R-123 大型コロニーは問題だらけ
ユングの話では、来年には調査に出掛けられそうだな。
向こうの施設がどんな状態か分からないので、バビロンより気密服を何着か受け取ったらしい。
簡易版ということだけど、密閉が完全なら十分使えると言っていた。未知の病原菌でもこの世界に持って来たらとんでもないことになりそうだからな。
最後は脱がずにそのまま焼却炉に入るということだが、ユング達ならではのことだろう。
そんな設備も調査船に設けるらしいから、少し形が変わったのかもしれないけど、全体のデザインは月着陸船の左右に大きな太陽電池パネルを羽のように付けた感じだ。
「そんなところだ。上手く美月さんに伝えてくれよ。そうだ! 後で美月さんの観点での調査項目があれば伝えてほしいな。このままでいけば来春には出発できそうだ」
「伝えとくよ。俺からは、フォボスとダイモスの状況が欲しいな。姉貴の考えではこの世界の人間すべてを連れていきそうだ」
「それは俺も考えたが、精々1万から5万が良いところだろうな。だが、多いに越したことはない。だけど、全員というのは問題だぞ」
「まだ言葉にはしてないけど、間違いないだろう。となると……」
「俺達で何とかということになるな。バビロンやユグドラシルの協力は得られるが……」
「カラメル族もだ。カラメル族の長老はかなり悲観的だったな」
「科学の限界を知ってるんだろう。だが、それであきらめたらそれまでだ。最後まであがいてみるのも面白そうだ」
ユングの言葉に頷いて互いに握手をする。打てば響くのは昔からだ。俺にオタクの神髄を見せてもらいたいところだ。
研究所を出て別荘に戻る途中に三叉路がある。南の門に抜ける通りなのだが、その途中にある会社は規模が大きくなった。
俺達が始めた会社は重工業に発展せずに、精密工業にすこしずつ変化していった。いまではどの家でもゼンマイ式の時計が暖炉の上に乗っているし、懐中時計でさえかなり出回ってきた感じだ。
オルゴールでさえ、今では円盤を交換することでいろんな曲を奏でられるようになってきた。精密な、緻密な加工を得意とする工場と、綿を織る工場が隣接してるのも面白いことだけど、これは昔からだからな。とはいえ、たまに見学に来る連中はそれが奇異に映るらしい。寒村の冬越しの金を稼ぐのがこの工場創業時の仕事だと聞いて納得することもしばしばらしい。それだけ時代が進んだということになるんだろう。
今でも、創業時の名残りで会社の理事の一人に祭られてはいるが、たまに行う新製品の開発会議に出席するぐらいだ。毎年の報酬は全額を教団に寄付している。教団の学校維持には連合王国からも予算が流れているけど、それだけでは足りないんだよね。
「ただいま」と声を出して玄関を開ける。
いつもの席に座ると、ディーがコーヒーを運んできてくれた。
「あれ? みんなはまだ帰らないの」
「ガトルの群れが出たんですって! 早速出掛けてしまったわ。ミーナちゃんやキャルミラさんが一緒だし、何といってもアテーナイ様が一緒だから、グライザムだって群れで狩りそうよ」
まったく……。おとなしく体を休めようなんて気持ちは毛頭ないみたいだ。
姉貴も半ばあきらめてるみたいだな。
「ユング達は来年には出掛けそうだよ。かなり長期になりそうなんでいろいろと改造しているみたいだ」
「どれぐらいの間文明を維持してたのかな……」
「すでに滅んでると?」
姉貴が小さく頷いた。細々と誰かが暮らしているとは考えていないようだな。
俺は……、少しは希望があるんじゃないかと思ってたんだけどね。
「誰かが残ってるんなら、カラメル族は気が付いたはずよ。そんな話は今までも聞いたことが無かったわ。かなり早い段階で滅んだと私は思ってるの」
「事故ってわけじゃないんだろうね」
ほんのちょっとした対立が全体の暮らしを激変する可能性がある。コロニーが小さければ小さいほどその傾向は強いんだろう。
環境維持システムは多重に設けているはずだ。そう簡単に故障はしないだろうし、1つでも十分にコロニーの環境と生活を維持できるだけの能力があるはずなんだが……。待てよ、ひょっとして多重システムをシングルシステムにすることで、移住する人口を増やしたなんてことはないだろうな。
その場合は、1つの故障が多人数の生存を脅かすことになるだろうし、座して死を待つことなどないはずだ。
「詰め込み過ぎかもしれないね。だけど、第3者から見れば余分なシステムと見えることもあるんだろうな」
「いくつかはそれで滅んだはずよ。でも、すべてとなると別の要因も考えられなくもない」
生態系というのはかなり微妙なところがあるらしい。ほんの些細な出来事が取り返しがつかない事態に発展することも予想されるとのことだ。
農薬を使い過ぎて地面の微生物まで殺せば有機農業はそれで終わりになる。
漁業だって、水中のプランクトンのわずかな差が、水質を変化させることだってあり得るらしい。
そのために生命維持に必要なシステムは多重に作ってあるはずらしいのだが、見かけは余分な施設に見えるからなぁ……。
助けてくれという人間を見捨てることができる人間なんているんだろうか?
