R-152 地球脱出終了
翌日は災厄の日まで残り10日となる。核パルスエンジン駆動まで5日となる。ディーが5日あれば十分に到着できると言っていたから、後は任せるしかない。
俺達が乗り込む航宙機は300人乗りの小型機だが、落穂拾い用に作ったらしい。俺達4人だけだから気楽なものだ。
操縦席にディーが座ると、隣にアルトさんが座った。副操縦席ではあるのだが、アルトさんが動かす機会は無いだろうから、だいじょうぶだろう。後ろの通信手と機関手の席に俺と姉貴が座る。シートベルトは5点式だ。体を固定したことをディーに告げると、ディーが反重力機関のアイドリングを始める。
「燃料は十分じゃろうな?」
この期に及んで、アルトさんがドキリとするようなことを言った。
「十分です3往復は可能ですよ」
後ろで会話を聞いていた姉貴と俺がホッとして顔を見合わせた。
「出発します!」
まるでエレベーターに乗ったような重力加速を感じる。少しずつ加速しているようだ、シートに体が少し押し付けられるのが分かる。
「これで見納めね。長く住まわせてくれてありがとう!」
「いろんな景色をカメラに収めてあるから、たまに皆で眺めてみよう。新たな故郷もこの地球のような星だと良いんだけどね。我が故郷は緑なりき……」
「蒼ではないのか?」
アルトさんが俺の言葉を聞いたのか、後ろに振り返って聞いてきた。
「ここから見れば蒼だけど、リオン湖の別荘で眺める山々は緑だったわよ。黄色や真っ白な時もあったけど、やはり緑が一番だわ」
姉貴がアルトさんと地球は蒼か緑かで話を始めたけど、俺も姉貴の意見に賛成だ。やはり故郷は緑の地が良い。豊穣の大地は緑だと思うな。
「イオンエンジン出力増大。地球周回軌道から月への航行に移行します」
「了解。となりと、これから4日は退屈な日々になりそうだね」
「操縦はオートパイロットに切り替えました。重力方向を足元に設定しますが、0.3Gほどの簡易重力ですから、動くときには注意してください」
ディーの言葉に、俺達はシートベルトを外した。簡易重力と言えども、足元方向に重力が働くのはありがたいことだ。水はカップで飲めるし、食事だって苦労しなくて済むからね。
「まだ災厄の星は見えぬのか?」
「どうにか木星軌道付近らしいよ。10日もあるからね。それほど輝かないよ」
銀の粉をこぼした様に星が光っている。地上とは異なって瞬かないけど遥かに多くの星が見える。この星の海の中を災厄の星がひたすら地球に向かっているのだろうが、まったくどれかは分からないな。
航宙船の中は退屈だ。アルトさんとキャルミラさんはすでに月コロニーに到着したサーシャちゃん達と通信機を介してスゴロクで遊んでいる。
姉貴は、月コロニーの状況をユング達を通して確認しているみたいだ。核パルスエンジンの駆動を前にカルメラ族の技術者やバビロン、ユグドラシルのオートマタ達も大忙しなんじゃないかな。
俺はのんびりと、小さくなりつつある地球を眺める。
すでに俺が生まれた日本は海の底だ。だが、俺の故郷であることに変わりは無い。未来の地に来たけれど、そこで2千年以上俺達の生活を支えてくれたことを思うと感謝する気持ちで一杯になる。残り10日もせずにばらばらになると思うと悲しくなってしまうな。
涙を隠すように、喫煙室に向かう。
この航宙船は地球の大気と同じ組成だ。強力な空気ろ過装置と酸素の補給で船内空気を循環して使っているらしい。
「1日数本なら10人以上で喫煙が出来るぞ!」
そんなことを言っていたユングは、自分でも楽しみたかったんだろうな。
リオン湖のほとりの別荘にあるリビングと同じぐらいの小部屋が喫煙室らしい。
隅に、コーヒーの入ったボトルが置いてある。1個頂いて、小さな過熱器で温めた。
タバコを楽しみながら地球を眺めると、先ほどとは異なる感情が湧いてくる。
成長した俺達が親元を離れる気分だ。
懐かしくはあるが、旅立つ俺達の誇りでもある地球。二度とその地を踏むことは出来ないだろうが、遥かな航海に出発する俺達を優しく見守ってくれているようにも思えてきた。
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のんびりした4日間が終わる。俺達の航宙船はすでに月の周回軌道を回っている。
月のプラットホームは月面に移動したらしい。それほど大きくは無かったから可能だったのだろうが、新たな惑星に着いた時には、惑星の静止軌道に移動させて移民船の発着に寄与してくれるだろう。それまでは月面で休んでもらおう。
「ラミィと回線が繋がりました。これより降下します。シートベルトはちゃんとしてますね?」
「だいじょうぶだ。降下してくれ!」
ゆっくりと航宙機が降下を始める。山岳地帯の小さなクレーターを改造したと言っていたけど、どれがそれだか全くわからないな。月面の構造物でこの高さから分かるのは、核パルスエンジンの巨大なタンパーと呼ばれる衝撃干渉装置だけだ。直径3kmもあるパラボラアンテナのような構造物だけど、あれで核融合のエナジーを受けることが出来るらしい。
バビロンの神官がいろいろ説明してくれたけど、原理がまったく理解できなかった。
まぁ、動けば良いということで納得している自分の知識の無さに恥じ入るばかりだけど、ユングには理解できるんだろうか?
