(2)悲しい笑顔 SIDE:チカ
「チカちゃん、本当にいいんだね?」
私はきちんと『はい』って言ったのに、どうしたことか、徹さんは表情を曇らせて訊き返してきた。
―――おかしな徹さん。緊張してるのかな?
心の中でクスッと微笑み、改めて笑顔になる私。
「もちろんだよ」
だけど、にっこりと笑う私を見て、彼は寂しそうにため息をついた。
「……それなら、どうして泣くの?」
「え?」
私はあわてて空いている右手を頬に当てると、言われたとおり、指先には濡れた感覚があった。
「あれ?やだな、どうしたんだろう」
次から次へと涙が溢れてくる。
「ふふっ、変なの。これはきっと、嬉し涙だよ」
小さく笑って徹さんを見上げる。
すると、彼は探るように私の瞳を覗き込んだ。
「……ウソだね」
「ウソ?」
―――そんなはずない!
私はすぐ反論する。
「何でそんなこと言うの?私は徹さんのそばにいる事を、自分で選んだんだよ?」
はっきりと告げる。
それでも、彼の顔は一向に晴れない。
「そんなに悲しそうなのに?とてもじゃないけど、喜んでいるようには見えないよ」
徹さんは握っていた手を解いて、一歩離れた。
「あ~あ、やっぱりダメだったかぁ」
そして床に視線を落として、大きなため息をつく。
―――ダメ?何が?
首をかしげる私を苦笑しながら徹さんが見る。
「結構自信あったんだけどなぁ。どうやっても、俺は桜井さんに勝てないんだね」
―――どうしてここでアキ君の名前が出るの?!
彼の言動の意味するところがぜんぜん分からない。
「徹さん?」
彼は呼びかけに答えるのではなく、髪をクシャリとかき上げ、独り言のように言葉を続ける。
「最初は桜井さんの代わりでもでもいいかなって思ってたんだけど、俺、意外とプライドが高いみたいでね。やっぱり、誰かの代わりで2番目って位置は面白くないなぁ」
「え?あの?」
話の内容が一向に見えてこない。
オロオロとする私をよそに、徹さんは一人で話を進める。
「だから……、俺、降りるよ」
「降りるって何?」
ますます混乱してくる私に彼が言う。。
「チカちゃんの旦那候補から降りるって事」
「……は?」
私は大きく目を見開いた。
「なんで?!どういうこと?!この後、一緒に指輪を買いに行くんでしょ?」
別に指輪をねだるわけではけれど、私は徹さんのプロポーズに応えたのだから、それなりの形を示して欲しい。
徹さんのほうから『指輪を買いに行こう』って言い出したのに。
それなのに、一体どういうことなのだろうか。
「悪いけど、指輪はナシね」
ところが、私の真剣な視線を軽く返されてしまった。
「え?……ええっ?!」
―――ナシって何?
頭は完全にパニックを起こしている。
彼が何をしたいのか、本当に理解できない。
「あ、でも退院祝いは別に用意してあるから、それは絶対に受け取って。ちなみに返品は不可だから」
「う、うん」
ずいっと指を突きつけられ、訳も分からない私は頷くしかなかった。
「あの……。それで、何を用意してくれたの?」
おずおずと尋ねると、徹さんは少しだけ意地悪く笑う。
「それは見てからのお楽しみ。今、持ってくるよ」
私の頭をポンポンと軽く叩いて、彼は私に背を向けた。
そして扉を出る直前に、クルリと振り返る。
「チカちゃん。今度こそ、幸せになるんだよ」
そう言い残して、トオルさんは姿を消した。
「今度こそ?」
それはどういうことだろう。
そして、徹さんはどんなお祝いを用意したのだろう。
それより、彼が私との結婚を白紙に戻すような発言をしたことの方が気になる。
「いったい、何なの?」
状況が何一つ飲み込めない。
「まったく、もう。後でしっかり説明してもらわなきゃ」
ところが、徹さんはなかなか戻ってこなかった。
「どうしたんだろう」
ただボンヤリと立っているのも退屈なので、窓の外の景色に目をやる。
それから更に10分ほど経って、ゆっくりと近づいてくる足音が聞こえてきた。
「やっと戻ってきたぁ」
開けていた窓を閉めた時、病室の扉が静かに開く。
「ねぇ、徹さん。分かるように、きちんと説明して……」
―――……え?
振り向いた私はそのままの状態で固まってしまった。
そこに立っていたのは徹さんではなく、アキ君だったから。