SIDE:アキ
日本に帰ってきてから、まずはチカの家に向った。
約2年ぶりの我が家に、チカは恐る恐る玄関を開ける。すると、お父さんとお母さんが仁王立ちしていた。
「親をむやみに心配させるんじゃない!」
詳しい行き先も知らせず、イギリスに旅立った娘のことを一喝したお父さん。
ビクリ、と身体を大きく震わせ肩をすくめるチカを見て、お父さんが苦笑した。
「まぁ、無事でなによりだ。お帰り、チカ」
そう言って優しく彼女の頭を撫でる。
「ホントに、もう。小さい頃から思い切った行動を取るのよね、この子は。でも、自分なりに考えてのことだったんでしょ?」
お母さんは同じ女性として、理解するところがあったようだ。
チカのお父さんもお母さんも、彼女が話せるようになったことにものすごく驚き、そしてものすごく喜んだ。
それから俺の家に向かう。
玄関の扉を開けようとしたところで、チカが立ち止まってしまった。
「どうした?」
横に立つ彼女を見れば、複雑な表情をしている。
「うん……。入りづらいなって思っちゃって」
困ったように笑うチカ。
学生の時と同じく、何事もなかったように振舞うことは難しいだろう。
詳しい話は知るところではないが、俺との別れ話を切り出した伯父や伯母に会うとなれば気まずくて当然だ。
「チカは何も悪いことしてないんだから、堂々としていればいい」
「そんなこと言っても、私、伯母様に“二度とアキ君に会わない”って約束したんだもの。約束破ってしまったから、どんな顔をしたらいいのか」
「そんな約束、無効だよ。それと正確に言えば、俺が無理矢理チカに会いに行ったんだ。だからチカ自身は約束を破っていないじゃないか。だから問題なし」
「そういう事じゃないと思うんだけど……」
俯いてしまった彼女の手を握って、俺は強引に歩き出した。
「気にすんなって、伯父さん達が待ってるから行くぞ」
「えっ。あ、ちょっと!」
戸惑うチカの手を引いて、玄関の扉を開けた。
オロオロするチカに構わず、俺はどんどん廊下を進みリビングへ。
中に入ると、伯父さんと伯母さんはソファーに座ることなく、立って待っているのが見えた。
「おかえり、晃」
「予定より早く着いたのね」
現れた俺たちの姿を見て、2人ともぎこちなく声をかけてくる。だが、そこには俺たちに対する拒絶も嫌悪も感じられない。
「道が思っていたより空いていたんだ。ほら。チカ、座って」
促され、チカは伯父さんたちに頭を下げてから俺の横にソッと腰を下ろした。
それを見て、伯父さん達もソファーに座る。
俺は一呼吸置いてから口を開いた。
「色々と報告があるんだけどさ……」
言いかけたところで、伯父さんが遮る。
「晃。話の前に、まずは謝らせてくれ」
そう言って2人はチカに向って深々と頭を下げた。
「チカさん、あなたには本当に悪い事をしてしまった。申し訳ない」
「謝って済む事ではないけれど、本当にごめんなさいね」
そして改めて頭を下げる2人。
「いえ、そんなっ。顔を上げてください!」
チカが慌てて声をかける。
「もう終わったことですから。それに、会社を守るためにそうするしかなかったお2人の気持ちはよく分かっています。お願いです、顔を上げてください」
何度もチカに言われて、伯父さんたちはようやく姿勢を戻した。
「こんな私達を許してくれてありがとう、チカさん」
チカは伯父さんに優しく微笑んで、ゆっくりと首を横に振る。
「いいんです。アキ君が迎えに来てくれた事で、私は救われましたから。それに、伯父様たちの会社があって、そしてそこでアキ君が仕事をしていたからこそ、こうして声を取り戻すことが出来たんです。私の方こそ頭を下げなくては」
「そう言ってくれて嬉しいよ、ありがとう」
もう1度お礼を言った伯父さんは、次に俺へと目を向ける。
「晃にも悪い事をしてしまったな」
「勝手な事をして、ごめんなさいね」
伯母さんも俺に向き直って頭を下げる。
「ったく、本当だよ。チカがいなくなったと分かった時、俺がどんなにショックだったか……」
吐き出すように冷たい口調で言うと、2人は目を伏せた。
「晃、悪かった」
「悪かったじゃないよ!俺はチカと違って、心が広くないんだ。2人のことは一生許さないからな!」
俺の言葉に伯父さんたちは体を小さくする。
「すまなかった」
「晃君、ごめんなさい」
何度も謝罪を繰り返す2人を見て、そして横でオロオロするチカを見て、俺はフッと小さく笑う。
「なんてね。本当はもう、伯父さん達のことは許してるよ」
「え、晃?」
驚いた顔でじっと俺の顔を見る伯父さんと伯母さん。
