(6)破いた写真 SIDE:シャル
ふと目が覚めてみれば、そこは見慣れた自分の寝室だった。
「あれ……?」
パチパチと瞬きを数度繰り返し、記憶を辿ってみる。
このところベッドに入ってもなかなか眠れなくて、でも仕事は山積みだったから無理を押して研究を続けていたら、脚の力が抜けて倒れかけた。
「そっか。所長に言われて早退したんだっけ」
あとは実験結果を纏めればこの研究は一段落するというところまで漕ぎ着けていたのだが、普段は温厚な紳士である所長が眉を吊り上げて私に帰宅命令を出す様子があまりに真剣すぎて、思わず頷いてしまった。
自分の性分としては最後までやり通したかったのだが、あの体調ではいささか自信が無かったのが正直なところ。
それに、あんなに怖い顔の所長の裏にある“私を心配する気持ち”が嬉しかった。
「出社したら、“医者の不養生だ”ってからかわれるわね」
ベッドの上に起き上がった私は、ベッドヘッドに凭れかかりながら肩をすくめる。
そして額に手を当ててみれば熱はだいぶ下がっていて、これなら微熱程度だろう。
「リタには後で連絡しなくちゃ、きっと心配してるし」
私は褐色の肌をした彼女の笑顔を思い起こした。
親と離れて暮すようになって以来、友達はいない。
学校でも職場でも、必要以上に人と関わることを避け、友達という存在を作らずにいた。
仲良くなった友達が、何かの拍子に自分に背を向ける姿を見たくなかったから。
大学創設以来の最年少で卒業して医療機関に就職した私は、周りの大人以上の知識を有し、大人たちに混じって引けを取らない論議を交わす。
だけど、本当の私はまだ“15歳の女の子”だった。
それでも甘えることなんてできないし、元来負けず嫌いな性格もあり、いつだって一人で戦ってきた。
1年もすればそんな生活に疲れを感じ始めるが、それでも、周りから寄せられる期待は自分が予想していた以上のもので、性分ゆえに逃げ出すことなど考えもしなかった。
こんな時、甘えさせてくれる存在がいたら、少しは楽になれたのかもしれない。
しかし、血の繋がった家族ですら私を奇異と嫌悪の目で見たのだ。
友人、または恋人など所詮は赤の他人。
家族よりも簡単に私を切り捨てるだろう。
もう二度と、あんなつらくて悲しい思いはしたくなかった。
それならば、最初から誰にも縋らなければいい。
誰にも心を許さなければいい。
誰一人として、自分のテリトリーに入れなければいい。
そんな風に過ごしてきた私が今の施設にヘッドハンティングされてやってきて以来、リタは何かと私に近寄ってきた。
リタは私よりも年上だけど、立場的には私の方が上。でも、そこには卑屈な態度や嫉妬心は無かった。
初めは単なる好奇心で私に近付いてきたのかと思ったが、どうやら純粋に“私”という存在を気に掛けてくれているらしい。
嬉しかった。
だが、素直にリタの存在を受け入れるには、私の心は傷つき過ぎていて、傷つくことを恐れていた。
だからどんなに話しかけられても素っ気無い態度でしか接しなかったし、食事や映画に誘われても、一度だって応じなかった。
なのに、リタは懲りることなく私に声を掛け続ける。
そんなことを施設にやってきて以来欠かさず3年も続けられれば、少しは私の態度も軟化せざるを得なかった。
とはいえ、やっぱりリタと出かけることはなく、せいぜい研究所内にある食堂で昼食を摂る傍ら、彼女の世間話に付き合ってあげる程度ではあったが。
それでも私の過去を振り返ってみれば、仕事以外のことで誰かと話をするなどありえなかったことだ。
リタのことは友達とは言えないが、『施設の中で一番親しい人物は誰か?』と訊かれれば、真っ先に名前を挙げられる存在ではある。
「休みが明けたら、所長に改めて謝らないと」
両腕を伸ばして小さな欠伸をした私は、サイドテーブルの上にあるフォトフレームを見た。
今日もいつもと同じように伏せられている。
あれから15年近く経つというのに、あの家族を憎みながらも切り離せずにいる。
ゆっくりと手を伸ばし、フォトフレームをそっと掴んだ。
裏返せば、“幸せだった頃の家族”がいた。
「みんな、どうしてるかしらね」
指先でそっと表面を撫でる。
いつだったか、お酒に酔った勢いで感情のままに写真を破った。
泣きながら肩を震わせ、ビリビリと引き裂いた。
愛していた家族に捨てられたというトラウマは、20代半ばになっても克服できてはいなかったのだ。
だが結局は手元に唯一残されたその家族写真を捨てる事ができなくて、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、テープで破片を貼り繋いだ。
捨てることはできないが見たくもない写真は、その日以来、寝室の小さなサイドテーブルの上で伏せられたまま。
「ああ。あと、トオルにも迷惑かけたわね」
熱でボンヤリしながらも、彼が私を抱えてこの家まで運んでくれたことは覚えている。
いくら小柄な女性とは言え、身体の力が抜けた私を支えるのは大変だっただろう。
しかし研究所の中でも背の高いトオルは、なんの苦も無く私を支えて歩いていた。
「ヘタレな日本男性も、役に立つ事があるのね」
クスッと笑ったとたんに先日のトオルのありえない勘違いを思い出し、だんだん腹が立ってきた。
「プロポーズまでしておいて、好きだという気持ちが思い違いだったなんてっ」
フカフカの枕を掴み寄せ、ボスンと拳を叩きつける。
「ありえない。ありえない、ありえないわよ!」
ボスッ、ボスッと10回ほど枕を殴りつけ、ようやく私の気持ちが落ち着いてきた。
フゥと大きく息を吐いて枕を元の位置に戻すと、口元が僅かに緩む。
「……思い違いに気がついたって事は、今のトオルには好きな人がいないって事よね」
その言葉が耳に入ってきた時、無意識に出た自分の言葉に驚いた。
「な、なに言ってんのよ、私ったら。あんなヘタレ男、別に!……ああ、きっと熱のせいね。そうよ、そうに決まってる!」
私は自分の熱がだいぶ下がっているという事実を無視して、誰が見ているわけでもないのに、大慌てでそう結論付けた。