R-148 動かぬ政庁
最初に行うのは、プラットホームの移動になる。
ラグランジュポイントから、地球の静止衛星軌道に1基、月の静止衛星軌道に2基を移動する。移動に数日かかるらしいから、ユングの次の通信次第では元の位置に戻すことになるかもしれない。
アルトさん達は嬢ちゃんずと一緒にモスレム市に向かったようだ。現時点ではまだ事前行動は必要なさそうなんだけど、どうやらお菓子の大人買いをしてくるようだ。
まぁ、それぐらいは許される範囲だろう。俺とアテーナイ様も村の雑貨屋でタバコを数箱手に入れたからね。
姉貴はバビロンとユグドラシル、それにカラメル族に連絡を入れたようだ。バビロンとユグドラシルは直径300m程の航宙船に自らを改造したようだが、太陽系を離れることは燃料の問題で出来ないらしい。月の溶岩洞窟の中に2基とも着陸するから、すでに着陸地までの通路を設置済みだ。
「嗜好品なら今の内よ。発表したら奪い合いになってもおかしくないから」
「キャルミラさんにも頼んであるから俺達は問題ないけど、姉貴は?」
「ミーアちゃんに紅茶を頼んであるわ。砂糖もたっぷり買い込んどくからだいじょうぶよ」
コーヒーも買い込んどくか。外には……、ワインを少し持って行っても良いだろう。あの大きな魔法の袋があれば俺達の荷物などたかが知れてるからね。
「一つ気になってるんだけど、庭のあの木はどうするの?」
「もちろん移動するわ。私達の家の前に植えることにしてあるの」
家? そんな話は聞いてないぞ。他の人達と一緒に、コロニーの一角の部屋を使うんだとばかり思ってたんだが。
「ハブとなるコロニーの空気清浄システムに草原を作ったらしいの。人工の小川や池もあるけど、林もあるのよ。その中にこの別荘と同じものを戦闘工兵が作ってくれたわ」
「当然皆が散歩に来る場所だけど、そんな場所に家を作って羨ましがられることは無いの? あまり格差を作るのは問題と思うけど」
「草原から林の間には少し大きめの池を作ってあるのよ。渡ることは無理みたい。出入りは専用のリフトを用いるか、隠し通路を使うしか方法が無いから、向こうに着いたら教えてあげるね」
世捨て人の生活ということなんだろうか? まぁ、それも良いだろう。となるとユング達の住家は……、あのダイモスということになるんだろうな。
アルトさん達が帰ってくると、皆でリビングに集まりユングの通信を待つことになる。
ユング達の所に航宙可能な戦闘用タトルーンが3機向かったとカラメル族の長老から連絡があった。
場合によっては破壊を考えているのだろう。破壊できなくともコースが変わってくれるだけでも地球直撃は避けられるだろう。
ユングから知らせが入って5日目の事だ。
夜までずっと待っていたアルトさん達だったが、飽きてしまったんだろうな、暖炉の前に陣取ってスゴロクを始めたみたいだ。
テーブルに残った俺達は、ジッと通信機の受信音を待ちながら、地球脱出計画所の細部に目を通す。
何杯もコーヒーを飲んだからお腹が一杯だ。寝る前に一服しようと席を立った時に、通信機の受信音がリビングに鳴り始めた。
急いで席に戻ると、姉貴が応答可能のスイッチを押す。嬢ちゃん達もテーブルに着いて、通信内容に耳をそばだてている。
「災厄の予想は確実になった。直径25kmそれに200mから10kmの塊が10個ほどに分裂した。
惑星の軌道を変えたのは惑星Xのせいだが、惑星を壊したのは俺達のせいだろうな。それでも40%程は別の軌道に変わったんだけどね。
核爆弾の全てを使い切ったから戻るしかないな。4日で戻れるだろう。地球最後の日まで残り3,312時間だ。後は美月さんに任せたい」
「了解。ご苦労様でした。予定より一か月も多いんですもの、きっと上手くいくわ。地球の静止軌道で待機してくれない。そこが一番大変な場所になりそうよ」
「了解だ。着いたら連絡する」
通信機のスイッチを切って、姉貴が俺達の顔を順番に眺めていく。
「明日、政庁に状況を知らせます。地球脱出開始は10日後に開始すれば準備が出来るでしょう? それまでに、住民が本籍に戻るように通達を出させます」
「ボランティアの集合は5日後で良いのじゃな? テントと食事の準備も5日あれば十分じゃ」
「でも、政庁が公表してからにしてね。でないと混乱が増すだけだから」
アルトさんの確認に姉貴がしっかりとタイミングを指示している。
俺達は、ここにいれば良いのかな?
「アキトには庭の木を掘り起こして貰うわ。ちゃんと根を包んでおいてよ。コロニーの私達の庭に植えるんだから?
