6冊目「クラスティさん異言を発する」(前編)
大規模オンラインRPG、〈エルダー・テイル〉。
この、剣と魔法の本格ファンタジーゲームにおいて、日本サーバー最大の規模を誇る集団が、〈D.D.D〉である。
今日も、そのメンバーを束ねるスタッフメンバーたちが、今後の運営と活動の方針を確認すべく、ミーティングを行っていた。
「そいじゃ、次の大規模戦闘は『武天帝の帰還』の最新クエストに挑むってことで日程を調整しようか。リーゼのお嬢とユタの坊主は、新人メンバーの中から、実働部隊に昇格する者を選抜しておいてくれ」
「承知しましたわ」
「あいよ」
「高山女史は、戦闘哨戒班の日程調整を頼む。実働部隊の日程調整とメンバー選抜は俺と大将に任せてもらおう。サイトの方はいつも通り、ゴザルに任せるぜ」
「わかりました」
「了解でゴザル!」
「では、今日の会議はここまでとしよう」
「おつかれさまでゴザル!」
「祭りの前の静けさ……ハジマリのオワリ……右腕が、哭く……」
「平常運転中二乙」
ギルドマスターの〈狂戦士〉クラスティが宣言すると、集っていたメンバーたちが三々五々に散っていく。
これから、個人としてクエストに挑む者、迫る大規模な作戦に備えて装備や道具を充実させる者、スタッフとしての作業に臨む者……。
だが、少なくない人数が会議後もギルドルームにとどまったまま、というのがいつもの光景だった。
話し合いで詰めきらなかったところを有志で調整する、なんていうマジメな理由ではない。
ミーティングの後にはぐだぐだと益体もない話で時間を潰すのが、一部のスタッフたちの楽しみなのである。
「しっかし、三羽烏シールは大当たりだったな。あれでだいぶレイドで使えるメンバーが増えたんじゃないか?」
「目に見える形で自分の行動が認められれば、やる気は出るものです」
「それだけじゃあない気がするのでゴザルが……まあ、結果オーライでゴザルよ」
「でもさ、別に採点者は私たちだけじゃなくてもいい気がするんだけど。具体的にはそこのメガネの人とか、マスターのお仕事としてやっていいと思う」
「僕のシールと、三人のシールでは価値が違うからね。客観的な価値ではなく、心情的な価値において、だよ。労力対顧客満足度を考えれば、今の体制が最適解だと思わないかい?」
「わ、私は、御主人様のよくできましたシールなら集めまくりますわ……」
「ボケならはっきり口にしろよ。ぼそぼそ言われたら隣で聞いてるこっちが恥ずかしいわ!」
「だ、誰がボケですかーっ!」
「夫婦喧嘩乙」
「「誰がコイツなんかと!!」」
ボイスチャットによる雑談は、ほとんど顔を突き合わせたそれと同じ軽妙さで言葉が飛び交う。
言葉のキャッチボールというよりは弾幕が飛び交う戦場に、異質な電子音が響き渡った。
ゲームの効果音ではない。プレイヤーのマイクが、外部からの音声を拾ったものだ。
その音源は、ギルドマスター、クラスティ。
「……と、職場から電話のようだ。少し席を外すよ」
いまどき着信メロディですらない無機質な音楽が、クラスティのプレイヤーの電話の呼び出し音であったらしい。
思わず他のプレイヤーたちは手元の時計を確認する。
今日は土曜日。日付が変わって一時間が過ぎている。
「マスターさん、この時間にお仕事の電話ですかー。大変ですねー」
「ああ、最近は少ない方だぞ? 数年前はもっと頻繁だった。一度なんか、大規模戦闘中に緊急の電話とかで、電話しながらテキストチャットでプレイしてたこともあったっけな」
「どんなブラック企業に勤めてンだよっ!?」
「ユタ、この程度でブラックとか言っちゃダメだよ。世の中、下には下があるんだからさ。はあ」
「先輩、お疲れ様です……」
「やべ。俺、地雷踏みました?」
「このバカっ。暇人学生の癖に、社会人のお姉さまを疲れさせてどうするのよ!」
「し、知らねぇよ! っていうかテメェが言うか!? 社会人の機微理解しろとか、色々無理だって!」
「まあ、隊長の場合には、勤めているというか、率いているというか……」
「若き経営者MAJIDE!?」
「さ、さすが御主人様」
「いえ、話を漏れ聞いた限りでの私の推測ですが」
「あの人ならさもありなんで……あれ? マスター、テキストチャットモードになったでゴザルよ?」
〈エルダー・テイル〉では意思疎通に、マイクによる音声入力を利用したリアルタイムのボイスチャットシステムを用いるのが主流である。
しかし、設備や様々な事情によりボイスチャットが困難なケースもあるため、キーボード入力によるテキストチャット機能にも対応している。
