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22冊目「レッドさん、悪友と会う」

 

  

 そこに存在したのは、半裸の大男であった。

 まず首。ただひたすらに太い。極太の肩甲挙筋と斜角筋があいまって、首の付け根から肩にかけてまるで富士山のようななだらかな稜線を描いている。

 そして胸。小胸筋と大胸筋が織り成す膨らみは、全身鎧の刃を受け流す弧を連想させる。

 腕。サイドチェストのポージングに構えられた左腕はその岩の如き凹凸をおしげもなく晒し、上腕三頭筋、上腕二頭筋、上腕筋が、皮膚の上からでもわかるほどにその存在を主張している。

 さらに脚。大臀筋からすべりおちるような豪奢な大腿四頭筋、ハムストリングス。

 太い。ただひたすらに太い男であった。

 男は上に掲げた両の腕で力こぶを作ると、その拳をわき腹まで下げ、半身になって左腰の前で手を組み、ついでしなやかな動きで反転、相手に背を向けて再び両の腕で力こぶ、改めて拳をゆっくりと下におろし、上半身だけをくるりと半回転させ、微笑んだ。


『大丈夫かね、お嬢さん』


 見る者が見れば、フロントバイセップスからフロントラットスプレッド、サイドチェストからバックダブルバイセップス、バックラップスプレッド、サイドトライセップスという、ボディビル大会における規定ポーズの流れるような展開であることが理解できたかもしれないが、目の前の少女には、得体の知れない邪教の儀式のための退廃的な踊りの類にしか見えなかった。

 PKへの怯えと怒り、そのPKが突然の闖入者によって殲滅された驚き、そして、この理不尽な筋肉達磨のポージングラッシュ。少女の精神的キャパシティはもう表面張力すれすれまでいっぱいであった。


「……〈帰還呪文(コールオブホーム)〉」

『ふむ。お嬢さん! このあたりはPKが多い! 今度は友人達と来るがよかろう!』

「もう、来るかーっ!!! リーダーに言いつけてやるーっ!」

『元気でよろしい! 壮健でな!』

 

 光の筋を残して消えていく少女を、男は大きく手を振って見送った。

 MMOにおいて、PKK、という俗称がある。

 プレイヤーキラーキラー。

 即ち、プレイヤーキャラクターを殺す遊び方をするプレイヤーキャラクターをこそ、殺すもの。

 PKKがそのようなスタイルをとる理由は様々だ。独自の美意識からであったり、義憤であったり、あるいは、対人戦に特化した装備であるPKをそのフィールドで倒すことこそ歯ごたえを感じるという感覚によるものだったりする。

 男もまた、そんなPKKの一人であった。


「相変わらずだなー。不意打ち込みでもパーティ1人で撃退とかバケモノか」


 男に声をかけたのは、テンガロンハットと西部劇のガンマンめいた服に身を包んだ優男だった。


『ドーモ、レッド=ジンガーサン。マッパーです』


 半裸の男は、手のひらを拳で包む抱拳の構えをとり、しめやかにオジギをした。

 ちなみに、半裸の男、マッパーがアバターにとらせている動作の数々は、特定サーバーで購入することができる課金アイテムによるものである。月額料金を主な収入源とする〈エルダー・テイル〉ではあるが、こうした攻略に全く関係のない課金アイテムは、ファッション、お遊び的要素として一部のサーバーで販売されているのだった。

 日本サーバーでも、オジギ、正座、胡坐(ゼン)、ニンジャミスティックシンボル、九字切り(ナインカンジキリ)といった動作追加アイテムが売り出されており、特定のロールプレイヤーや、海外プレイヤーに人気を博している。


「どーも。ってかタイプはえー。文字チャで普通に会話についてくるとか変態め」


 レッドは、エリアチャット画面を見ながら肩をすくめた。

 ギルド無所属の〈武闘家〉マッパー。

 アキバ近辺では、都市伝説的な存在として噂にもなっている、有名プレイヤーである。

 改めて、レッド=ジンガーは、筋骨隆々たる昔馴染みのアバターを眺めた。

 〈エルダー・テイル〉は、キャラクターを作成する際に、アバターの体型をかなり細かく調整することができる。キャラクター作成だけで数日は遊べる、とすら言われるほどだ。

 顔立ちであれば、髪型、眉の太さや形、瞳の色、輪郭、鼻の高さ、耳の形、それらの配置バランス。

 身体であれば、手足の長さ、筋肉のつき方、胸囲、腹回り、腰のサイズ、皮膚の色、そのつりあい。

 だが、こうした体型によって、ゲーム的な有利不利は一切発生しない。

 華奢で手足の短い少年と、モデル体型で長身の女性、筋骨隆々とした大男、いずれもリーチ、装備できる武器防具、移動速度、ステータスに差はないのだ。

 それにも関わらず、マッパーという男は敢えてこの過剰な筋肉を選択している。


『あと、別に一人でパーティと戦ったわけではないぞ』

「わーってるよ。MPK使っ(モンスターおびきよせ)たことくらい。1vs6で真正面から無双とか、陰険眼鏡か黒剣とか、そこらじゃあるまいし」


 マッパーとレッド=ジンガーが知り合ったのは、レッド兄妹が〈D.D.D〉に在籍していた頃だった。

 〈D.D.D〉がまだギルド内だけで大規模戦闘メンバーを確保できなかった頃、たまたま助っ人として参加したメンバーの1人に、マッパーがいたのだ。

 それから彼が〈D.D.D〉とともに戦うことはなかったが、レッドとマッパーは個人的にこうやってたまにレべリングや素材集めをしながら、雑談に興じるのだった。


「しかし、いい加減その装備変えねーの? いい加減レベル60台の〈秘宝級〉とか、しんどくね?」

『マッパーは〈武闘家(カラテ)〉だ。カラテはニンジャだ。ニンジャは裸が一番強い。三段論法だ』

「アッハイ。あと顔が近ェ。離せ」


 〈エルダー・テイル〉は全年齢向けコンテンツであり、倫理的な観点から、体用防具を装備していない場合でも、簡素なインナーを上下ともに装備した状態で表示される。

 だが、一部の防具は、装備することで「無装備状態よりも露出が増える」場合がある。たとえば、マッパーが装備している〈秘宝級〉下半身用防具、〈紳士蝶のブーメランパンツ〉などがそれに該当する。こうした防具は多くの場合、同レベル帯の防具よりも防御性能は低いが、様々な付与効果を持っていた。

