第一話 大魔王の仕事。そして日常。
何もかもがそうであるように、突き詰めていけば遊びは遊びではなくなる。
かつては机上の遊戯であったRPGも、今や立派な人気異界電脳スポーツである。
今や架空の世界の出来事は絵空事ではなく、単に現実的な世界を描き出すにとどまらない。例えば魔法が実在するという様な荒唐無稽な世界が電脳空間では構築可能なのだ。現実の物理法則にとらわれない電脳世界で行われる電脳スポーツの中でも、特に人気が高いのがRPGだ。
かつては一人のGMによって語られ、紙とペンで記された世界は今や計算機の中にあり、同時に参加する遊び手も、一度に多くて五人程度が一所に集まっていたのが、今や全世界にバラバラに存在する数千万人であることも珍しくない。そうした変化とともに、ゲームの中に存在した一貫したストーリーは今や存在しない。
かつてストーリー上で演じられた役柄という概念は廃れ、設定された目標へ至るために課される役割という意味を濃くしている。
プレイヤーは電脳上の架空の肉体を持ち、様々な探題に挑むことができる。
ゲーム会社が提供する世界の中で、プレイヤーは予め用意されたものや、それ以外の遊びを相互に提供することもできる。
危険な電脳上の猛獣を相手取って動物狩りをするもよし、徒弟集団同士での模擬戦争を楽しむもよし。あるいは複雑な迷宮を踏破するもいい。最近の流行は、個人またはギルド間で相互に難題や使命を課すというものだ。
ところで。
結局のところRPGは遊びだが、突き詰めていけばそれは闘争である。いまだ人間の完全に飼いならすに至らない宿痾に他ならない。あるがままに放置すれば、プレイヤー間の遊びやがて行き着くところへ至るだろう。
そこで大魔王の出番になる。
僕の仕事は、プレイヤーに共通の目標であることだ。
プレイヤーには決して得られない肉体の強度と、専用の武具に、幾つもの固有スキル。それからただの人間には健康上不可能な常時接続による経験値。これらを武器にして、僕はプレイヤーに立ちはだかるという寸法だ。
常、日頃からの如く。
今、この時のように。
「――――――――――――――――――っ」
意識が途切れていた。
現状確認のためにロガーを起動。並行して適当な魔法を選択して励起、発動直前で凍結。
直前に大魔法がみっつ発動するのを確認してはいたが、現状確認の方が先と判断する。だが、盾役の背後から忍び寄る暗殺者の存在は看過しておけない。魔法の発動により移動距離は制限されるために逃げ切れない。突撃を潰すためにあえて白刃に身をさらす。驚愕に目を見開く暗殺者と目があって、意味もなく微笑む。
敵方火力の魔法が発動。熱属性と物体属性が一つ。遅れてくる切断属性は本命と見せかけた牽制で、此方の移動を制限するためのもの。絵にかいたような三つ首竜の定石。回避する敵を絡め取る罠。あえて最初から避けないのが定石。
部位はどこであれダメージは眼に来る。減衰された痛覚の代替表現としての赤色視界。多段ダメージが視界を赤く明滅させて不快なので、一時的に痛覚の減衰と補助情報を殺す。途端に湧きだす熱のような痛み。務めて危険信号として丸呑みする。何よりも僕自身の動揺こそが大敵だった。
遡行する最軽量のログが僕の現状を教えてくれる。
満身創痍、それは知ってる。先手を譲って構築した強化魔法群の消失、予想の範疇。散発的に打ち込まれる弱体はいつもの事でしかない。武器はどこかに弾き飛ばされ、この戦闘では帰ってこないものと思った方がいい。
意識を失った理由を探す。
十中八九、敵方の武器に付与された気絶属性。他の要因は考えにくい。挑戦者の人数と構成では有効なスタン系の魔法を撃つ暇などありはしない。短剣大剣飛刀に弓矢、候補は総勢七種類十三個。ログを辿って検索する。
魔法火力偏重今度のパーティの構成からして、武具強化に必要な素材は盾役に優先的に回されたはず。誰もがスタン属性を持っていたわけがない。スタン属性の不確実さからも考えて、実用レベルに仕上げたのはおそらく一振り。だが、その一振り、その一撃が僕の意識を刈り取った刹那、勢いは完全に敵に持って行かれてしまった。強化できず対策も不能な代わりに不確実なバステにかけるその心意気を買わないでもないし、それで僕はやられているのだ。
正統な構成にも穴はないわけではなく、僕もそこに対処する。だからこそ自らの穴から敵に穴を開けようとする奇手が意味を持つ。
分の悪い賭けを仕掛けてくる奴らこそが巨人の天敵だ。
辿っていたログを止める。見つけた。暗殺剣と弓矢と馬上槍。三距離三種六個の武器からくる多重攻撃。これまでに都合五回繰り返されたこれこそが、スタンを誘発する必殺の攻勢。弱点をカバーし合い的中率を挙げた割には致命的ではない、単なる片手間の削りと侮っていたが――侮っていた。