「そりゃ、2人のせいでチカがいなくなった事が分かった時は、めちゃくちゃ腹が立ったよ。……でもさ、チカが許す事を教えてくれたんだ」
俺の隣で何も言わず、事の成り行きを見守っているチカの手をそっと握った。
「許すこと。感謝すること。チカといることで、俺は人として大切な事をたくさん学んだよ。こんな素敵な女性は世界中探し回ったって、チカ以外いない」
握った手に力を入れる。
俺を静かに見つめるチカに微笑みかけ、そして正面を向く。
「俺達、結婚するから」
はっきり告げる。
すると、伯父さんたちの目にうっすらと涙が浮かんだ。
「お前たちの事はもう反対する必要もない。チカさん、ぜひ晃と結婚してやってください」
穏やかに笑う伯父さん。
「言われなくたって、俺と結婚するよな?」
グイッと肩を抱き寄せ、チカの頬にチュッと軽くキスをする。
「ひゃっ!アキ君?!」
初めて会った日のように、苺と同じくらい真っ赤になるチカ。
恥ずかしがる彼女は俺と距離を取ろうとして腕を突っぱねているが、そんな抵抗をものともしないで俺は更に抱き寄せる。
「ちょ、ちょっとアキ君!やめて、やめてっ」
「別にいいだろ、減るものじゃないし」
ソファーの上でちょっとした攻防を繰り返す俺とチカに、クスッと笑う声が聞こえた。
「おやおや、あまり見せつけないでくれ。こっちが照れてしまうよ」
伯父さんと伯母さんは楽しそうに俺達の様子を見ている。
「さぁて、これから式の準備で忙しくなるな。私たちはいくらでも協力するぞ、遠慮なく言ってくれ」
その言葉に、伯母さんがポンと手を打ち鳴らす。
「どうせなら、神奈川にあるウチで一番いいホテルを貸し切りにして式を挙げない?お客様の評判もすごくいいのよ」
「それはいいな」
「でも、そこってあまりに人気がありすぎて、今は断ってるんじゃなかった?」
俺がそう訊けば、
「心配するな、社長権限で予約を入れておくさ」
伯父さんが得意げに胸を張る。
「チカさんは色が白いから、どんなドレスも似合いそうだ」
「あら、日本人なら和装よ。チカちゃん、白無垢もいいけど、思い切って十二単着てみる?晃君のはかま姿も、きっと素敵よねぇ」
俺達そっちのけで話しを進める2人。
罪滅ぼしということなのかもしれないけど、本当に喜んでくれているのが伝わってくる。
「チカ、どうする?」
どんどん決まってゆく話に、チカは困ったように伯父さんたちと俺を交互に見遣る。
「あ、あの私、そんなに豪華な式じゃなくていいんだけど……」
「でも、こうなったあの2人は止められないよ」
俺がクスッと笑うと、チカも苦笑い。
「そうみたいだね。ようし、私も話に参加しなくちゃ。すいませーん。花束贈呈の時には、自分が生まれた時の体重と同じ重さのテディベアを用意してくださーい」
手を上げて、チカが伯父さんたちの話に入っていく。
「いいわよ。ねぇ、晃君は何かリクエストないの?」
「そうだなぁ。チカのお色直し、最低5回は見たい」
「5回も!?」
驚くチカをよそに、伯父さんは手を叩いて賛成する。
「それはいい!そうすればドレスも着物も好きに着られるな」
「で、でも、5回は多すぎだと思います!そんなに必要ありません!」
確かに、ウェディングドレスとカラードレスの2着が一般的。
しかし、伯父さんも伯母さんも、盛り上げることにかけては全力投球な人たちだ。チカの言い分が通るはずはない。
「何、遠慮してるの。一生に一度のイベントなのよ、目一杯やりつくさなくちゃ。晃君もそう思うでしょ?」
伯母さんの言葉に、大きく頷く。
「そうそう。俺の自慢の彼女をみんなに見せびらかす良い機会だからな。チカ、とびっきりのドレスを選ぶんだぞ」
「や、やだっ。自慢の彼女だなんて、恥ずかしいっ」
ボン、と音がするほど瞬間的に真っ赤になったチカを見て、俺も伯父さんも伯母さんも笑った。
誰もが心の底から楽しそうだ。
―――ああ、これが“家族”っていうんだろうなぁ。
この家の養子になってもう何年も経つけれど、初めてそう思った。
チカがいれば、その周りに笑いが絶えない。
それは彼女がみんなを大切に思っているから。
その気持ちが伝わって、みんなを笑顔にする。
チカの仕草一つ一つには、いつでも“気持ち”が込められているんだ。
それは声が出せなかった時も、声が出せるようになってからも。
ほら、今だって。
チラリと俺を見る視線にはありったけの愛情が詰まっていて、『大好きだよ』って言っているのが分かる。
俺は指を絡めるようにチカの手を握り、素直な気持ちを視線で返す。
―――愛してるよ。
2人で瞳を合わせて、静かに微笑みあった。