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声に出来ない“アイシテル”  作者: 京 みやこ
番外編『アイシテルと言いたくて』
94/103

(9)救い SIDE:徹

 シャルリアーノがますます仕事に熱を入れていくようになった。

 これまでだって十分すぎるほど熱心であったのに、今では自分が抱える研究題材の他にも気になることは手当たり次第に調べ、試験し、レポートにまとめている。

 また、依頼があれば、各地の病院へと手術のために出向いてゆく。

 ただ、これまでと違うことが2つあった。

 それは、以前に比べれば助手たちにサポートを頼むようになった事。まぁ、あくまでも以前に比べればなので、大半のことは変わらずに彼女自身が片付けてしまい、部下達には一切残業や早出をさせない。

 それでも、些細な事すら自らすべてをやってのけていたシャルリアーノなので、参考文献の収集や実験結果の数値をグラフ化するなどの事柄を人に任せるようになったのは、格段の進歩である。

 そしてもう1つの変化は、俺と距離を取ろうとしていること。

 確かに俺は上司である彼女に、通常の上司と部下という礼儀を弁えた関係ではなかったと思う。

 砕けた口調を使うこともしばしばだったし、おどけた態度も多々あった。

 だが、そんなことはシャルリアーノがこの研究所にやってきてからもう何年も続けたことだし、それに対していままで彼女は一言だって苦言を呈したことはなかったのだ。


 なのに、どうして急に?

 俺は自分が気付かぬうちに、何か気に障ることをしてしまったんだろうか?

 部下らしくない態度の俺に、腹を立てているのだろうか?

 

