プロローグ
さえない商社マンの父親が、どういう伝手でかを見つけてくれた僕の死後の仕事というのは、RPGの大魔王だった。
さえない商社マンの父親が、どういう伝手でかを見つけてくれた僕の死後の仕事というのは、RPGの大魔王だった。
もちろん、事実は正確に述べる必要があるだろう。
父親がさえないというのは、きっと正しくない。僕は彼の多くを知らない。仕事をしているところを知らない。いや、僕はベッドの外のことを何も知らない。けれども、父は僕の中でさえない男だった。いつも疲れていて、ぼんやりと笑っている。
もちろんわかっている。それは僕のためなのだ。僕の治療費のために働いて、働いて、働いて。そのうえでの精いっぱいの笑顔なのだと、僕にはわかっている。身動きのできない人間は、目も耳も持っていないと信じる人間は医療関係者の中にも存在するのだ。僕はいろんなことを知っていた。多くの人が、誰も聞かないと思って僕のそばで嘘偽りないことをしゃべった。
父は自分の仕事が商社勤めだとも僕に語っていないことを覚えているだろうか。ある日から父は医療機器関連の担当を外れて、電子工学、情報工学、人工知能の研究機関を回るようになった。父からの心づけが減ったことを苦々しく愚痴る検診の医師の言葉の端々から、僕はいつか来るこの日のことを予想しつつあった。
そして、そしてだ。
僕は、決して死ぬわけではない。少なくとも法律上はそうだし、という事は大多数の人間がそう考えており、もちろん両親もそう考えている。そう考える人間に僕も含めていい。
少なくとも今、僕が生きているとするならば。
人の生死をどこで区切るのか、人類は未だ最終的な回答を見いだせてはいない。
けれども、僕のような状態を少なくない人間は死んでいると判定するのではないか?
例えば僕は、既に脳死判定を受けている。
そしてそれを言うなら、もはや正常に動いている器官など一つもない。
僕の天辺からつま先まで、どこを切り開いても変わり映えのない蛋白質と脂肪と、それを支えるカルシウムの塊だ。それを維持しているのはそこかしこに差し込まれたチューブと電極と、その先に繋がっている幾つもの機械である。
脳だってそのご多分に漏れず、頭部に鎮座する一キログラムほどの灰色の神経細胞群は、どうせお互いに認識もできない信号を発作的に送りあっているだけの残骸でしかない。そうなったのは半ば先天的に脆弱だったからで、もう半ばは度重なる投薬と施術によるものだが、こうでもしなければ形ばかりの機能もできなかったのだから仕方がない。
ただ、五年前から繋がれている思考補助ドローン群が「補佐」しているせいで、この「僕」という意思が保たれている。他の器官が、人工臓器に繋がれて面目上の働きを済ませているのと同じように。
僕は考え、感じることができる。
インターフェイスを介して僕は両親や、医師たちと会話を交わすことができる。慰みにと与えられた回線を介して、公開公衆カメラで街角や自然公園などを見たり、気象監視機器群を介して地球の熱と大気のうねりを感じることができる。個人的な銀行口座で支払いもできるし、そのお金で義体を借りてゲームを楽しむこともできる。
僕の生まれるちょっと前から、腕が無い人間でも足が無い人間でも手足の揃った人間と同じように過ごせるようになった。生体情報技術のちょっとした応用という奴だ。
脳のない人間も、そこに加わることができるのだろうか。
僕は疑問だ。
だが、両親ができると祈っているのなら、僕には是非もない。
もちろん、現代医学経済の悪意を疑うほどの金食い虫である僕の肉体を完全破棄する理由が、経済的理由でも構わない。それがどれだけ両親のすべてを束縛してきたかを、僕は承知している。
でも本当はもっと愚かしい。
両親は、どうせ望みのない医療技術の進歩を祈るより、未だ未開拓であるが故にそこを言い表す方とて寡ない電脳世界に僕の幸せを託したのだ。
そういう次第で、僕は電脳人間として生き永らえる事になった。
怖ろしいことに別に第一号ではない。世界中で色々な人間が電脳上の存在として生きることを選択しており、その数はダースの一つ上の単位で数える程になっている。割と狂気の沙汰だ。
お決まりの高高度チューリングテストから規定数の合格を勝ち取った後、役所から吐き出された人権を保障する幾つもの診断書を引っ提げて、僕は会社の人間と引き合わされて、最終的な契約内容を詰めた。
老舗の仮想現実サービスを提供する彼らは、今度始める二級演算世界を使ったRPGにおいて仮想世界に常駐できる管理人の存在を必要としていた。もちろん生身の人間には不可能な条件だ。国連で提起され、わが国でも比重されている七つの労働基準と、三つの生命保全勧告を無視する提案だ。
僕ならできた。
VR内に残留したまま休暇を消化する事はすでに判例があり可能だという。また、『健康で文化的な最低限度の生活』というものを奪うとされている仮想現実も、僕のような存在にとってみれば生活をよりよくする道具となりうるのだとか。
正直、彼らがそこまでして「生」の人間を雇う理由が僕には理解不能だった。
だがそれでもいい。すべて詐欺でもよかったのだ。その時は単に死ねるだけの事。
契約によれば、僕の存在維持費は、全て僕の給与で賄う事が出来た。
願ってもないことだったが、僕は経済的独立を手にしたのだ。
その日が来て、僕は突然、荘厳な大広間にしつらえられた玉座に座っている自分を発見した。
指向性を持たされた音声や文字情報と、そして強制認識からの三つのメッセージが、僕が第三種GM権限を有して第一種ロール『大魔王』に就任したことを告げた。
外では何か小難しい作業で、僕の肉体からすべての思考補助機器を引き抜いて、電脳複製された僕の脳につなぎ、睡眠状態の一個のユニットとして完結させた後開戦から仮想現実に繋いで……という感じの作業が進められた。
技術的なことはよくわからないが、そのような認識でよかったはずだ。僕の意識的には一瞬の事だった。はああ、これが存在時差かと余り感慨もなく思ったが、後でその認識は違うと指摘された。僕は単に手術の間麻酔をかけられていたようなものでしかなかった。
少し昔の通念において、僕は完全に死んだ。
だが、その結果は僕が想像していたものとは、少し趣が違った。
今僕は完全に自分のものとしてふるまえる――それが完全に電脳上のものであれ、それが何だ――肉体をもって、ここにいる。僕はここにいる。
不意にそう思って僕は涙した。第二種仮想現実では外的な肉体反応は全て実装されている。表情が付くれえるし、それに伴う効果も完備されている。僕をモニターしているのだろう、システムから間髪入れずに質問が来たが、僕は何とか答えて済ませた。
そういえば、涙を流したのは七年ぶりだった。その頃に涙腺を含め顔面丸ごと腐り落ちたのだから間違いはないはずだ。
僕は思わず手を揉みあわせ、それからたたらを踏み、少し寒いなと思った。髪を備えた頭はあまり重くはないが、ちくちくした。着せられていた荘厳な衣装が衣擦れして少し耳障りだし、何よりやたらに重く感じられた。身動きするたび金具が取り残されるように動くからだ。
再度僕の調子を問いかけるシステムに、何も問題ないと返して、僕は涙をぬぐった。その跡が一瞬目じりに冷たく残って、すぐに消えた。
そして、大魔王としての僕の生活が始まった。