「良いけど、終わったらどうするんの? 結構根を包めば重くなるけど」
「カラメル族の人達が運んでくれるって言ってたわ」
なら安心だな。姉貴の両親の変化した姿だからね。俺達で運んで枯らしたりしたら大変だ。
翌日。姉貴がアテーナイ様とディーを連れてモスレム市にイオンクラフトで飛び立った。
残りは137日。計画では避難に80日の予定だから、余裕が持てるのが嬉しい話ではあるのだが……。
とはいえ、言われたことはしておかないとね。
ユグドラシルの木の周囲の敷石を引き剥がして、直径20cmの幹の周囲を1.5m程の範囲で丸く掘っていく。
1日掛けて深さ1mぐらいまで幹を取り囲むような溝を掘ることが出来た。明日は根の張り具合を確認しながら幹の中心方向に掘り進もう。
「ご苦労じゃった。我等も雑貨屋で少しは買い占めてきたぞ」
「あまり買い占めるのも問題だよ。嗜好品は村人だって少しは持ち込みたいはずだ」
リビングにやって来た俺に、珍しくアルトさんがお茶を入れてくれた。
ありがたくカップを受け取ってそんな話をしたのだが、姉貴の方はかなりもめているようだ。
「政庁が行動をせぬなら10日後に美月が発表すると言っておったな。やはり今の暮らしに政庁の上部は胡坐をかいておったようだ」
「見えない以上、変化を望まないという事かな?」
「そんな感じじゃな。そんな連中に限って真っ先に逃げ出すに決まっておる」
その時は、ちゃんと最後まで待ってもらおう。俺達の計画でも治世を預かる者達と軍は最後になる。一番最後は俺達のはずだが、バビロンの改造を終えたイオンクラフトなら真直ぐ月に向かうことが出来るからでもあるのだ。
「まぁ、様子を見てみていよう。姉貴が10日後に発表すると言ってる以上、そこで混乱が生じるようなら現政権を担っている者達の責任が問われるだろうけどね」
「いざとなれば軍を動かすと言っておったぞ。少し楽しみじゃな」
軍の統帥権は政庁の大統領ともいうべき人物なんだけど、姉貴は反旗を翻すつもりなのだろうか?
連合王国の調印で、国王達に連合王国のいくすえを託されはしたが、そんな事があったことを知る者すら今ではいないんじゃないかな。
数日掛かって、どうにかユグドラシルの木の根に縄を巻いたのだが、翌日にはユグドラシルの木が姿を消していた。
カラメル族が運んでくれたんだろう。
その夜、ユングから通信が入った。どうにか帰ってきたみたいだな。
「地上はどうなんだ? 受け入れ態勢はミュールに1個小隊ずつ張り付けている。ボランティアの到着待ちだ」
「何とも政庁が煮え切っていないんだ。場合によっては姉貴が反旗を翻すかもしれん」
俺の言葉にユングが一瞬驚いたけど、直ぐに笑顔に戻ってる。どう納得したのか聞きたいものだな。
「俺も危惧はしてたんだ。まだ危機感が無いんだろうな。だが、現実として受け入れる時には遅いんだよな。美月さんが行動するなら俺も参加するぞ」
「少なくとも、残り5日の余裕を与えているみたいだ。それが過ぎれば姉貴は行動する。その時には連絡するからな」
俺に頷くと、ユングは通信を切った。
この状況で戦が始まるとは考えたくはないが、姉貴の考える反旗の範囲が問題だな。
おとなしく10日間で政庁の連中が従ってくれれば良いんだけどね。
「月コロニーの軍は我等で動かせる。早めに動かせば、それだけ早く終わるぞ?」
「いや、姉貴の連絡を待とう。姉貴の事だ。脅して結論を出させる位の事だとおもうんだけどな」
とはいえ一抹の不安があることも確かだ。
ディーとアテーナイ様がいるから安心していられるんだけど、どちらも過激なんだよな。
さらに3日経ってから、姉貴からの通信が届いた。
どうやら政庁が折れたらしい。やはり特権の数々を手放すことが惜しかったのかもしれない。昔の政庁の連中はそんなことが無かったんだがこれも平和な世界が長く続いた弊害なのかもしれないな。
「明日の正午のニュースで発表するわ。直ぐにボランティアが集まるから、軍には同時刻にエクソダス計画の発動が命令される手順よ」
「分かった。俺達はとりあえず待機で良いんだよね」
「上にはユングがいるから、こっちから頼んでおくわ。先ずはボランティアの配置が優先されるからね」
プラットホーム1つに500人以上のボランティアが必要なのだ。さらに離発着場にだって2000人単位でボランティアが必要になる。
町や村の状況も確認しなくちゃならないから、その状況監視だけでも大変な手間になるように思える。
俺達がこの場で世界の状況を見ることになるんだろう。
問題があればアルトさん達が向かっていくことになるんだろうが、まぁ最悪の状況はとりあえず回避できたということになるんだろうな。