(14)告白 SIDE:シャル
私の人生は平凡とは言いがたく、独り立ち出来るようになるまでには、感情の触れ幅がとても大きかったように思う。主に負の方にだが。
医学の世界に入り、だんだんと自分の存在が確立してくるようになってからは、子供の時ほど感情が揺り動くことはなかった。
そしてこの数年では、常に冷静であろうと自分に厳しく言い聞かせてきた。そのせいもあって、どんな物事にも静かに向き合うことが出来た。
こんな風に何年も自分を戒めてきたはずなのに、トオルの言葉で、私の中に嵐が吹き荒れる。
―――トオルが……、私を、好き?!
一体何の冗談なのだ?生意気な上司をからかおうとしているのか?
だけど、トオルの表情も態度も言葉も、驚くほどに真剣だった。
―――ウソじゃないのね?
しかし、私は彼の告白を受け止められない。
息を飲み、心を決める。
彼が本気だからこそ、そして自分も彼に対して本気だから、私は彼を受け入れてはいけないのだ。
傍にいて欲しいと心から望んだトオルが、いつの日か手の平を返したように私に背を向けて去っていく姿を見たくはないのだ。
今となっては家族以上に大切な存在になってしまった彼に捨てられてしまったら、私は深く暗い絶望に飲み込まれてしまうしかない。
「お願い、放して……」
必死で気丈な不利を装うが、唇が震えてしまう。
―――お願い、私に構わないで。私がこの温もりを覚えてしまう前に、お願いだから放して……。
「トオル……」
弱々しい声で彼の名前を呼べば、私を抱きしめていた腕からゆっくりと力が抜けてゆく。
しかし完全に開放されることはなく、互いの体にわずかな隙間は空いたものの、トオルの腕は私の背に回ったままだった。
「トオル、私は放してって言ってるのよ」
「嫌だ、放さない」
彼の言動はこれまでにも砕けたところがあったが、それでも私の言葉には従ってくれていた。
なのに、今は口調がかなり親し気だし、反抗的な態度でもある。
「トオル、上司の言う事が聞けないの?!」
少しばかり語気を強めて言うが、
「既に就業時間を過ぎているんだから、上司の言葉に従う必要なんてないだろ」
と言い返してくる。
―――何なのよ、もう!
早くこの腕の中から抜け出さないと、きっと、取り返しのつかないことになるだろう。
底知れない恐怖に襲われて、私は拳で彼の胸をドンッと叩いた。
「上司と部下の関係は、この際どうでもいいわ!だけど、いきなり女性に抱きつくなんて、何を考えているのよ!」
噛み付くように声を上げれば、泣き出すのかと思ったほどトオルの瞳が揺らぐ。
「何って、シャルのことに決まってんだろ。言ったじゃないか、俺はシャルが好きなんだって」
そう言うと、トオルは上体を屈めて私のおでこへと静かにキスを落とす。
「なっ!?」
突然のことに唖然として思わず彼を見上げれば、真っ直ぐに私を見つめてくる彼の視線とぶつかった。
強い意志を示す瞳に囚われる。真剣な想いに射抜かれる。
私はただ、彼を見ていることしか出来ない。
「シャル、好きなんだ。俺の傍にいて欲しい、これからずっと」
静かな口調で告げられるが、そこには言葉に出来ないほどの熱い激情が滲んでいて、それが嫌というほど伝わってくる。
目を逸らしたいのに、トオルの瞳は縋るような色をしているから。
言葉もなく、私は彼の力強い漆黒の瞳を見つめ返す。
しばらくの間、二人ともその姿勢のまま視線を重ねている。
私は瞬きを一つだけして、ふと頭に過ぎったことを言葉にするためにゆっくりと口を開いた。
「……それって、トオルがあの幼馴染の女の子に抱いていた感情と同じじゃないの?家族愛の延長って奴」
するとトオルはわずかに首をかしげ、考え込んだ後にフッと目元を緩める。
「ああ、言われてみればそうか。シャルに対する俺の想いは、確かに家族愛だ」
その言葉に私は俯き、ギュッと目を閉じた。
―――ほら、ね。私に愛は与えられないのよ。優秀な頭脳と引き換えに、神様が奪ったんだもの。
トオルが言った家族愛でも、確かに“愛”は愛だ。
だが、私が欲しいものはそんなものではない。姉や妹として彼の傍にいたいのではないのだ。
硬く閉じた目の奥がジワッと熱くなるが、トオルの前で泣くなんてプライドが許さない。
―――こんな時になっても、私はなんて可愛げがないのだろう。
心の中で自嘲気味に呟き、私はスッと息を吸い込むと、俯いたまま再びドンッと彼の胸を叩いた。
「放して、もう行くわ」
こんな情けない姿を見せたくなくて、私は彼の腕の中から去ろうとする。ところが、更に抱き寄せられて身動きすら取れなくなってしまった。
「何処に行くつもりだ?」
こちらを威嚇するように低い声。いつものトオルなら、こんな声を出さない。
いつだって優しくて、いつだって温かくて。聞いているだけで胸の奥がくすぐったくて切なくて、大好きな声なのに。
普段にない彼の声にビクッと身を竦ませたが、少しでも早くここから立ち去りたかった。
「何処だっていいでしょ、放しなさいよ!」
ムキになって大声を上げれば、
「まだ俺の話が終わってない」
と、先ほどと同じように低い声が返ってきた。
「うるさいわね!」
それに怯むことなく大声で叫べば、骨が軋むほどきつく強く抱きしめられる。
「は、放せって何度も言ってるでしょ!」
甲高い声で怒鳴る私を痛いくらいに抱きしめながら、トオルは低い声を引っ込めて今度はクスリと笑う。
「最後まで俺の話を聞いて。家族愛と言っても、チカちゃんに抱いた感情とはぜんぜん違うから」
「違うって何よ!意味が分からないんだけど!」
「……だからね、夫と妻も家族って事だよ」
「―――は?」
トオルの言葉が優秀な頭をすり抜けてしまい、彼が意図することを理解できない。
―――夫と妻も家族……って?
