R-111 殺虫剤で怒らせた?
装甲列車の指揮所は小部屋だから、レムリアさんに断ってタバコを楽しむ。
入れてくれたコーヒーは薄めのアメリカンだ。たっぷりと砂糖を入れてマグカップで頂く。
「3姫が頑張ってくれてますから、あまり西にグリードが移動しておりませんね」
「とはいえ、バジュラをあんな感じで酷使すれば、しばらくは休ませねばならない。幸いウルドを上手く離れたからそろそろ戻るんじゃないかな」
「そうなると西への移動を阻止できるのは?」
「イオンクラフト部隊になる。とはいえ、正面のグリードだけでもあれだけの数だ。こちらに回せるのは1個分隊というところだろう」
1個分隊は4機だったはずだ。それにキャルミラさんが混じるんだろうけどね。
閉じた窓に展開した仮想スクリーンにはウルド周辺の地図が表示されている。
この線路を越えられると、北にいる部隊はカルート兵達1個中隊だけになってしまう。1,000匹程度なら何とかなるだろうが、万を超えるようなら問題だ。
まあ、その辺りは姉貴が考えてくれるだろう。
仮想スクリーンで見る限りでは絶望的な敵の数だが、攻撃手段は槍のような足と片手剣のよなアゴだけなのが幸いだ。あれで毒を吐くなんて事になったら始末に負えなかったろう。
現在のウルドの南に群れている数は1千万に近付いている。やはり西に少しずつ膨らんできているな。
「西の浚渫用飛行船も爆撃用として使うそうです。ナパーム弾なら20個を積めるでしょう。ミーミル砦の集積場を拠点とするそうです」
「運用はネコ族って事だね。となれば夜間爆撃にも使えそうだ」
だが、それすら相手の数の前には圧倒されそうだ。バジュラがもう2体ほどあれば良いんだが、あれはちょっとやりすぎてる感じがしないでもない。
「バジュラが移動を始めました。いよいよ私達の戦が始まりますよ」
「ところで、装甲列車の短距離砲はウルドの短距離砲と同じ射程なのかな?」
「飛距離は40M(6km)ですから同じです。狙いはヨルムンガンドの南側になります。グレネードランチャーは3M(450m)程ですからぎりぎり南側を狙えますわ」
簡単に言ってるけど、ヨルムンガンドの北岸には高さ10mを越える堤が伸びている。線路と堤との距離は50m程あるから、南岸までグレネード弾を飛ばすには堤に上らなければ不可能だろう。
南岸への攻撃は砲弾だけで行う事になるだろうな。
となると、この装甲列車の真の目的は、グリードに対する囮と言う事なんだろうか?
長距離打撃力はあまりないが至近距離なら十分にありそうだ。
「ヨルムンガンド南岸への攻撃は砲撃だけで良い。俺達の攻撃目標はヨルムンガンドを渡ったグリードだ」
「数万を相手にすることになりそうですね」
「数万で済めば御の字だ。場合によっては10万を超えるだろう。そのためにのウルドに待機させたイオンクラフトがある」
壁面に仮想スクリーンを大きく展開して、現状を確認する。
ウルドからの砲撃が盛んに行われているが、後続の数が問題だ。万の単位でグリードの総数を示す数が上がっているのがわかる。
「どこまで上がるんでしょうか?」
「すでに1千万を超えてるけど、倍にはならないんじゃないかな。南方への爆撃は継続しているし、進軍途中のグリードにも爆撃は行っているからね」
自分で言ってる事が気休めであることは、レムリアさんも分かっているんだろう。ふうとため息を漏らす。
数日で消耗戦が始まるかと思ったが、5日を過ぎても戦闘は始まらない。
姉貴達いるウルドの砦の東に集結したグリードはゆっくりとヨルムンガンドの水面を赤黒い絨毯のように広げながら砦に迫っている。
だが、砦に近付けば近づくほどに濃密になる弾幕で、いまだ運河の中ほどを過ぎた辺りだ。
この分なら、ユング達の殺虫剤が間に合うんじゃないか?
仮想スクリーンの画面拡大率を縮小してユング達の飛行船を確認してみると、明日にはこの大陸に着く位置にまでやってきている。
どうにか間に合ったと見るべきだろうな。
キャルミラさん達が何度も西に向かおうとするグリード達に原油を入れたタル型の爆弾を投下している。
1個で数百を焼殺できるのだから効果的なんだろうが、相手の数が多すぎるのも問題だな。
昼に爆撃、夜間に魔導士達の【メルト】攻撃で頑張ってくれている。
「始祖様の攻撃であまり西にグリードが移動してこないようにも思えます」
「今のところと考えるべきだな。やがて一斉に北を目指す。それまでに少しでも葬っておかないと、グリードが北米大陸に移動するぞ」
「大陸の東の堤防の戦はまだ目途が立たないんでしょうか?」
「少なくとも数年は見るべきだろうな。すでに大陸を渡る魔族もグリードもいないんだが、東の堤防では今でも悪魔達が押し寄せてくる」
いったいどれ位の数なんだろう?
