R-150 順調なのか?
災厄の日まで、残り100日を切ってしまったが、避難計画はそれほど混乱も無く推移している。
それだけ良くできた計画書だと言えるんだろうが、あまり上手く行くと逆に心配も出てきた。
「病院船はモスレムを離れて、エントラムズの南300kmに移動します。到着時刻1120時!」
「これで、4時間の余裕が出来たわね。各地方の避難状況は?」
「テーバイ、32%。モスレム、21%。エントラムズとサーミストは15%。アトレイム、22%。エイダス、36%、南方諸王国は20%、アメリカ大陸が12%です。今のところ極端な遅れはありません。アメリが少し遅れていますが、エイダスの避難が済めば航宙機を全機アメリカ大陸に送る手筈は出来ています」
姉貴の要求にディーが諳んじるように答えている。
順調だな。ペットの多さに最初は姉貴と顔を見合わせてしまったが、皆きちんと躾けているようだ。噛まれたというような報告は入っていない。
慌ててペットの餌を確保することになったのは致し方ない話だが、ペットショップと問屋の好意で各離着陸場に山積み状態だ。最後の便で輸送することになるだろう。少なくとも1年分はあるんじゃないかな? その間にペットフードの生産ラインを確保すれば何とかなるだろう。
「あれだけペットを連れていくなら、動物園は必要なかったかも知れんのう」
「結果論だと思うな。昔はペットを可愛がるなんて余裕は無かったのかもしれない。それだけ生活にゆとりが出来たんだと思いたいね」
そんなことを言ってるアルトさんは小さな女の子が抱いている子猫をジッと見ている。欲しいのかな?
姉貴はペットを飼ってはいなかったけど、俺はずっとネコを飼ってたんだよな。俺が抱いてるといつも姉貴に取り上げられてしまってたんだけど。
ボランティアのおばさん達が大きな鍋でスープを作っている傍では屋台の連中が平たいパンを次々と焼き上げている。
スープ入れの二重になった大きな容器にスープを移し替えて、食器を乗せたカゴや
平たいパンを木箱に入れて運んでいるのもボランティア達だ。
次々とやってくるトラックに移動式の階段を運んでいるのは兵士達だし、降りた避難民をテントに案内してるの者達や、上空から降りてくる航宙機にテントから避難民を誘導をしている者達までいる。
あれだけ忙しく働いて倒れないかと心配になる。ボランティアの活躍無くしてエクソダス計画は成り立たないからね。
「ユング様からです。月への航宙機の1台が故障したらしく、予備機を準備中。移送遅れが6時間ほど発生するとのことです」
「十分に時間があるから、取り戻そうと考えないように伝えてくれない。やはり予備機を作っておいて正解だったわ」
リムちゃんの報告に姉貴が即答している。時間的余裕が一か月あるからな。姉貴もジッと構えていられる。
「ほう、ユグドラシルが飛び立つようじゃな。バビロンはまだのようじゃ」
ユグドラシルはバビロンから比べて小さいからな。自分達をコンパクトにまとめることが出来たんだろう。
半魚人達の多くがサイボーグとなって月で働いてくれてるから、ユグドラシルの中にいる住人は200人程度なんだろう。それでも胚の状態でいまだに数万の人間を確保してるところが凄いところだ。
俺と同じアルマゲドンの前の人間だから、遺伝子変異の影響を受けていない人間ということになる。
「バビロンはもう少しかかるみたい。重水素の製造をぎりぎりまで行うそうよ。意外と、カラメル族の航宙船が早く出発するかも知れないわ」
「カラメル族も重水素は確保すると言ってたぞ。2隻だから、最後の1隻はバビロンと時を同じくするかもしれないな」
ユングは月コロニーの核パルスエンジン用の重水素を、予定量の2倍確保したところで中断したようだ。その後にユングの確保したものはウランだった。U-235の含有量は少ないとのことだったが、遠心分離機とやらで濃度を上げて保管している。一か所に纏めると臨界になってしまうとかで、カドミニウムの板をステンレスでサンドイッチにした容器に保管しているけど、だいじょうぶなんだろうか? バビロンに確認したら問題ないとは言ってたが、原子炉でも作るつもりかな?