 明らかに自分と他のスタッフに対する距離感との違いに、心が重く沈んでゆく。




 今日もいつものようにシャルリアーノに避けられながら仕事をこなし、一日が終わった。

 研究室を出ると、塞いだ気持ちで白衣を脱ぎ、やりきれない思いを込めて廊下の一角にあるランドリーケースへと乱暴に突っ込む。

「あら?トオル、機嫌が悪そうね」

 そう言って明るい声で話しかけてきたのは、頼れる先輩のリタだった。

「いえ、そんなことないですよ。ちょっと疲れているので、不機嫌そうに見えたのかもしれませんね」

 苦笑いを返せば、白衣のポケットに手を入れたリタがヒョイと肩をすくめる。

「ま、そういうことにしておいてあげるわ」

 ニッコリ笑ったリタがこちらにやってきて、俺と同じように着ていた白衣をランドリーケースに入れた。

「仕事終わったんでしょ。これから飲みに行かない?」

「え?」

「気にかかっていることがあるみたいね。お姉さんが相談に乗ってあげるわ」

 女性にしては長身の部類に入るリタは、少し下から覗くように俺の顔色を伺うと、ポンポンと俺の肩を叩く。

 ブラジル出身で陽気な性格のリタは職員の誰に対しても人なつっこく話しかけ、このように親しみ深い態度である。

 だが節度を守った彼女の態度はけして不快ではない。

「お姉さんと言っても、リタと俺は1つしか変わらないじゃないですか」

 なので、俺も先輩の彼女に対して友人と変わらない態度で接している。

 わざとらしくふて腐れて言えば、先程より強く肩を叩かれた。

「煩いわね。男は精神年齢が低い生き物なんだから、1つ違えば10年くらいの差がある物なのよ」

「それ、どこの研究所が調べた結果ですか?」

 ジロリと不審そうな目で彼女を見遣る俺に、

「ん?リタ研究所よ」

 ニッコリと笑みを浮かべて自信たっぷりに言い返してくる彼女に、俺は小さく吹き出してしまう。

「ははっ。その研究所の研究結果じゃ、ちっとも当てになりませんね」

「はいはい、ごちゃごちゃ言わないの。それで、行くの?行かないの?」

 俺は少しだけ考えて、

「行きますよ、お姉さんの奢りでしょうから」

 と答えた。

 するとリタは、

「こう言う時だけ年上扱いするな」

 と、拳でドン、と俺の胸を突いてきたのだった。





 やってきたのは、裏道の曲がり角を何度か曲がった先にある、気軽な雰囲気のあるバーだった。

 こぢんまりとした店は夫婦で営んでいるようだ。

 綺麗なサファイアブルーの瞳が印象的である少々年配のマスターは、笑顔の時にできる笑い皺がとても親しげな印象を与えてくれて。

 絶妙のタイミングで料理を運んでくれるのは俺の母親ほどの年齢であろう女性で、柔らかいブロンドの髪を品良くまとめ上げていて、目が合うと優しく微笑んでくれて。

 適度に賑やかで、だけど煩いと言うほどではなく、居心地の良さを感じさせる店。

 俺はいっぺんでこの店を気に入ってしまった。

 互いに頼んだドリンクのグラスをカチンと合わせ、ウイスキーを一口煽った俺はつまみであるスパイシーなフライドチキンを摘む。

「良い店ですね。料理は旨いですし、酒も手頃な値段で。なにより雰囲気が素敵ですよ」

 この言葉に、リタはとても嬉しそうに立てた人差し指を唇に当てる。 

「ふふっ、他の人には内緒よ。私のとっておきの場所なんだから」

「了解です。でも、こんな分かりにくいところにある店をよく見つけましたね。誰かの紹介ですか?」

「んー、紹介っていうか。……実は私の両親が経営している店なの」

 そう言った彼女は、カウンターの中に立っているマスターと給仕の女性に小さく手を振る。

「え?」

 俺は一瞬目を見張った。

 席の向かいに座るリタの肌は日焼けとは違う褐色をしていて、肩先まである髪は黒くてクセが強い。どこをどう見ても、両親だというあの二人と彼女は人種が違っている。

 そんな俺を見て、リタはクスッと笑った。

「親と似てないから驚いた?」

「い、いえ、そんなことは……」

 と言いながらも、俺の目は少し泳いでいる。 

「正直に驚いたって言えばいいのに」

 そんな俺を見てクスクスと笑いながら、リタはブラックビールをグッと飲み干した。

「まぁ、似ていなくて当然よ。だって、あの人達とは血が繋がってないんだし」

 チキンを頬張るリタは、何事もないようにサラリとそう言った。

「そ、れは……」

 戸惑う俺に、リタはムシャムシャとチキンを食べ、ゴクンとビールを飲む。

「私、養女なの。だから、今の両親とはちっとも似てないのよ」

「そ、そうですか」

 俺は何と続けて良いのか分からず、手の中のロックグラスを見つめて黙ってしまった。

 まずい展開になってしまったと、グラスの中のウイスキーが小刻みに揺れている。

「ふふっ、そんな深刻な顔しないでよ。やぁね」

 リタは俺を見てケタケタと笑い声を上げ、上体をテーブルの上に乗り出して俺の肩をバンバンと叩いてくる。

「養女だけど、今の両親にはすっごく大切にされているの。そりゃ、過去のことは不幸としか言いようがないわ。でもね、今は本当に幸せなのよ」

 そう言って、リタは柔らかく微笑む。

 その笑顔に嘘はないようだ。

 それにしても、彼女の過去に何があったのだろうか。実の両親と離れ、養女となった理由は?

 気にはなるが、立ち入った事情を聞くのは憚られる。

 そんな俺のジレンマに気が付いたリタはプッと吹き出すと、

「気になるなら、そのうち教えてあげる。……それより、今日は別の話があるでしょ?」

 おしぼりで指先を拭ったリタが、チロリと俺を見てきた。

 そんな彼女に、俺は“分からない”と言ったように首を軽く横に振る。

「話なんてありませんよ。リタが勝手に相談に乗ってあげると言って、俺を連れ出したんじゃないですか」

「ふぅん、そういうこと言っちゃうんだ」

「言うも何も、俺には相談に乗ってもらう事なんて……」

「シャルのこと、でしょ?」

 ためらいなく切り込まれた言葉に大きく目を見開いて、俺はニコッと笑うリタを見つめた。

「ど……うして、そう、思うんです……か?」

 ぎこちなく返せば、リタはまたクスッと笑う。

 だが今までとは違って、そこにはからかいの色が一切ない。

「どうしてって。そんなの、見ていればすぐに分かるわ。シャルがあなたに素っ気なくなってから、みるみるうちにトオルの元気がなくなっていくんだもの」

「そ、そんなことなくですよ。俺はいつもと変わりありませんから」

 そのものずばりを言い当てられたことが悔しくて、虚勢を張る。

 しかし、彼女には無意味だったようだ。

「強がっても無駄。お姉さんは何でもお見通しなんだから」

 ぱっちりとした黒目がちの大きな瞳を柔らかく細めて、リタが俺を見てくる。

 本当に優しい視線に、俺は変な意地を張ることを早々に止めた。

「鋭いですね、リタは。今まで誰もそんなことを言ってこなかったのに」

 このところ塞いでいた原因をサラリと言い当てられたことが照れくさくて、俺は指で鼻先を引っ掻いた。

 リタはウフフと楽しげに笑うと、山盛りのグリーンサラダを皿に取り分けて俺に差し出す。

「鋭いって言うか、自分が好きな人の変化には誰だって敏感でしょ」

「え?好き?」


―――リタが、俺を?


