(3)整理のついた気持ち SIDE:徹
普段は冷静沈着が服を着ているようなシャルだが、そんな彼女が俺の失恋話を聞いて感情を顕わに騒いでいた。
この研究所に来て以来、初めて見た彼女に俺はどこかホッとしていた。
「ちゃんと怒鳴れるんだな」
拾い上げた雑誌についた埃を軽く手で払いながら、俺はそう呟く。
出逢った当初から、医療界で広く知れ渡る触れ込みどおりに天才児であるシャルリアーノは、とにかく感情に乏しかった。
表情、態度、口調。
全てが『素っ気無い』の一言に尽きるのだ。
その様子は数年経っても変わることなく、いつでも、誰に対しても、シャルリアーノは素っ気無い。
とはいえ、不遜な冷血漢ということではない。
困っている人を見れば、自らの手を差し伸べることに躊躇はなく、礼も謝罪もきちんと述べる事をしていた。
しかし、そんな彼女は笑うことも、怒ることもしない。つまるところ、感情の正負が欠けていた。
いや、感情自体は彼女の中に存在しているはずなのだが、ただ、感情を表に出す前に、諦めが先に来てしまうように感じていた。
「もっと、素直になればいいのに」
丸めた雑誌でポンポンと自分の肩を叩きながら、俺は苦く笑う。
「怒りでも何でもいいから、人に感情をぶつければいいのに」
この施設には、彼女のことを若さゆえに見下す敵はいないのだから。
「……でも、いきなり怒鳴りつけられるのは、遠慮したいなぁ」
理不尽な八つ当たりとしか思えなかったが、それでも、彼女が見せてくれた感情に、俺は嬉しくなり、クスクスと笑い続けた。
それから数週間後。
昼飯から戻ってきた俺は、所長から今月末に桜井さんが研究所にやってくると知らされた。しかも、チカちゃんも一緒だ。
どうやらハネムーンの途中で立ち寄ることにしたらしい。
「大して時間が経ってないのに、すごい懐かしい気がするなぁ」
所長室を出て廊下を歩きながら、ポツリと呟く。
病院で桜井さんの腹を殴ったのは、まだ記憶に新しい。
学会の都合で2人の結婚式には参加できなかったが、その後、日本からたくさんの写真と、結婚式の模様を収録したDVDが送られてきた。
どのチカちゃんも綺麗で、そして、何より幸せそうで。
そんな彼女を見て心の奥が痛まないわけではないが、気持ちの整理はついていた。
仕事を終えた俺は、帰り支度を済ませて施設裏の駐車場に向かう。
すると、俺の車に寄りかかり、腕組みしているシャルリアーノの姿が目に入った。
「お疲れ様です。どうされました?」
何気ない調子で声を掛ければ、
「聞いたわ」
と、一言だけ返ってきた。
「聞いたって、何をでしょうか?」
的を得ない彼女の言葉に訊き返せば、ジロリと睨まれる。
「日本から視察に来る人って、要はあなたが好きだった幼馴染を奪った男でしょ。何、落ち着いてんのよ」
「そう言われましても……」
自分の中では“過去のこと”として片がついているので、荒立てるつもりも恨み言を言うつもりも更々ないのだ。
困り顔で眉を寄せる俺に、シャルリアーノは渋い表情を見せた。
「彼女のこと好きだったんでしょ?愛してたんでしょ?」
その言葉に素直に頷く俺。
「ええ。好きでしたし、愛していました」
そんな俺を見て、自分から問いかけたにも拘らず、複雑な表情を浮かべるシャルリアーノ。
しかし、次の俺の言葉を聞いて、その表情が一瞬で崩れる。
「……そう、思い込んでいました」
「はぁっ!?」
釣り目気味の大きな瞳が、これでもかと言わんばかりに見開かれた。
「トオル。アンタ、今、自分が何を言ったか分かってるのっ?思い込んでたって、何よっ」
息巻いて迫ってきたシャルリアーノに、思わず一歩下がる俺。
「ですからね、チカちゃんの笑顔に心が奪われて、好きだと感じたのは間違いではありません。彼女の笑顔を隣で守っていくのが、自分の使命だと思っていました。……でも、今になって、その想いは家族愛の延長みたいなものだと気がついたんですよ」
そこまで一気に言い切ると、シャルリアーノは肩を落として盛大なため息をついた。
「何度も言ってるけど、アンタって馬鹿じゃないの?こんな馬鹿が自分の部下だなんて、情けなくって涙が出そうよ……」
額に手を当て、大きく夕空を見上げるシャルリアーノに
「それなら、泣けばいいじゃないですか。ハンカチ、貸してあげますよ」
と、申し出る。
すると彼女は、カッと目を瞠り、
「私が人前で泣く訳ないでしょ!物の例えよ!ホントに馬鹿ね!!」
と、怒鳴り返してきたのだった。