高度がどんどん下がってくる。
すでに視野は月面だけだ。下がっているだけでは無くて前方に進んでいるらしい。行く手に山脈が見えてきた。
「あの山脈の谷にあるクレーターです。到着まで残り5分……」
ディーの説明に、皆が前方の谷を見つめる。
特に変化が無い場所だと思っていたんだが、小さなクレーターの地面が2つに分かれて左右に開いていくのを見て驚いてしまった。
比較対象物がないから大きさが実感できなかったけど、直径は500mぐらいあるんじゃないかな?
割れたクレーターの底に向かって航宙機がゆっくりと降りて行った。
どんどん下に降りていく。精々200mぐらいかと思っていたけど、とんでもなく深いぞ。
やがて下に×印に明かりがともっているのが見えてきた。あの真ん中に降りることになるんだろうか?
「上が閉まっていくわ」
姉貴の声に操縦席の上部にある窓から上を眺めると、何層にもなる横扉が閉じていくのが見える。安全策ということだろうが、大型の隕石落下を考えてもいるんだろうか?
小さなショックが足元から伝わって来た。どうにか離着陸場に着いたみたいだ。
今度は、車輪を使って格納庫の一つに移動している。
横にいくつか扉が見える。その中の扉の一つに入ると、数台の航宙船が駐機していた。俺達の航宙機は壁際に近づいたところでようやく停止した。
「着きました。私達の出入りと荷物の出し入れがありますから、ボーディングブリッジが接続されるまで、動かないでください」
ディーの言葉が終わると直ぐに壁からボーディングブリッジが伸びてきた。なるべくコロニー内の空気を逃さない為なのだろう。いろいろと工夫はされてるようだ。
しばらく待って、ディーが扉を開けてもだいじょうぶと教えてくれたところで、俺達はようやく客室のエアロックへと向かった。
エアロック内との気圧が同じであることを確認して扉を開ける。客室側の扉を閉じたところで航宙機の外扉を開いた。直ぐにボーディングブリッジ内の最初の扉がある。その扉が閉じていることを確認して航宙機の外扉を閉じた。
まったく面倒ではある。
何個かの扉を開けたり閉めたりしてようやく、ローディングブリッジを歩くことが出来た。
突き当りに、また扉があった。これもエアロック構造だ。最後のエアロックを出ると、大きなフロアーが俺達の前に現れた。
「何かつかれてしもうた。我等の住家に早く行くとしようぞ」
「そうだね。私も同じ気分だわ。しばらくは何もないでしょうから、ディー、案内を頼むわ」
そんなことで、ディーを先頭に俺達はコロニーの中を歩き始めた。
俺達の住むハブコロニーから放射状に4つのコロニーを持っているらしい。真ん中にあるからハブコロニーなんだろうけど、そんなコロニーはいくつもあるようだ。その内、名前が付けられるんだろうけど、今のところはHA-00という管理番号を持つらしい。
「この先のチューブで、2つほどコロニーを移動することになります」
「あのカプセル交通網ね。結構面白いんだよね」
前に乗ったことはあるんだが、どう考えても空気鉄砲の原理なんだよな。圧縮空気で移動するんだからね。着くときは止まってるカプセルとの間の空気が圧縮されることでブレーキがかかるんだが、出発するときと止まるときは急加速に急ブレーキの感じがするから結構ヒヤっとする。神像の悪い人もいるんだけどな……。
そんなスリルを楽しんだところで、俺達の住むコロニーに到着した。
俺達の住家はこのコロニーの中ほどにある大きな空間だ。空気の清浄化と住民の憩いの場とする公園区画らしい。その端にある池の対岸ということだから、リオン湖の別荘を模したことになるんだろう。
垂直移動用のエレベータ区画に行くと、20台近くエレベーターが左右に並んでいる。
その1つに乗り込んで、ディーが最上階と最下階を同時に押した。エレベーターが静かに降りていく。このエレベーターに表示された階層は最上階から中間階層までらしい。それでも60階ほどの階層があるんだからかなりのものだ。
やがて停止したエレベーターの扉が開いたのは、乗り込んだ時とは反対側の壁だった。
扉が開くと長い通路が続いている。
「この先になります。この階に止まるエレベーターは3基。非常階段は2つありますが、この階に入るには特殊な信号波を出す装置が無ければ開きません。プライバシーを侵す者はいないでしょう」
「少し厳重すぎる気もするが、狭い場所じゃからのう。我等はのんびりできよう」
「でも、誰もいないんだよね。空間がもったいない気もするね」
横幅3m、高さも3mはあるだろう。天上照明は面光源だから明るいけれど俺達の影が見当たらない。電気ももったいない気がするな。