目を大きくしてパチパチと瞬きを繰り返していると、トオルがやわらかい微笑みを浮かべた。
「そういう意味の家族愛。俺はシャルに妹になって欲しいわけでも、俺がシャルの兄になりたいわけでもない。君と夫婦になりたいって言ってんの。ま、夫婦の前に恋人だな」
」
そう告げたトオルはゆるく腕を解き、大きな手の平で私の頬を包んで顔を覗きこんでくる。
「今度は俺が言ってること、きちんと理解できた?」
穏やかな口調で訊かれて、私はコクンと頷いた。
「理解は……できた。と、思う」
だけど感情が追いついてこない。嬉しいと感じる前に、何も考えられなかった。あまりに驚きすぎて、制御しきれない感情が涙となってポロリと零れる。
呆然としたままポロポロと涙を流す私を眺めて、トオルは困ったような笑顔を浮かべた。
「そんなあどけない顔、俺以外の男に見せるなよ。もう、可愛過ぎ」
そう言ったトオルは私の瞼にそっと触れるように唇を寄せた後、改めて優しく抱きしめてきた。
優しい声。
優しい腕。
優しい仕草。
そして、優しい唇。
トオルを構成する何もかもが優しい。
私はそんな優しいトオルに抱きしめられたまま、感情のままに頬を濡らす。
「まったくもう、なんなのよ!いきなり告白してくるし、放せって言ってもぜんぜん放してくれないし!」
照れくさくなって彼のシャツに顔を埋めると、私の髪に頬を寄せてトオルが言う。
「シャルが言ったんだろ。“好きなら、すがり付いてでも引き止めろ”って」
泣き虫で寂しがり屋のくせに、人一倍強がりで意地っ張りな私の髪を、トオルが大きくて温かい手で優しく撫でた。
「シャル、愛してる。君の才能も、君の人生も素晴らしいけれど、何より、君の存在を愛してる」
「……馬鹿じゃないの」
私は彼の胸に顔を押し付け、ヒックヒックとしゃくりあげて泣きながら、照れることのないストレート過ぎる告白にいつもの憎まれ口を叩く。
だけど、そのすぐ後、クスッと小さな笑みを零した。
「でも、そんなトオルが好きな私は、もっと馬鹿かもしれない」
はぁ、と大きく息を吐き、おずおずと顔を上げて彼を見つめる。
もう迷わない。自分の気持ちにウソはつかない。
彼の黒い瞳は、いつだって私から逸らされることなく見守ってくれるのだと分かったから。
「トオル、私もあなたを愛してる」
涙で頬を濡らしなしながら精一杯笑顔を浮かべ、私はずっと、ずっと心の奥にしまいこんでいた言葉をトオルに伝えたのだった。
●やっと二人の想いが通じましたよ!「愛してる」と言いたくても言えなかったシャルが、やっと、やっと「愛してる」と言葉にしてくれました。
いやぁ、この愛すべきじゃじゃ馬娘を素直にさせるのは本当に骨が折れましたが、徹さんが辛抱強く(最後はちょっと強引だったけど)待ってくれたので、みやこの思うように書く事が出来ました。
徹さんに幸せになってもらいたいというお声をいくつも頂いておりましたので、答える事が出来て肩の荷が下りましたよぉ。
●この先はちょっとした徹さんとシャルの後日談のようなものを書こうかと思っています。リタがどうしてシャルを気にかけていたのかというエピソードも書きたいですね。
それから、チカちゃんを泣かせたアキ君をボッコボコにする小山君も(笑)