ゲーム内のキャラクターになりきり演技する遊び方にこだわる、ロールプレイヤーと呼ばれるタイプのプレイヤーの中には、自分の声でキャラクターイメージを損ないたくないという理由でテキストチャットにこだわる者もいる。メジャーではないが、需要はある機能なのである。
だが。
『798i.l4rw3bv』
テキストチャットの発言画面に現れたのは、謎の文字。
「……ぇ?」
「ちょ、どうしたでゴザルか!?」
「禁断の呪文……その意味を解読したとき、〈D.D.D〉創設の秘密が明かされる……」
「ねぇよっ! どう見てもなんか間違ってキーボード押しちゃいました的な何かだろうがっ!」
『9/l,6yhrb』
「ま、また! ど、どうしたでゴザル? まさかとは思うが……寝落ちでゴザルか?」
「はは、大将と数年つるんでるが、こいつは珍しいな。可愛いとこあんじゃねえか」
「だ、大丈夫でしょうか、御主人様。何か毛布でもかけて差し上げられればいいのですけど」
「……寝落ちで突っ伏したにしては、連続で押されたキーボードの範囲が狭くないでしょうか。これは、もっと小さな、そう、指2~3本分の、子供の手のひらくらいの……」
騒然となるギルドルーム。
全員が、クラスティの次の発言に注意を向けた、その瞬間。
テキストチャットモードが、解除され。
「……ん、こら、まったく、相変わらず上で遊ぶのが好きだな、君は」
困惑する全員の耳に次に飛び込んできたのは、穏やかなテノール。
聞きなれたギルドマスター、クラスティの声だった。
「ご、御主人様!? う、上?」
「暴れないで。うまく……支えられないじゃないか……んっ、爪を立てないでもらえるかな?」
「ちょっ……これはアレ? 激しく前後する流れでゴザル!?」
「公開放送MAJIDE!?」
いつも冷静沈着な彼に似つかわしくない、どこかくすぐったそうな、甘やかさを思わせる口調。
「え? え!? あ、あわわわわ、その、な、なんですのこれはーっ!?」
「お、落ち着けお嬢っ! これはアレだろっ。よく漫画とかでありがちな、アレっぽい会話って思わせておいて実はナニっていうのだ!」
「で、でも……テキストチャットモードにしてたよ!? それって、声聞かれたくないってことじゃない? だったらやっぱりっ?!」
「お嬢、口調口調! 素に戻ってる!」
涙声のリーゼが声を詰まらせた、その瞬間。
「にゃー」
そんな声が、クラスティのアバターから、発された。
「……へ?」
「マスターさんが、にゃーと仰ったでゴザル?」
「にゃあ?」
「ネコ耳クラスティ?」
「だからねえよっ! 想像しちまっちじゃねえか!」
「……え……その、あれ? ということは? え、ぇぇぇええええ!?」
「しかし、どこからどう聞いても今のは……」
「よっと……失礼しました。少し、飼い猫が暴れましてね」
「にゃー」
その台詞が隠語としての「猫」ではなく、言葉通りの意味であることを証明するように、クラスティの声に、猫の泣き声が重なった。
どうやら、マイクの前にはプレイヤーと、そのペットが陣取っているらしい。
「寒い時期ですからね。放熱する端末に惹かれたのでしょう」
「……」
「…………」
「………………」
「ところで、随分賑やかだったようですが。どうかしましたか?」
「な……っ、べべべ、別に何でもありませんっ! 変なこととか連想したりなんて、決して! 断じて! はしたないことなど、考えていないのですわーっ!」
(ぐああああ、この男、絶対悪人だーっ!)
(流れるようなこのムーブ。セクハラだとツッコミを入れるには証拠不足……さすがレベル高いでゴザルね!?)
(……リチョウさん。これは隊長の悪ふざけ? それとも無意識?)
(大将はこの手の冗談はしないからなあ。今回は天然じゃないか?)
(天然だろうと意図だろうと恥らうリーゼさんイイ! 全オレロケ班が灰色の脳細胞に光速撮影!)
季節は冬にさしかかり、世間は寒くなるばかり。
それでも、〈D.D.D〉は、平常どおり無駄に放熱運転なのであった。
◇ キャラクター紹介 ◇
ユタ(武士LV90)
数多い〈D.D.D〉のスタッフメンバーの一人。
通称「ツッコミ」。リーゼさんの補佐としてギルドに入ったばかりのメンバーに大規模戦闘の基本を叩き込む「新人育成」を担当している。
口は悪いが根は真面目な性格で、ボケには反射的にツッコミを入れてしまう律儀な青年。
そのキャラクターが災いして、貧乏くじを引くこともしばしば。