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声に出来ない“アイシテル”  作者: 京 みやこ
第14章 すれ違いの果てに待ち受けるもの
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(7)チカの居場所

 結局、チカに会えないまま1ヶ月が経ってしまった。


 昼夜を問わず、ふとした拍子にあの時に見た夢が時折眼窩に浮かんでくる。

 目の前にいるチカに手を伸ばすことさえ、彼女の名前を呼ぶことさえ出来ずに、他の男に奪われてしまった悪夢。

 それを振り払おうとなおさら懸命に探すものの、努力は実らず虚しく時間だけが過ぎてゆく。


「チカ、どこにいるんだよ……」

 ホテルのベッドの上でうなるように呟いた。


―――チカが心配するようなことは、もう何一つないのに。


 彼女さえ見つかれば、すべてがうまくいく。

 なのに、肝心のチカがどうしても探し出せない。


「くそっ」

 バフン、と大きく寝返りを打った。

 そこで枕もとの時計が目に入る。時刻は10:40。

「いけねっ、今日はトオルさんと会う予定があったんだ!」


 あわててベッドを飛び出し、大急ぎで出かける準備を始めた。



 バタバタしながらも、約束の11:30に研究所に到着。

 この前と同じように所長が出迎えてくれて応接室に通されるが、トオルさんはまだ来ていなかった。


 所長がコーヒーを持ってきた女性事務員に尋ねる。

「トオルはどうした?」

「外出先からまだ帰ってないんです。でも15分前に連絡がありましたから、もう間もなくだと思いますよ」

 意味ありげに微笑みながらコーヒーを置くと、事務員さんは軽く頭を下げて出て行った。

「すいません。前回といい、今回といい、段取りが悪くて」

 申し訳ない顔をした所長が、ため息をつく。

 俺はゆっくりと首を横に振った。

「いえ、お気になさらずに。トオルさんはずいぶんとお忙しい方のようですね」

「なんでも、ずっと好きだった女性を射止めることが出来たようで。その彼女が入院しているから、心配でたまらないのでしょう。まったく、いい年して初々しいというか……。ですが仕事は出来る男ですから、ご安心ください」

 そんな話をしていると、早足で近づいてくる足音が。


「申し訳ありません、遅くなりました!」

 勢いよく扉を開けて、大きな声と共に入ってきた一人の男性。

 それは、チカが“お兄ちゃん”と呼んでいた『山下 徹』だった。





「えっ、山下さん?!」

 驚いて、思わず腰が半分浮く。

 彼も俺の顔を見て、動きが止まった。

「もしかして、桜井さん!?」

 お互い目を見合わせて固まる。

 そんな俺達を見て、所長がまばたきを繰り返した。

「なんだ。彼はトオルの知り合いだったのか?」

「あ、はい。顔を合わせたことはあります」

 後ろ手で扉を閉めながら、山下さんが所長に答える。

「ほう、世界は意外と狭いものだな」

「……そうですね」

 苦笑しながら返事をした山下さんは、『失礼します』と言って、ソファーに座った。


「それでは人工声帯の話をしましょうか」

 と、所長が言ったところで先ほどの事務員が顔を覗かせる。どうやら、所長に電話が入ったようだ。

「私は用があるので、これで失礼します。桜井さん、どうぞゆっくりなさってください」

「ありがとうございます」

 会釈を交わした後、所長は出て行った。


 向かい合わせに座る俺と山下さん。

「まさか、ここで桜井さんに会うとは思いませんでしたよ」

 困ったように笑いながら、山下さんがコーヒーをすする。

「ホント、びっくりしました」

 俺も苦笑を返した。

「よくこちらの名前を覚えてましたね。ちょっと挨拶をした程度だったのに」

 意外そうに山下さんが言う。

「あ、まぁ……」

 かつては嫉妬の対象だったから印象深い、とは言えない。

 俺は笑ってごまかした。

「山下さんこそ。記憶力がいいんですね」

「え?ああ、そうですね。それが取り柄みたいなものですから」

 山下さんもなんだかごまかすような言葉を返す。


 お互いの間に微妙な空気が流れた。



 しばらくして、これまで和やかな表情だった山下さんがふと真顔になる。

「ここにあなたがいるということは、資金援助をしてくださっていたのは桜井さんなんですね?」

「そうです」

 俺は大きく頷く。

「医療の発展の為に、少しでも力になればと思いまして。……と言えば聞こえはいいですが。実のところ、個人的な目的があったんですよ」

「どういうことですか?」

 コーヒーカップをソーサーに戻した山下さんは、興味深そうに俺を見る。

 俺もカップを置き、その手を膝の上でグッと握る。

「チカが話せるようになって欲しいんです」

 願いと思いを込めて答えた。


 それに一瞬ひるんだような表情を見せる山下さん。

「チカちゃんのためですか?」

 さっきまで穏やかだった山下さんの顔が、俺の言葉を聞いたとたんに変わった。それはどことなく恐さを感じる。


―――どうしたんだろう?


