(3)声に出来た“アイシテル” SIDE:チカ
―――どういうこと?!
突然現れたアキ君に、私は目を見開くばかり。
何も言えない。
何も出来ない。
―――どうして、アキ君がここに?
ただ、アキ君を見つめる。
瞬き一つしない私を見て、彼が口を開いた。
「……やっと見つけた」
泣きそうに目を細めるアキ君。
その声。
その視線。
それは私が知る『桜井 晃』であり、イギリスで会った彼とはぜんぜん違っていた。
―――なんで、アキ君がここにいるの?!
もう二度と会わないはずだったのに。
記憶を取り戻したアキ君と会ってはならないはずだったのに。
だからこそ、無理矢理にでもイギリスを離れたのに。
私は口元を押さえ、ガクガクと震えることしか出来ない。
アキ君は窓辺に立ったまま動かない私を見て、短く息を吐いた。
「改めてイギリスに行ったら、“もうここにはいない”って言われるし。アメリカに来ても、なかなか見つからないしさ。朝から晩まで、ずっと探していたんだぞ」
少しも私から目を逸らすことなく、アキ君は一歩、一歩、ゆっくりと近づいてくる。
私はそんな彼の様子を見ているだけ。
―――探していた?
2年も音信不通だった元彼女に、何の用事があるというのだろう。
―――もしかして……、酷い別れ方をしたから、仕返しをしたかったとか?
そんなまさかとは思うが、真っ白になった頭ではまともな考えが浮かばない。
頭が混乱してしまって、今にも倒れそうだ。
―――どうして私を探していたの?
訊きたいことはたくさんあるのに、ノドがカラカラに渇いてしまって声が出せない。
ふと気がついた時には、すぐ目の前にアキ君がいた。
「チカ」
名前を呼ばれて、私はおずおずと背の高い彼を見上げる。
久しぶりに会ったアキ君。
イギリスでの怪我はすっかり治ったみたいで、擦り傷だらけだった顔には、傷一つ残ってなくて綺麗だった。
だけど、その表情に疲れが見える。ほんの少しの間に、また痩せたようだ。
―――それでも、やっぱりかっこいいなぁ。
逃げることも忘れて、私は久々に会った彼に見惚れてしまった。
彼を見ているだけで、今でも涙が出るくらい胸が熱くなる。
徹さんと一緒に生きていくと決めた日から、アキ君への想いは心の奥の、そのまた底に閉じ込めたはずだったのに、そんな封印はいとも簡単に吹き飛んでしまった。
ジワジワと彼への想いが湧き上がってくる。
押さえようとしても、ダメだった。
―――アキ君!
だけど、私にはアキ君に手を伸ばす権利はない。彼を見捨てた私には……。
だから唇を噛んで、今にも縋りつきたい衝動をじっと耐える。
棒立ちの私を見て、アキ君が口元だけでクスリと笑った。
「俺がチカを探していた理由、本当に分からない?」
―――そんなの、分からないよ。
私は答えられず、小さくコクンと首を振る。
ここにいていいのか、それとも逃げ出した方がいいのか。そんな簡単なことすらも分からない。
困った顔でアキ君を見上げていると、彼は1歩前に出た。
「……じゃぁ、教えてあげるよ」
そう言ってアキ君は腕を伸ばし、私をそっと抱きしめる。
「会いたかった」
―――え?
今のは都合の良い聞き間違いだろうか。
―――『会いたかった』って言った?
そんなはずはない。
私はそんな事を言ってもらえるような存在ではない。
彼に憎まれることはあっても、会いたいと思ってもらえるような人間ではない。
なのにアキ君は言う。
「チカ、会いたかった」
抱き寄せた私の髪に、アキ君は頬を摺り寄せた。
「チカを抱きしめたかった……」
吐息とともに伝えられる切ない告白。
―――ウソ……。
私の唇が小さく動く。
それを見たアキ君が苦笑した。
彼は私の前髪を右手でそっと払って、おでこにキスをする。
「ウソじゃないよ。俺はチカを迎えに来たんだ」
―――本当に?!