 俺は皿に手を延ばした格好で固まった。

 そんな俺を尻目に、リタは自分の皿に取り分けたサラダをモリモリと口に運ぶ。

「誤解しないで、仲間として好きって意味よ。トオルに対して恋愛的な好意は抱いてないわ」

 理知的な瞳を持つ褐色の肌のお姉さんは、フフッと笑うとおかわりしたブラックビールを一口含む。

「トオルは大切な大切な仲間。だから、落ち込んでいるのなら何とかしてあげたいなって思ったの」

 優しい瞳と優しい声に、俺は妙な警戒心を解くことにした。

 一つ息を深く吸って、思っていることをそのまま言葉にする。

「俺、シャルが好きなんです。なんか危なっかしくて放っておけないし、支えてあげたいって」

 俺の言葉にリタは数度瞬きをすると、小さなうなずきを繰り返した。

「そっか。トオルはちゃんとシャルを“シャル”として見ているのね」

 椅子の背にゆったりともたれ、『そっか、そっか』と呟くリタ。

 なぜ彼女がそんなことを言っているのか分からない俺。

「どういう事ですか?」

 素直に尋ねれば、姿勢を正してリタが話し始めた。

「ほら、シャルって医学界の伝説的な存在じゃない。生きながらに伝説になるってあり得ないことだけど、それだけ彼女の才能が桁外れってことだし」

「そうですね。一部の人たちにとっては、シャルは神様扱いですしね」

 俺はリタの言葉に頷いた。

 するとリタは、ニッと白い歯を覗かせて笑う。

「だけど、トオルはシャルのことを一人の人間として見てる。伝説的人物でも神様でもなく、シャルリアーノとして」

「そうですか?」

「そうよ。あのシャルに対して、危なっかしい何て言った人、私の周りには所長くらいしかいないわ。そりゃそうよね。何でも完璧にこなして、これまで困難だった研究や治療や手術も、彼女にかかれば雑作もないんだもの。いつだって毅然として、自分の信念に揺るぎがなくて。そんなシャルを見て、危なっかしいと思う人はいなかった」

 リタはもう一口ビールを飲むと、フッと短く息を吐いた。

「でも、トオルは違うのね。あの子の意地っ張りな背伸びを、ちゃんと見抜いているのね」

 シャルのことを『あの子』と言うリタの顔がことさら優しくなる。

「よかった、あの子を分かってくれる人がいて」

 嬉しそうに笑うリタが、俺をまっすぐに見てきた。

「シャルはずば抜けて頭が良いし、小さい時から年上ばかりの社会で育ってきたから、精神的にも大人よ。そういう面で言ったら、トオルや私より、遙かに大人かもしれない」

 ここまで言ってリタがいったん言葉を句切ると、つと視線を下げ、テーブルの上の何もない空間を見つめる。

「……でもね。やっぱりあの子は、年相応の人間よ。ううん。もしかしたら、シャルの奥底にある感情は子供の時のままなのかもしれない」

 リタは視線を下げたまま、少しつらそうにしている。

「頭が良すぎたシャルに、何一つ罪はないわ。勿論、誰かが悪いわけじゃない。ただ、周りの人達が彼女を支えるには、ほんのちょっとだけ未熟だったのよ」

 俺よりも彼女の事情に詳しそうなリタは、自分のことのように苦し気にそう述べた。


 暫く無言のまま、リタは目を伏せている。

 テーブルの上のビールグラスについた滴が、静かに伝ってゆく。


 その滴を指先でソッと掬って、リタが話し始めた。

「だけと、そんなシャルを救ってくれる人が現れたのね。よかった……」

 しみじみと呟いたリタは、小さく何度も頷いている。

「リタ。俺はそんな大それた人じゃないよ。シャルを救うなんて無理だって。好きだけど、あのシャルに何かしてあげられるほど、俺は立派な人じゃないし」

 深いため息と共に自信なく首を横に振る俺に、リタは窘めるように呼び掛けてきた。

「トオル」

 呼ばれて顔を上げれば、リタは慈愛に満ちた瞳で俺を見ている。

「その人に寄り添ってあげるだけでも、救いになるのよ。特別何かをする必要はないの。その人を丸ごと愛してあげることが、何よりも大切なの」

 テーブルの上で固く握りしめていた拳に、リタがソッと手を重ねてきた。

 温かいこの手は、彼女の温かな心の表れなのだろう。

「素直な気持ちでシャルに向き合ってあげて。まっすぐな気持ちでシャルを愛してあげて。どうか、あの子をお願いね」

 深い黒の瞳が縋るように俺に見つめて、切実な声で訴えてきたのだった。


  



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