「コロニーの電力は核融合と聞いておるが燃料は十分なのか?」
「その点は抜かりないわ。少なくとも1千年以上コロニーの電力を賄えるし、アルトさん達が運んだ氷を溶かして精製すれば重水素を取り出すことも可能よ」
だが、ヨルムンガンドの東にあるスクルド砦では今でも重水素を海水から分離し続けているのだ。液体化してシリンダーに詰め込んでいるようだが、あれを使えばさらに長期に渡って核融合炉を動かすことができるだろう。
それに重水素だけでなく、液体水素と液体酸素の生産も並行して行っている。航宙機の燃料となる水素もカートリッジ式のタンクもまだ生産ラインが動いているはずだ。
結局姉貴は月の資源には全く手を付けていない。月からの採掘は資源の予備として姉貴には認識されているのかもしれないな。
災厄の日まで残り60日となった時、立て続けに航宙機が故障してしまった。本来なら精密点検が必要なところを簡易な点検で代用しているからなんだろう。
予備機を全て動員して避難者の輸送に当らせる。
現時点で一番進んでいるのは、エイダス島の95%だ。島に残っている人達がいないことを確認するとしても5日後には完了するだろう。エイダスに振り分けた2隻を南方諸王国に振り分けられる。一番時間のかかっているのはエントラムズ市だが、北のカナトールやサーミストが一緒だからだろう。それでも半分以上の55%まで完了している。テーバイ地方が終われば、3台の航宙機を回せるし、モスレム地方の終わりも見えてきている。
「故障した反重力場発生ユニットを交換することで、2機を使用することが出来ます」
「それは諸王国の避難に回して頂戴。アメリカ大陸の方は何とかなってるのかしら?」
ディーの報告を聞いて姉貴が指示を出している。中々人間が集まらないみたいだな。王都だけでなく、周辺の町や村を回って集めるつもりなのだろう。
岬の別荘のリビングはいくつもの仮想スクリーンがあちこちに展開している。俺達以外に軍から通信兵を1個分隊出して貰って対応しているからだろうが、何ともにぎやかだな。
全体の状況はディーが見ているようだ。課題があればすぐに姉貴に報告している。
食事時は、その場で各自が取ることになるが、どちらかと言うと野戦食に近い。違いは野菜が多いことと、肉か魚が1品お皿に多いことぐらいだろう。
休憩は適当に取ることになるが、夜間でもリビングに誰も残らないということにはならないようだ。
「ユングが知らせてくれて半分が過ぎたけど、どうにか半数を送りだせたわね」
「これからが勝負だ。既に故障する航宙船も出てきている。予備は無いから、故障した航宙船から部品取りして対応しなければならないからね」
信頼度は前より落ちるはずだ。重要な機器は二重化しているからどちらも故障するとは考えにくいが、その可能性だってあり得ないとは言えない。
「コロニーの方は教団の神官さんに任せてるけど、何とかなってるのかしら?」
俺のテーブルに姉貴が歩いてくると、空いている椅子に腰を下ろす。
直ぐにボランティアのお姉さんがお茶を運んできたから、ちょっとした息抜きと思ったようだな。
俺のカップにも注いでくれたので、小さく頭を下げて感謝を伝えた。
「何も言ってこないところを見ると、上手く行ってるか、それともてんてこ舞いのどちらかだろうね」
たぶん後者になるんじゃないかな? それでも、避難者の中からボランティアを募れば少しずつ改善するだろうと神官達が言っていたから、今は過度期ということにもなるんだろう。
「何かあればユングに相談するようには伝えたんだけど……」
「ユングよりはラミィに伝えるべきだな。ラミィならその問題の発生原因を調査してくれるだろうけど、ユングはその時考え付いたことを直ぐに実行しそうだ」
それが悪いということでは無い。直ぐに行動するのはそれはそれで美点ですらあると思うけどね。
「でも、ユングなら面倒がってラミィに任せるから同じことでしょう?」
「そうだね。となればやはりユングに頼むのが正解なんだろうな」
さすがは姉貴、ユングの性格を良く知っている。それを知っての事なら何ら問題は無い。
「ミュールⅡから緊急報告です。『地上からの航宙機接岸プラットホームでトラブル発生。一時的に第2プラットホームを閉鎖。修理完了までの予想時間およそ12時間』以上」
通信兵の1人が俺達の所に走って来て報告してくれた。
「ありがとう。たぶん航宙機にはユング達から代替プラットホームを連絡してると思うわ。地上からの発信時間を調整する依頼があったら、伝えて頂戴」
姉貴の言葉を聞いて、綺麗な答礼をすると、通信兵が仲間のいる通信機の方に走って行った。
「プラットホームの故障が多発すると面倒になるな。同時に3つほど修理するような事態が生じたら、余裕時間がどんどんと無くなるぞ」
「いざとなればダイモスをプラットホームに出来るわ。そのつもりがあるからユングは静止軌道にダイモスを移動してきたのよ」
ダイモスの航宙機発着場を使うつもりか……。あの大きさだからな、プラットホーム機分の働きは十分にできるだろう。