 こうした性能面と、ファッション的な需要から、露出の多い「水着系」装備の需要は高く、市場での相場は、同系統の地味な見た目の防具と比べて、数十倍から数百倍の値がつくことも珍しくない。

 性能度外視でとにかく、徹底して筋肉を見せ付ける。これが、彼の美学であるらしかった。

 レッドとしてはどうせきわどい装備をするならば、〈狐尾族〉のぼんきっゅぼんなお姉さまにお願いしたいところではあったが、まあ他人の趣味にどうこう言う義理もない。

 この格好のせいでキワモノ扱いされがちだが、ソロプレイヤーとしての彼の廃人度は一流ギルドのマスターに勝るとも劣らないのだ。

 (格好のせいであんまり人がよりつかないので)ソロで、(肉体を誇示するために)武器防具を制限し、(人が多い狩場だと気味悪がられるので)辺境の高難度ゾーンを攻略していく姿は、まさに良くも悪くも規格外だった。

 たまに彼が自分のダンジョンソロ攻略のプレイング映像を生中継する、「裸一貫一人旅」には、コアなファンもいるらしい。世の中は広くて深いとレッドは思う。主にあんまり知りたくない方向で。


「で、何だよー、このレッドを呼び出すからには、かわいいおっぱいでも紹介……いやいい、おまえに期待するのが間違いだった」

『〈D.D.D〉に戻ったらしいな、友よ』

「だから顔が近ェよ。復帰じゃねー。ちょい迷惑かけたんで、お詫びにお手伝いな。あとはまあ」

『レモン嬢か』

「ま、そんなとこだなー」


 レッドの声に対して、マッパーは文字チャットでよどみなく返答した。

 〈エルダー・テイル〉では、戦闘等における細かな意志疎通のためにマイクを使った音声通話(ボイスチャット)を使うことが多いが、キーボードによる文字によるテキストチャットも利用できる。

 キャラクターイメージと自分の声が合わないことを嫌うロールプレイヤーや、会話が得意でないプレイヤーは、テキストチャットを用いる。その割合は多くはないが、マッパーはそんな少数派の一人だ。


『レッド。シアに気をつけろ』

「はァ? あのぺったん娘、見たのか?」


 レッドは、かつて〈D.D.D〉に在籍していた一人の少女のことを思い返した。

 一定範囲内を散々引っ掻き回し、悪びれもしなかった悪戯娘。大混乱の後に、被害ゼロ。大山鳴動してネズミ一匹。仕掛けは大きい癖に、やろうとすることは意外なほど単純で、お節介。

 もうとっくに〈エルダー・テイル〉からは引退したと思っていた、懐かしい相手だった。

 フレンドリストを展開する。その名前は、変わらずログオフを示す灰色のまま。


『最近、男狙いの女PKKが増えてる。紳士同盟から聞く限り〈D.D.D〉周りも色々不自然だ。ログイン確認はしていないが。シアだろう』

「なにその根拠レス。万が一そうでも、あのぺったん娘は人畜無害な洗濯機だろ。ほっといてもいいんじゃね?」

『クラスティが、面白がるぞ?』

「げ。……そいつは、コトだなあ」


 少女は、いつかレッドの妹と、語っていた。

 クラスティを、面白がらせたいのだと。

 いつも正解が見えていて、やることなすこと最適解がしっぽを振ってついてくるようなあの陰険眼鏡に、スリルと、手ごたえと、満足感と、そして、――――を贈りたい、と。


『誰でも、どきどき、ドラゴン退治、か』

「あー、懐かしいなあそれ」

『本来無一物』

「なにそれ」

『人は結局裸一貫。だが、しがらみはどこへでもついていく。それでも、そぎ落とせば、中にあるのは意外に単純なものであるのだ、友よ』 

「わけわかんねー」

『つまりだ。(ブーメランパンツを) は か な い か』

「はくかーっ!!? 俺は男じゃなくておにゃのことおねーさんの裸が好きなの! あと紐パンは着るんじゃなくて着せるのが好きなのっ。わかったかこの裸族がーっ!」

『はっはっはっ、照れるな友よ!』


 マッパーを押しのけたところで、レッドは、画面の端の木の陰からはみでる、大きな帽子と、その奥に黒く靡いて遠ざかっていくポニーテールを発見した。

 帽子は、〈D.D.D〉のギルドホールで何度か見かけたことがある。

 確か、名前は、


「ユズコちゃん?」

「残念いいところで……じゃなくて。わ、わたしのことは気にせず、続けてくださいなー」

「何をだよっ!」

『うむ。俺は単に友と裸の付き合いをしようと』

「おおー!」

「っていうかなんでそこでそんなに楽しそうな声なんですかお嬢さん! あからさまに誤解を誘導すんなこの裸族っ! あと顔が近いって言ってンだろ!! 俺ァ雄っぱいには興味ねえー!」

 

 

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