(11)想い SIDE:徹
過労で倒れた事があったというのに、シャルリアーノは相も変わらず忙しそうにしている。
資料を集め、気になったことは関係機関に問い合わせ、自ら研究に乗り出し、結果を纏めて、改善すべき点を踏まえてまた研究。
それでも、以前に比べて幾分顔色がよくなったように思えるのは、フレッシュな野菜ジュースを飲んでいるからかもしれない。
そのことは直接シャルリアーノから聞いたわけではなかった。
彼女と仲がいいリタが何かの話の流れで、彼女が毎日野菜ジュースを作って飲んでいるということを聞いて、それを彼女の身を案じている俺に教えてくれたのである。
飲み始めたきっかけが、もしかしたらあの時の自分の勧めかもしれない。
いや、まったく違うかもしれない。
彼女の生活のほんの一部分にでも自分の存在が入り込むことが出来たら、それは俺にとって嬉しいのことなのだが。
まぁ、そんなことは些細なことだ。
シャルリアーノが少しでも健康になってくれたのであれば、きっかけは何でもいいのだ。
今は、彼女が元気でいてくれる事が嬉しいのだから。
今日も朝から精力的に仕事をこなしている上司の横顔をソッと盗み見て、俺は小さな笑みを零した。
体調を考慮して、仕事をセーブするようになったとはいえ、シャルリアーノは他の誰よりも仕事をしている。
最先端の技術の更にその先を目指すのが、この研究所の役割でもあり、存在意義である。
その重要な役割を担い、意義を支えているのがシャルリアーノであることは、ここの職員のみならず医学界ではとうに知られていること。
外科医としても内科医としても、彼女は優秀だ。
そんなシャルリアーノを是非にと引き抜こうとしている病院は、このアメリカだけではなく、世界各国にある。
だがこれまでに研究者としても華々しい成果を残してきた彼女は、本人自身も研究に重きを置きたいと願っているようだ。
毎日ひっきりなしに届く引き抜きの話を、例の素っ気無い態度でザクザクと切り捨てていると聞く。
依頼があればその病院に出向いてシャルリアーノが治療に当たることもあるが、それには限界がある。
いかに彼女が神がかり的に天才だとしても、身体は一つしかないし、腕は二本しかない。休息だって必要だ。
いくら寝ずに世界を飛び回ったところで、直接治療できる患者の数は限られてくる。
だが、彼女の研究によって新薬であったり新たな医療素材が開発されれば、これまでに治療法がなくて絶望するしかなかった患者たちが大勢救われることになるのだ。
俺の幼馴染であり、長年の想い人だったチカちゃんの人工声帯に用いる素材となる物質を作り出したのも、シャルリアーノだった。
人が自分の考えを伝える手段として、声以外にも方法は沢山ある。
IT端末を使ったメールや、単純な方法であれば手紙やメモ。手話だって今日も広く使われている。
“声”が無くとも生活は出来る。
だが、“生きる”ために、声を必要としている人は沢山いる。
職業として声が必要な人もいるだろう。歌手であったり、アナウンサーであったり、声優であったり、声を手段にして仕事をすることもある。
このように、仕事をする上で“声”が必要な人も入れば、些細な日常生活においても“声”を必要とする人も多いのだと、シャルリアーノは以前より言っていた。
『手書きであれ端末であれ、文字を使えば人の気持ちは伝わるとは思うの。でもね、想いを乗せた生の声には適わないわ。それは職業として声を必要としている時よりも、何気ない生活を送っている日々の中で感じるのかもしれない。だって好きな人には自分の声で“愛してる”って囁きたいじゃない。それってとても素敵なことでしょ?』
だから自分は、何が何でも人工声帯を開発するのだと彼女は言っていた。
『愛する人の声が聞きたい、愛する人に声を届けたいという人は、きっと世界中にいるわ』
真っ直ぐに前を向いて、清々しい口調で告げたシャルリアーノ。
だが、不意に遠い目をして、
『私は愛情を受け取る事が出来なかったけれど、他の人にはこんな切ない思いはして欲しくないから……』
と、誰に聞かせるわけでもなく、小さく呟いたのだった。
「あの時も、こんな乾いた風の吹く日だったっけ」
俺がこの施設に来て間もない頃、シャルリアーノがムキになって人工声帯を研究していた時のことを思い出していた。
「そういえば、チカちゃん元気にしてるかな。ちゃんと“声”出てるかなぁ」
施設の屋上で昼下がりの風に吹かれながら、ふと、そんなセリフが口をつく。
もう彼女への想いは吹っ切れ、今は彼女の兄であるという思いが強い。
「日本で、幸せに暮らしているのかな」
そう呟いて、すぐさま首を横に振った。
あの桜井さんが彼女の傍にいるのだ。幸せに決まっている。
お互いがお互いを心の底から想い合い、愛し合う。
そういう唯一無二の存在を見つけた二人が、不幸になるはずが無いのだ―――共に歩んでゆく限り。
「俺も、唯一無二の存在見つけたよ。いつか絶対日本に連れて行って“俺の嫁さん”って紹介するから、楽しみに待っててよ、チカちゃん」
真っ青に晴れ渡る空を見上げて、俺はそう呟く。
「そのためには、いい加減動き出さないとな。俺の上司様はとんでもなく優秀だけど、とんでもなく臆病だからね」
クスッと笑って、いつだって強がってばかりの愛しい人を思い浮かべた。
●ご無沙汰しておりまして申し訳ありませんです。
●シャルリアーノ、本当は優しい人です。他人のために、一生懸命な人です。
でも、だからって無理して身体壊してまで仕事をしたら駄目ですよね(苦笑)
さて、ようやくトオルが動きそうです。
シャルを逃がさないように頑張らせます!