R-001 元旦
ユグドラシルシリーズの最終章です。
『ユグドラシルの樹の下で』でヒズミと呼ばれる次元断層からジェイナス世界にやってくるルシファーの来訪を止めるために『異界のマキナ』で登場するユング達と協力して2つ大きなヒズミを破壊しました。ですが、既にジェイナスには彼らの大きな版図が築かれていました。
ヒズミを破壊して数百年後の世界を『エイダス島物語』として描きました。そこでは、ついにルシファー達の軍勢は明人達の住む土地に東西から押し寄せて来た状況をエンディングにしています。
『Over the Rainbow』では、『エイダス島物語』から数百年後の世界、ルシファーへの反攻作戦を書きたいと思っています。
戦記物に近いような物語になると思いますが、先の3つの物語を読んで頂いた皆さんには最後までお付合い願いたいと思っています。
題名はエンディングの情景から名付けました。
連合王国暦1015年。ネウサナトラム特区の新年は深い雪の中で迎えた。
元旦を、例年のようにユング達を交えてゼンザイで祝い、のんびりと1日を過ごす。
今の俺達を訪ねてくる者はあまりいない。少し寂しさを感じる時もあるが、姉貴が望んだ俺達だけの慎ましい暮らしとは少し違うようだ。
「昔は、スノーガトルが出おったが、今ではそんな話も聞かぬのう」
残念そうな顔をしてアルトさんが口直しの紅茶を飲んでいる。
ユングも苦笑いしているな。彼が飲んでいるのは俺と同じコーヒーだ。フラウ達が紅茶党だから、コーヒーを飲みたい時はこの家にやって来る。
「それだけ山岳猟兵が優秀だという事だよ。ハンターも以前と比べて半減してるし、銀レベルは10人もいまい」
「その為にレベルを銀、黒、青、白、赤に細分化している。昔程無茶をするハンターは少なくなっているぞ」
確かにレベルの細分化を行ってからは、狩りで亡くなる者や大怪我をする者が激減したことは確かだ。
「とは言え、獲物が少なくなってきたことは確かだな」
ユングの言葉にアルトさんも頷いている。俺と姉貴は顔を見合わせた。
今ではグライザムの目撃例等滅多に聞くことはない。毎年の狩猟期でも大型のイネガルやリスティンの数は50頭に達することはなくなった。俺達が最初に狩猟期に参加したときは1度に50頭以上のリスティンを狩ったものなんだけどね。
「暮らしの向上と獲物の減少って、関係があるのかな?」
「直接的には無くても関係はしてるんだろうね。大型の獣はアトレイムの北西の山や、テーバイの北東に行かなければ出会えないんじゃないかな」
姉貴にそう答えたけれど、このままではネウサナトラムの名物行事である狩猟期がなくなってしまいそうだ。
そんなことにならないように、北の森から以北は狩猟期以外の狩りを禁止しているのが現状だ。
「商会が西の牧畜民に依頼して、イネガルやリスティンを育てているようですから、食肉の需要には問題がないと思いますけど……」
「あれは家畜になりつつあるな。だけど野生種の方がまだまだ需要が高いことも確かだぞ」
ハンターも狩猟をこなせるチームは少なくなっている。
武器は持っているのだが、多くは自衛用だ。獲物を解体できないハンターまでいるらしい。それでも、薬草の需要は以前より多品種に及んでいる。
ギルドの依頼掲示板の8割は、そんな薬草採取の依頼に変わってきている。
これで良かったのだろうか?
たまに、ふと考えるときがある。未だに悪魔との戦は続いているけど、それは何百kmも離れた土地だ。堅固な堤防のような石垣で俺達の版図に彼等が入ってくることはない。
100万を超える人々が暮らしているのだが、その内どれぐらいの人々が戦の意味を知っているのだろう。
「どうじゃ。岬の別荘に出かけてガンダルーを釣るのは?」
「確かに、あれだけは減ることがないな。干せば良い値で売れるらしい。少し小遣い稼ぎに出掛けるか?」
アルトさんの言葉にユングさんが賛成している。
殆ど見分けが付かないけど、キャルミラさんも微笑んでいるようだ。初めて食べた時は1匹まるまる食べてしまったからな。やみつきになったか?