 不思議に思いながらも、俺は話を続ける。

「実は事情があって、今はチカと離れ離れですが……」

 彼女が理不尽な理由で引き離された経緯に後ろめたさがあり、俺は軽く視線を伏せた。

「俺はチカが自分の家族に認められる道を探していました。そして、ここの人工声帯技術を知りました。

 彼女が声を取り戻せば、何の問題もないんです。だから、“個人的な目的”なんですよ」

 

 逃げ出した彼女のために、どれほどのお金を投資したのか。

 どれほどの時間と労力をかけてきたのか。

 馬鹿げていると言われるかもしれない。


 だが、どんなに苦労をしても、チカを取り戻したかった。


 

「なるほどね……」

 山下さんは複雑な顔でテーブルに置かれたコーヒーカップを見つめている。


 しばらくして、目を伏せていた山下さんが顔を上げて、俺を見た。

「離れ離れということですが、あなたの気持ちは変わっていないんですか?単に義務感や責任感から、チカちゃんに話せるようになって欲しいということではないんですか?」

 

 彼はどうしてここまで突っ込んだ言い方をするのだろう。

 それにさっきからずっと山下さんの表情が硬く、話の合間に見せる微笑みがやけにぎこちない。


―――俺とチカのことに反対してるのか?


 彼は“お兄ちゃん”として、俺を試しているのだろうか?


 山下さんの真意は分からないが、俺は思っていることを素直に伝える。

「気持ちに変わりはありません。むしろ、離れていた2年間でつくづく実感しました。自分にとって、チカはなくてはならない存在なんです」

 俺は聞いたばかりの話しを口にする。

「さきほど所長が言ってましたよ。山下さんはずっと好きだった女性を射止めたのだと。 それなら、俺の気持ちを分かっていただけるのではないでしょうか」

 俺は笑顔で問いかける。

 それに対して、山下さんは無言だった。


―――あれ?何かマズい事、言ったか?


「山下さん?」

 名前を呼ばれて、はっと我に返る山下さん。

「ああ、すいません。要は、桜井さんは離れていた間も、チカちゃんのことを好きだったわけですね」

「そうです」

 はっきりと力強く答えた。

 それを聞いて、山下さんが困ったように微笑む。

「なるほど、あなたの言葉にウソはないようだ」

「もちろんですよ」

 重ねてきっぱり言い切ると、山下さんは口元に手を当ててなにやら考え出した。


 沈黙が訪れる。

 その間、山下さんは時々眉を寄せて難しい顔をしていた。


 俺がチカの話をしてから、ずっと彼の様子がおかしい。


―――いったい、どうしたって言うんだ?


 理由の分からない沈黙に、とりあえず山下さん様子を見守る。

 そんな彼を見ながら、俺は訊きたい事があったのを思い出した。

「あの……、チカの居場所を知りませんか?」

「え?」

 唐突に声をかけられ、考え込んでいた山下さんが意識を取り戻した。

 しっかりと俺と目が合ったことを確認して、話を続ける。

「少し前にイギリスへ行っていたんです。そこでチカに会いました。その時、山下さんにも会いましたよね?」

 彼の瞳をじっと見る。

 すると、山下さんは短く息を吐いた。

「……記憶が戻ったんですね」

 なんともいえない表情となる山下さん。

 そして、また考え込んでしまった。


 それから10分ほどして、ようやく彼が口を開いた。

「このまま黙っているのはフェアじゃないですね」

「は?」


―――フェアじゃないって、何が?


 2、3度まばたきをしてじっと山下さんを見つめていると、彼は独り言のように、ポツリともらした。

「実は……。チカちゃんは今、俺と一緒に暮らしています」


「―――えっ」

 耳を疑った。


 チカの居場所を知った喜びよりも、彼女が山下さんと一緒にいるということが衝撃だった。




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