結果的に、それが全員の命を投げ出すことになるかもしれないと知っていても、助けてしまうんじゃないかな。
待てよ……。姉貴はそれを見据えて全員の惑星脱出を考えているのか?
その時になって、助ける人を選ぶということができないと知っているんだろうか?
俺にも無理だろう。自発的に残ってくれるという人もいるかもしれないけど、それを最初から期待するようでは問題もありそうだ。
やはり、姉貴の案に乗ることになってしまいそうだな。
暖炉の傍に行って座り込むとタバコに火を点けた。
新しいマグカップを持って、姉貴とでぃーが俺の傍らに座る。
チロチロと燃える炎を見ながら、姉貴は黙ってコーヒーを飲んでいる。
「ちょっと考えたんだけど、宇宙にはアルマゲドン以前より人類は進出してたんだと思うんだ。その時にはコロニーの維持に問題は無かったんだろうか?」
「そうね。気になるところだわ。ディー、バビロンの神官さんに答えられるかな?」
ディーが端末を持ってくると、俺達の近くに仮想スクリーンを展開してバビロンと相互通信状態に持っていく。
こちらの要件を電脳間で伝えたらしく、すぐに神官の話が始まった。
「確かに、100年程度の歴史を各コロニーが持っていた。大きな問題は無かったように思えるが、それは地球という母体がそこにあったからだろう。完全に周囲から隔絶したコロニーはラグランジュポイントのコロニーだけだった。それでも一か月単位で地球や他の惑星コロニーと連動してコロニー内の環境を維持していたぞ」
俺達の考えに一番近いコロニーは宇宙空間に浮かぶコロニーだろう。活動に必要なエナルジーや水や空気、食料さえも自給すべく努力していたはずだ。
その全体システムは俺達が考える大型コロニーの参考にならないかな?
「できれば、仕様を開示願えないでしょうか? それと、宇宙コロニーの主要な貿易品についても可能な範囲で提供していただきたい」
「すでに開示は済んでおる。その端末で見ることも出来よう。しばらくは会えぬ状態になりそうじゃが、バビロンの巫女達は健在に保つ。必要な品は彼女達に頼むが良い。それとユグドラシルに付いてもやはり神官が一時身をひそめると連絡を寄越した。精々一か月にも満たぬから問題は無かろう」
バビロンから通信を切った時に、思わず姉貴と顔を見合わせてしまったぞ。いったい何が始まるんだ?
「中枢電脳のメンテナンスではないでしょうか? ユグドラシルも同じに思えます」
「交換部品なんかもあるんでしょうね。人格を持っているから、その間は眠って夢でも見るのかな?」
思わず苦笑いをしてしまう。電脳の見る夢なんて考えるのは姉貴だけだと思うぞ。でも……、ミーアちゃんやアテーナイ様は眠るんだよな。記憶槽の再構成だと老師が教えてくれたけど、その間に夢を見ることがあるのかもしれない。今度聞いてみよう。
「なるほど、大きくはこうなるわけだ……」
姉貴が早速宇宙コロニーの資料を見ている。姿を見るんじゃなくて、全体の人員構成を見ているのが不思議に思えるな。
「何を感心してるの?」
「コロニーの人口構成と就労部門を確認してるの。やはり一番多くの人員を持っているのが生産部門になるんだけど、この場合は精密工業になってるわ。これでコロニーの生活費を稼いでいたんでしょうね」
「農業じゃないの?」
「農業は環境維持部門の小さなセクションになってるわ。確かに環境維持に必要ではあるんだけど、意外と農業で環境維持を図るのは難しいのよ」
どうやら生産サイクルに問題があるらしい。植物は炭酸ガスを吸って光合成を行うのだが、夜間は酸素を消費するのだ。比率では酸素発生量の方が多くなるらしいけど、生育状況で光合成の量が異なるのも問題らしい。
そんなことから植物性プランクトンの培養によって酸素を作っていたようだが、コロニー全体の酸素必要量には達していなかったようだ。
「かなりの量の水を輸入しているわ。水は酸素と水素の化合物だから、電気分解すれば簡単に酸素を得られるし、副産物の水素は燃料として使われたみたいね」
一か月に10t近くを輸入してるようだ。この時代のロケットの積載量は20t程度らしいから、結構な量になるんだろうな。トラック1台分と考えればそれほどとは思えないんだけどね。
「コロニーの人口が3千人で、1年で12tの水を必要としているわ。もし、1千万人とすれば?」
「年間4万tになります」
ディーが即答したけど、それってタンカー1隻分にもなるぞ。なるほど、閉鎖空間の維持はとんでもない問題が山積だな。
姉貴が大型タンカー1千隻なんてメモを取ってるところを見ると、作るつもりじゃないだろうな?