「そうね。あそこなら暖かいし、しばらくサマルカンドにも行っていないわ。アキト、行きましょうよ!」
「う~ん。だけど、10日ぐらいで帰らなくちゃならないよ。会議が今月の中にはあるからね」
連合王国の重鎮達が毎年この季節に、この村にある議事場に集まる。そこで1年の計画が話し合われるのだ。
「だいじょうぶじゃ。それまでには帰れるじゃろう。エントラムズに寄ってそれからサマルカンド、最後に別荘で良いじゃろう。ディー、連絡を頼むぞ。我は出掛けてくるのじゃ!」
そう言って、毛皮の外套を纏うと家を出て行った。
そんなアルトさんを眺めてユング達は席を立つ。
「明日の朝で良いな。たぶん亀に寄っていくんだろう。明人、釣竿を用意しといてくれよ」
3人揃って家を出て行ったけど、ユング達は木綿の上下だ。ジーンズ生地で作ってあるから屋内では十分だろうけど、普通の連中だったら凍えてしまうだろうな。
いくらサマルカンドが南方の土地とはいえ、真冬だから水着はいらんだろう。
短パンにTシャツを用意して、釣竿を数本魔法の袋に詰め込んでおく。
ディーはロープの付いた銛を3本用意しているけど、姉貴とキャルミラさんは拳銃の弾丸を確認してるぞ。
「モーニングスターも有効じゃないかしら?」
「それは我が用意しておくのじゃ。2個あれば十分じゃろう」
確かに有効かも知れない。ガンダルーの頭は固いからな。
次の日、湖に張り出したテラスのような庭の石畳にユング達の操るイオンクラフトが着陸した。
ユグドラシルから贈られた2機目のイオンクラフトだが、ユング達の改造で元の面影は殆どない。前はトラックのような荷台があったのだが、いまでは荷物は全て機内に搭載されるようになっている。その荷台の両側にベンチシートがあって最大10人程が座れるのだが、クッションはないんだよな。毛布を4つ折にしてクッション代わりにして俺達は座り込んだ。
「忘れ物はないか? 出発するぞ!」
ゆっくりと機体が浮上すると、地上200m程の高さを南西に向けてイオンクラフトは滑るように飛んで行く。
「岬の別荘は久しぶりじゃな。果樹園の浜辺で釣りをするのか?」
「沢山釣れれば、神殿のシスターに手伝ってもらいましょう。ワインが貰えるかも知れないわよ」
捕らぬタヌキの話をしているな。
それでも姉貴とアルトさんは花束を2つ持っている。日本ならお線香も持って行きたいところだがこの世界にはそんな風習はない。
1時間ほど過ぎると、眼下にエントラムズの王都が見えて来た。そろそろ最初の立寄り場所だな。
ゆっくりとイオンクラフトが速度を緩めて、降下しだした。
やがて、軽いショックが伝わって着地したことが分かる。座席のベルトを外して扉を開けると、100m程先に巨大なガルパス像がある。
「早くするのじゃ!」
周囲を眺めていた俺と姉貴にアルトさんが呼んでいる。俺達は巨大なガルパス像に向かって無言で歩き始めた。
ガルパス像の前の献花台には沢山の花束が供えられている。少し奥まった6本の旗竿の5本には旗が翻っている。風林火山は作戦本部の旗だし、赤字に黒の十字は夜戦部隊の旗だ。残りの2つもかつて戦場に勇ましくたなびいた旗だが、ここにやって来る連中でその旗の起源を知るものがどれだけいるのだろうか?