たぶん億単位なんだろう。開戦からすでに数百年の年月が経過しているはずだ。
2本目のタバコに火を点けると、レムリアさんが残り少なくなった俺のカップにコーヒーを注いでくれた。
しばらくは、現状維持と言う事になるんだろうな。
仮想スクリーンに映し出されるグリードは数kmの大きさで広がっている。その北端はヨルムンガンドの中ほどまで達しているんだが、後続を考えるといくら姉貴達が頑張っても、突破されるのは時間の問題というところだろう。
南の壁の上部回廊には3個小隊以上の兵士がグレネードランチャーとライフルでヨルムンガンドに浮かぶグリードを倒している。
長距離砲と短砲身砲は継続射撃を続けているが、あれだけ継続していると砲身冷却の時間が欲しくなるな。
突然、砲弾の炸裂が止まると、イオンクラフトによる爆撃が始まったようだ。ナパーム弾の火炎がここからでも良く見える。
「爆撃の後は南に向かって機銃掃射をしているようですね。被害推定は2万を超えています」
「正に数の脅威だな。砲身冷却と砲弾の集積で今頃砦の広場は大忙しだろう。装甲列車の短砲身砲の砲弾はどれ位あるんだ?」
「各砲門共に120発。西に50km地点の集積所に砲弾を1000発運んであります。銃弾、爆裂球、食料も準備していますよ」
素早く砲弾を撃って後方に下がると言うことだな。
ユング達がこっちに来るかと思っていたが、真っ直ぐにグリードの巣穴に向かって行った。
やがて、飛行船を低空飛行させながら、殺虫剤を撒き始めたのがわかる。30分も掛からずに作業を終えると、真っ直ぐに東へと去って行った。
「あれで効果があるんでしょうか?」
「たぶんね。少なくとも10日は後続が絶たれる。その上、薬剤の効果は長く残るから、一旦進軍が止まることになるだろうな。直ぐに戻ったところを見ると、次も薬剤を散布するつもりのようだ」
バタン! と扉が開いて通信兵が隣の部屋から飛び出して来た。
「後車のディー殿からアキト殿へ電文です」
テーブルに広げられたメモには、南大陸中央部の森林地帯に注目と書かれていた。
「ディーをここに呼んでくれないか? これだけでは俺達には分らないからな」
通信兵は、俺に頷くと隣の部屋に消えて行った。
すでに、仮想スクリーンを大きく開いて大陸中央部を映し出している。いったい何があるというのだろう。
「薬剤の散布で悶えるグリードが見えるだけですが……」
「かなりの効果と言う事だろう。もう1度散布すれば長期に渡って効果があると思うんだけどね」
ユングがとんぼ返りをしたのもそれが目的だろう。さらに範囲を広げた散布を計画しているに違いない。
バタンと扉が開かれ、再び通信兵が現れた。
「至急、ウルドの総司令に回線を開いてください。かなり焦っているようでした」
「了解した」
バッグから通信器を取り出すと、姉貴の回線に合わせる。ディーと姉貴の危惧は同じものなんだろうか?
回線を開くと直ぐに姉貴の声が通信機から聞こえて来た。
「急いで仮想スクリーンを開いて、ユングの薬剤散布地点からグリードの群れをウルドにたどりなさい。始まるわよ。総力戦になるわ。ユングはミーミル砦に急行して補給を受けるそうよ。アキト達も覚悟を決めてね」
慌てて、仮想スクリーンを眺める。姉貴の言った通りにグリードの群れをたどると……。
これか! 移動速度が急激に増している。それが少しずつ先頭に伝搬しているようだ。まだ数十km程のところまでだが、どんどん先頭に向かって進んでいるし、速度も上がっているように思える。
「何で急に!」
「種の危機を認識したのかもしれないな。いずれはそうなるんだ。少し早まったと見るべきだろう。俺達も前進するぞ。少しでもグリードの数を減らさねばならん」
「了解です。短砲身砲で攻撃、全弾を放った後、後退して砲弾を補給」
後ろで成り行きを見ていた士官に告げると、直ぐに士官が通信室に向かった。
扉が開いて、ディーが入ってきた。
すでに対応は出来ているから、ディーからの報告は何も無い。
「ディー、ヨルムンガンドの南岸から東にグリードを刈り取ってくれるか? 夕暮れ前には戻ってきてほしい」
「了解です。まだ昼過ぎですから、この付近を南北に移動して発射します」
屋根のハッチを開けると、ディーが屋根に登って行く。装甲列車の乗り降り場所は列車の前後にあるだけだからな。天井のハッチは各車両にあるから丁度良いと思ったんだろう。
仮想スクリーンをウルド周辺に向けると、イオンクラフトの編隊が南に向かって飛んでいくのが見える。数が多いから直援部隊までも動員しているようだ。キャルミラさん達も2機のイオンクラフトを従えてウルドの南西を爆撃している。
さらに大型飛行船まで出発させるらしい。一斉攻撃が始まる前に可能な限り数を減らす考えだな。
チラリと仮想スクリーンの右上に表示された数字を見る。16,585。ウルドの南に集結したグリードの数だ。単位は千匹なんだが、気の遠くなるような数だ。
ユングの投下した殺虫剤で助かったグリードが進撃速度を上げた理由はバビロン辺りが調べてくれるだろう。俺達は迎撃だけを考えれば良い。