるんだけど?」
簡単な朝食を終えて、ディーがいつものようにお茶を入れてくれたところで、姉貴に聞いてみた。
姉貴が俺に顔を向けると、アテーナイ様達も何を言い出すのかと俺に顔を向ける。
「月で魔法が使える。昨夜試してみたんだ。となると……」
「魔気がどこからかやってくるということ? 私も前に試してみたの。私の場合は気そのものを使って魔法が使えるからそのせいだと思ってたんだけど」
「我も試している。確かに出来たぞ。我は魔気だけを使える。となれば、魔気を出す場所がこの月にもあるということじゃ」
キャルミラさんは気を遣うことが出来ないと言ってるけど、少しは使えるんだよな。俺の心象世界に入るには気を遣うことそのものなんだけどね。
「エルフ族ならすでに試してるでしょうね。確認しておく必要があるわ。それではっきりするはずよ」
「この月に歪があるなら確認せねばなるまい。場所を探せば良いのじゃな」
アルトさんと嬢ちゃんずはやる気満々だから、これは任せとけば良いのかもしれない。
ディーと行動を共にすれば問題はないだろうし、先ずは調査だけってことだからね。
「アルトさん達に任せるわ。でもディーを連れていくのよ。それと、地表に出るのは10日以上後にして頂戴」
「やはり、しばらくは出られぬか?」
「地球が粉々ということでしょうから、破片が飛んでくることも考えねばなりません。離れるほどのに安心できるはずです」
月には大気が無いから微小隕石でも地表に到達できる。でも……、重力場駆動が始まるなら、小さな隕石なら軌道を変えられるんじゃないかな。
アルトさん達が暖炉傍でいつものようにスゴロク勝負を始めると、姉貴はディーと一緒になってコロニーの代表者を集めた最初の会議の内容を確認している。役割分担と統治の基本的な考えだから、早めに決めておかねばなるまい。
一応民主主義の体面を保ったように見せかけて専制政治を行う気でいるんだから、見上げたものだ。
「地球を出る途中で見つけたのじゃが、我等で飼うことは構わぬであろうな」
アテーナイ様がジャンパーの中から、取り出したの子猫だった。ミャ~と小さな声で鳴いているけど、親から離れてしまったのかな? まだ親離れが出来るほどに育っていないように思えるけど。
「拾ったんですか? 問題は無いでしょうけど、まだミルクで育てる時期ですよ」
「だいじょうぶ。私達が面倒を見るから!」
アテーナイ様から子猫を受け取ったのはミーアちゃんだ。ミーアちゃんも自分の小さい時分を思い出してるのかもしれない。
子猫を抱いて台所に向かったのは、ミルクを探すつもりなのかな?
「ミーアちゃんに任せれば大丈夫ですよ。本当なら、地上に暮らすすべての生物を移動したかったのですが……」
「さすがにそれは無理じゃろう。人間だけでも移動できたことを誇るが良い。それに、それまで暮らした場所になるべく似せた場所まで提供出来たのじゃ」
残された動物達は、何も分からずに一瞬で命を無くすだろう。苦しむことが無いことがせめてもの慰めにもなる。
もし俺達のコロニー建設と月の駆動システムが上手く行かなければ、俺達人類もその場で他の生物達と同じ運命を共に下に違いない。