ここを守る亀兵隊が参拝する人々をさばいている。不道徳な者はいないと思うけど、千年近く続いている光景だ。聞いた話では、名誉職としてこの巨大な墳墓の守り手になりたい者は多いらしい。俺達が献花の列に並んでいると、目ざとく俺達を見つけた亀兵隊の兵士が駆け寄ってきた。
「何も、皆と一緒に並ばずとも……。私が、先導します!」
「いや、それには及ばない。俺達も今では一介のハンターだからな。それに、今でもこれだけの人達に慕われているのが直に伝わってくるからね」
俺達に頭を軽く下げると、亀兵隊は再び警備に戻って行く。
そんなやりとりを聞いて、列の前後の人達が不思議な顔をして俺達を見ていた。
ようやく俺達の番になると、姉貴とアルトさんが花束を献花台に捧げて、その後方で俺達は目を閉じて手を合わせた。
1千年の遥か昔に俺達と共に連合王国の建国に寄与した3人の娘達がこの像の中で静か眠りについている。
たまに姉貴が懐かしそうに昔の画像を眺めている時があるのだが、その横顔は寂しそうだ。いつも一緒だったからな。あれからは、あまり連合王国に関与しなくなってきたが、今でも連合王国の重鎮達は俺達の意見を尊重してくれている。
献花を終えて、ガルパス像を後にイオンクラフトに歩き出したときに、誰かの視線を感じて振り返った。
巨大なガルパス像の上に、誰かが乗っている。
俺が気付いたことを知って手を振っているようだ。あれは……。
「どうしたのじゃ?」
「誰かが、ガルパス像の上に乗って俺に手を振っていたんだ。……あれ? 誰もいないな」
何時の間にか3人の姿は消えていた。
「警備は厳重じゃ。誰も乗れるわけがない。なにかの見間違いじゃろう」
そう言って、俺の視線の先をアルトさんが確認していた。
だけど、確かにいたんだよな。
イオンクラフトに乗り込むと、すぐに南西に飛び立つ。
先程の話を姉貴が聞いて、俺に微笑んでいる。姉貴も見たことがあるのかも知れないな。
「今度はサマルカンドじゃな。あの大きな池が林に囲まれるとは思わなかったのじゃ」
アトレイム王都の北を流れる川から水路を作った終点には大きな池を作ってある。用水路の水量調節用の池なんだが、今ではサマルカンドの名所の1つになっているようだ。
池の西には豊かな畑が広がり、その灌漑用水にも池の水は利用されている。
「作った頃は焚き木をカナトールや狩猟民族の版図からも輸送していたからね。今では豊かな森林がアトレイムに沢山できている」
「じゃが、まだ獣が森に住まないのじゃ。ハンターは薬草採取が精々じゃ」
人工の森林には中々獣が住まない。植生に問題があるのだろうか? 連合王国アカデミーの連中が追跡調査をしているが、結論はまだ出ていないようだ。
「見えてきたよ。いつ見ても蒼のモスクは綺麗よね」
姉貴が自画自賛してるけど、確かに綺麗なことは確かだ。俺達は体を回して窓から見えるモスクの姿を堪能する。
「あれは綺麗じゃな。よくもこんな場所に作ったものじゃ」
「ですが、蓄えをほぼ放出してしまいました。2度とは作れませんね」
イオンクラフトは、蒼のモスクの前にある広場に着陸する。
すぐに町の警備兵がイオンクラフトを取巻いて警備に入ってくれた。
俺達は、再び花束を持って蒼のモスクに向かう。
蒼のモスクは4つの神を祀る分神殿を納めた建物だ。中に入ると大きなホールの中心に分神殿が納められている。
大勢の巡礼者の列に並びながら、ガルパス像の時と同じように順番を待つ。
やがて俺達の順番が来ると、姉貴とアルトさんが花束を捧げる。
この分神殿の真下にある納骨堂には、アテーナイ様やシュタイン様が眠っている。
「王族の墓所よりこの場所のほうが賑やかで良い」とアテーナイ様は言っていたけど、確かに巡礼者の数は多いな。本当は単なる分神殿なんだけどね。