ログを放棄。全力移動で一歩、敵火力へ。見え見えのフェイントだが盾役は動かざるを得ない。もう一歩の全力移動は真横へ。騎兵が乗騎の脚を庇うように槍を構える。バックステップと同時に本命、後ろ向きの一撃。当たるを幸い僕の脇腹に穴を開けた暗殺者を蹴り殺す。最後に踏みつけで蘇生が叶わない様に破壊。詠唱していた呪文は瞬間的な武器の作成だが、これはもう使い切った囮で発動して風切り音と共に消えるに任せる。データに昇華されていく暗殺者はうら若い少女だった。虚を突かれたような色を浮かべる瞳が一瞬更に深く淀み、そして全身が消える。
まず一人。
いや、ログによればもう一ダースは斃している。
そんなことをしている間にも、上級呪文を潰そうと絶え間ない広範囲攻撃が撃ち込まれてくる。ダメージはないが、ある種の複雑な行動はキャンセルさせられてしまう。
牽制役の魔導師が二人に弓手が三人。本命である火力が魔道師三人。盾役が二人減って五人。楔形の陣形を作ってこちらの隙きを伺う騎手が三人に空の馬が三頭。視認できないが六人ほど潰した暗殺者はもう数人もいないだろう。何人かは呪歌も口遊んでいるし、全員が何らかの霊薬を準備している。
状況はいつもの様に危機的だ。
吠える。
空想上の血管に、計算上の数値が設定される。
当るを幸い殴りつけ、奔る長靴で踏み躙る。
呪文を解凍。制限機動の檻の中、弧を描きながら次なる獲物へ疾駆する。
視界の端から痺れを切らした騎兵が突っ込んでくる。それは囮だ。見なくてもその後ろから弓兵が騎兵もろとも僕を穿たんと虎の子の魔法の矢を番えているのがわかる。それさえ布石。戦場に潜伏しているはずの暗殺者の気配が不自然に薄い。再度大魔法の爆撃――否。それは盾役どもが手にしていたまま一度も僕へ振るわなかった武器を放り捨てる理由を説明しない。
いや。
話は単純、狙いは明白。騎兵の突撃という好機に暗殺者が下がるのは、それは道を開けているだけの事。
――波状攻撃!
騎兵の乗騎を狙って接触即死の魔法を繰り出す。毒手と化した右手を避けて獣が左右に分かれていく。繰り出される槍はそのわずかな距離が僕から遠ざけ無為と化す。頭をかすめて魔法の矢が霰のように飛んでいく。
うるさい蹄の音が後ろへ抜けていき、そこに隠れて駆け寄ってきた盾役どもが僕を押し囲む。握手を求める様にその一人に近づき手で触れ呪殺する。包囲に穴が開き、浮き足立って抑えにかかる。勿論そんなものは一顧だにしない。どこかに隠れていた暗殺者が殺到し、勝手に激突して盾たちの連携に一石を投じる。
魔法が解けた手で、今度こそ普通に盾の一人をなぐり殺す。死体が残る。蘇生を潰すための追撃は今回ばかりは必要ない。
追撃が来る。
いや、すでにもうここに来ている。ここにいるのが本命だ。
もはやこれまでと重騎兵たちがめいめいに霊薬を口に運ぶ。思ったとおりの緑色。これは通常錬金術の失敗や副産物として出る劇物で、軽量データには無害なくせに、人間が飲めばどんな勇者も命はない産廃だ。
盾約どもの所業は文字通りの自殺行為だが、受けた致命的なダメージを他者にも伝染させる道連れのアミュレットと組み合わせれば一発限りの爆薬と化す。それがもう、一斉に戦士たちの口の中へ。対象は敵対、効果範囲は禍つ鎖の支援を受けて半径三十メートル。
逃げられない。
その必要もない。
特殊スキルを発動。
範囲は全体、種別は回復。時機は割り込み、抵抗は無意味。――PLへの問答無用の絶対回復を行使する。戦闘直前以外にも行使していけない法などない。そして傷一つ付かなければ、道連れのアミュレットもただの玩具だ。
毒は単なる苦味と消える。死体は生き返り、死体さえ潰されたPLも最終消滅位置で復活する。
「――――――――――――――――――――!?」
広がる動揺に乗って軽やかに。
戦闘が始まって以来の魔法発動のための移動制限抜きで、僕は一塊になっていた魔術師と弓手に接近する。
騎兵は突撃の勢いを殺すため、重戦士と暗殺者は蘇生した分も含めて過密に過ぎて、誰も碌に身動きが取れないでいる。
剥かれた貝を平らげる様なもの。
軟な後衛を狩るのに魔法は無用。
後は簡単。
火力を塵殺されたパーティを、虱潰しに血祭りに上げるだけ。僕はあと数回の攻撃をうければ致命傷なのに対して、敵方はまだ火力以外が全員無傷で立ち上がったところだが――何も問題はない。
きっと五分もかからない。
挑戦者は殲滅する。
そのために僕は全身全霊、全知全能を駆使して臨む。
これが大魔王の業務。
これも、ひとつ終わればどうせ次の挑戦者が現れるだけの、何という事もない繰り返し作業だ。