まっすぐに私を見つめる彼の瞳。
そこには別れる前と同じ光があった。
―――まだ、私を好きでいてくれたの…?
とっくに嫌われたと思っていたのに。
こんなひどい私のことなんて、忘れてしまったと思っていたのに。
止まっていた涙が、また溢れそうになる。
―――ずっと、私を好きでいてくれたの?本当に?
恐る恐る彼の背中に腕をまわすと、アキ君の腕に力が入って更に抱き寄せられる。
「俺の気持ち、分かるだろ?」
その腕の強さはまるで、『チカが好きだよ』って言っているようだ。
言葉がなくても、アキ君の気持ちが伝わってくる。
優しくて力強い彼の抱擁。
大きくて穏やかな彼の温もり。
昔とぜんぜん変わっていない。
離れていた2年間なんて無かったかのように、私の体も心も、彼のすべてを覚えている。
アキ君は私の目をじっと覗き込み、フワリと微笑んだ。
「前に言っただろ?チカがいないと、俺は幸せになれないんだって。忘れちゃった?」
彼の腕の中で、私は静かに首を横に振った。
―――覚えてるよ。アキ君との思い出は、みんな覚えてるよ。
彼に愛されていた時間で一杯だった素敵な思い出を、忘れるはずなんてない。
「いいの?私、そばにいても……いいの?」
自然と涙が溢れて、声が震える。
そんな私にアキ君がちょっとだけ怖い顔をして、
「何、馬鹿なこと言ってんだよ。当たり前だろ、チカは俺のそばにいないとダメなんだからな」
と言った。
そしてすぐに優しく笑ってくれる。
私の心を丸ごと包んでくれる、優しくてあったかい笑顔。
2年前と、何一つ変わっていない。
「うん。うん……」
私は何度も頷いた。
コツン、とおでこ同士を合わせて、アキ君が切ない声で囁く。
「もう放さないからな。二度と勝手にいなくなるなよ」
すぐ近くにある彼の顔が、涙でぼやけてよく見えない。
「相変わらず、チカは泣き虫だなぁ」
アキ君が頬を指でぬぐってくれる。
そういう彼の瞳にもうっすらと涙が浮かんでいた。
「うう……、ア、アキ君……。アキ君!」
私は彼の名前を呼ぶ。
文字ではなく。
手話ではなく。
唇の動きではなく。
私の声で、彼の名前を呼ぶ。
すると、優しく私の髪を撫でてくれた。
「いい声だね。もっと呼んで。俺の名前、もっともっと」
私は言われるままに、彼の名前を呼び続ける。
「アキ君、アキ君!」
ずっと声に出して呼びたかった彼の名前。
そして、彼の名前とともにずっと、ずっと言葉にしたかった想いを声に乗せる。
「アキ君、愛してる……」
やっと言えた。
やっと声に出来た。
やっと、やっと、自分の声で“愛してる”を届けられた。
「うん……、うん……」
何度も頷くアキ君。
彼の頬にも、とうとう涙が伝い落ちる。
それを見たら涙が次々に溢れてきて、止めることが出来ない。
「愛してるって、ずっと言いたかったの…」
ぐしゃぐしゃになった顔のまま、アキ君を見上げる。
「今日まで言えなくて、ごめんね……」
アキ君は大きく首を振った。
「でも、聞こえてたよ。チカの心の声は、いつも俺の心に届いてたよ」
アキ君が私の顔を両手でそっと挟み、見つめながら言う。
「チカ、愛してる。昔と変わらず、今も愛してる」
私も彼を見つめ返して言う。
「忘れようとしたけど、出来なかった。諦めようとしたけど、無理だった。アキ君、私も愛してる」
涙声の私たちは、お互いを強く抱き寄せた。