(3)体育祭3日前
土曜日。
午前中を使って体育祭の準備に当たった。
先生達は放送席のテントを張ったり、校庭に引くラインの確認をしている。
あれこれ進められる様子を見ていると、いよいよって感じだ。
生徒達は分団ごとに集まって、応援合戦の練習。
俺達は体育館で、他の分団はグランドに集合している。
女子達はそれぞれ自分で作った応援用のポンポンを持っていて、かけ声に合わせて赤いポンポンが揺れる様子は結構圧巻だ。
当日の流れの説明を一通り受け、何回か通して練習をする。
その後、各分団長は打ち合わせのため呼び出され、他の生徒達は解散となった。
体育館の出入り口はそんなに広くないため、一度に出ることは出来ない。
なので、少し離れたところで人込みが空くのを待っている。
あんなに人がたくさんいる所にいたら、雑音が倍増するからだ。
「高校最後の体育祭になるんだなぁ」
横に立つ小山がしみじみ言う。
「だったらリレーにエントリーすればよかったんじゃねぇの?いい思い出になっただろうよ」
「……足は速くないんだ」
こんな話をしているうちに、出入り口の混雑が落ち着いた。
列の最後尾に着くと、先の方で見覚えのある黒髪のあの子が人の波に埋もれているのが目に入る。
―――ホント、ちっちゃいなぁ。大丈夫か?
そう思って見ていると、前を歩くあの子がふいに振り向いた。小山がそれに気付き、手を振る。
あの子は人の流れから外れて、俺達が追いつくのを待っていた。
合流すると、隣りには昨日見た友達はいなくて彼女1人。
考えてみると、俺がその場にいる必要はなかったのだが、小山もその子も、俺がここにいる事に何の不満もないようなので、暇つぶしもかねて彼らの話を聞いている。
「チカちゃん、今日は1人?友達は?」
小山が尋ねると、彼女は手を口に当てて、コホンコホンと咳き込むマネをした。
「あ、風邪で欠席か。一昨日から急に寒くなったもんね」
さすが、小さい頃から仲のいいイトコ同士だ。わずかな仕草で通じている。
―――そんなことより……。
俺が向けている視線の先に小山も気がついた。
「あのさ、チカちゃん。それ、ずいぶん大きくない?」
他の女子のポンポンは自分の顔と同じくらいなのに、彼女が手にしているのはみんなよりも3倍は大きい。
ニコッと笑った彼女は、持っていたメモにサラサラと書き付ける。
“私は声を出して応援できないから。その代わりに、この大きなポンポンで応援するの。目立つでしょ”
そうして、またニコッと笑う。
―――この子はどうして、こんなに強いんだろう。
人とは異なる自分に卑屈にならず、こんなにも前向きでいられるなんて。
―――俺とは違う……。
スッと目をそらすと、俺の視界の端に白いものが映った。
彼女が差し出したメモだった。
“桜井先輩が図書室で言ってた友達って、圭ちゃんのことだったんですね”
「……圭ちゃんて、誰?」
俺が言うと、隣りの小山がわざとらしくガクッとこけた。
「俺だよ、俺。圭一だから、圭ちゃんて呼ばれてんだよ」
「あ、なるほど」
「なんだよ、桜井。俺の名前を覚えていないなんて、ひどい奴だ……」
クスン、と泣き崩れる振りをする。
俺と同じ位背のでかい男がそんな仕草をしたって、可愛いどころか気持ち悪いだけだ。
「そうじゃないって。いつも“小山”って呼んでるから、とっさに下の名前が出てこなかっただけだ。覚えてないわけじゃない」
「本当か?」
ジロリと小山が俺を見る。
「本当だ。嘘じゃない」
「本当に、本当か?」
「しつこいな。本当だって」
散々繰り返した小山はようやく納得したらしい。
「よし、分かった。信じてやるから、俺にジュースをおごれ」
「やだね」
俺はすかさず奴の額にチョップをお見舞いする。
「何でたかだか名前の事で、ジュースをおごらなきゃならないんだよ」
「冗談だったのに……」
クリティカルヒットしたチョップに、小山は少し涙目だ。
そんな俺達の様子を楽しそうに見ていた彼女が、メモを差し出す。それを小山が受け取って読み上げた。
「“仲がいいんですね。桜井先輩、これからも圭ちゃんをお願いします”。……って、チカちゃん違うから!俺が桜井の面倒を見てやっているんだからね!!」
メモを握り締め、なぜか必死で弁明する小山に、彼女は“冗談だよ”って書いたメモを見せる。
図書室の時もそうだったけど、この子はなかなか茶目っ気があるみたいだ。
二人のやり取りを見て、知らず知らずのうちに俺の口元が小さな笑みを浮かべていた。
俺たち3人は体育館傍の階段までやってきた。
1年は1階、3年は3階に教室がある。
「じゃあね、チカちゃん」
小山が手を振る。それに応えて、彼女が手を振り返した。
俺はこの前と同じように軽く頭を下げようとした時、彼女と目が合う。
大野さんはほんの少し迷った様子を見せた後、小さく手を振ってくれた。はにかんだ笑顔と共に。
この前はただの先輩と後輩だったが、今日は顔見知りとしてあいさつしてくれたのだ。
俺の心がなんとも言えない温かいものに包まれていった。