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声に出来ない“アイシテル”  作者: 京 みやこ
第14章 すれ違いの果てに待ち受けるもの
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(6)戻った声 SIDE:チカ

 人工声帯の手術を前にして、私は色々な検査を受けた。

 身長、体重、骨格、顔や首の筋肉の付き方など細かく調べる。そのデータをもとに、本来の私の声に合った声帯を作るらしい。

 一つ一つの検査が時間をかけて慎重に進められたため、私はぐったりしていた。

 そして、少しずつ近づいてくる手術に緊張と恐怖は隠せない。


 でも、お兄ちゃんがずっとそばにいてくれたから。

 明るく、優しく、励まし続けてくれたから。

 私は不安や恐怖から逃げ出さずに済んだ。


 ようやくすべての測定が終わり、病院のベッドで横になっていると次はいよいよ手術。

 お兄ちゃんは助手として手術に立ち会うことになっている。

 実際に私の手術をしてくれるのは、お兄ちゃんが師事するルーカス先生だ。彼はこれまでにいくつもの手術を成功させてきたとか。

「出来れば俺がチカちゃんを手術してあげたいけど、万全を期したいからね。経験豊富なルーカス先生の腕は悔しいけど俺よりもいいから、安心して」 

 そう言って、フワリと笑うお兄ちゃんが人口声帯を見せてくれた。

 

 独特の感触を持つ薄い膜は、ゴムのようにグニャグニャと柔らかい。

 それなのに、思い切り引っ張ってもハサミを使っても、絶対に切れないという不思議な素材。

 これが完成するまでに5年以上も費やしたらしい。


―――5年も?!


 私がびっくりして眼を大きく開けば、『もしかしたら、もっと長い時間がかかったかもしれない』と、お兄ちゃんは言う。


 2年ほど前からある人が『研究費用に』と、多額の資金を援助し続けてくれたとのこと。

 その援助のおかげで研究が格段に進み、人工声帯はついに完成したのだと教えてもらった。


 もちろん、こうして手術を迎えられたのは援助してくれた人のおかげでもあるけれど、お兄ちゃんの努力と私への想いが、この人工声帯を作り上げた。

 改めて、お兄ちゃんの気持ちに感謝する。


―――この手術が終ったら、なにもかも変わるんだろうな。私の『声』も、私の気持ちも……。


「さぁ、始めようか」


 執刀医の言葉で、私は麻酔をかけられた。




 ノドを10センチほど縦に切り、人工声帯を慎重に埋め込む。

 手術痕は最新の皮膚移植技術によって、間近で見ても分からないほど綺麗に隠してくれた。これも形成外科の一部らしい。


 それが今から3週間前。

 術後の経過は順調で、今はリハビリに励む毎日だ。

 もともと話すことは出来ていたから、声を出す要領を掴むことはそれほど難しくない。

 時々かすれることもあるけれど、それでも私の口からは『声』が零れる。


「この調子なら、思ったより退院は早そうだね」

 1時間の訓練のあと、リハビリの先生がにっこりと笑った。



 取り戻した声。

 それは耳に残っていた子供の頃の声を、ほんの少しだけ低く柔らかくした感じ。

 どことなくお母さんの声に似ているかもしれない。


―――私が大人になると、こんな声なんだ。


 10数年ぶりに聞く自分の声には、まだ違和感がある。

 だけどすごく嬉しい。また話せる日が来るなんて夢にも思わなかったから。


 喜びを静かに噛みしめる中、ふと、ある想いが心を掠めた。


―――2年前にこの手術を受けることが出来ていたら……。


 自分の考えに、私はフルフルと首を振る。

「何を今更。未練がましくて、我ながらイヤになっちゃうなぁ」

 病室の窓から外の景色を見ながら、私は苦笑する。



 アキ君とはもう終わったのだ。

 そして、今の私には……。


「今日のリハビリは終わった?」

 扉が開いて、一人の男性が入ってきた。

「あ、お兄ちゃ……、じゃなかった。徹さん、リハビリはさっき終わったよ」

 あわてて言いなおした私に、彼は笑いを隠さない。

「あははっ。まだクセが抜けないみたいだね」

「だってこれまでずっと“お兄ちゃん”だったんだもん。なかなか名前で呼べないよ」

 拗ねたように唇を尖らせれば、彼は私の頭を優しく撫でる。

「そうだね。ま、すんなり呼んでくれるようになるまで気長に待ってるよ」

 にっこり微笑んで、私を優しく抱きしめてくれた。


 そう、私にはこの人がいる。

 自分で決めたのだ、この人と共に生きていくのだと。


―――いい加減、“アキ君”から抜け出さなくちゃね。


 私は彼に気付かれないように、苦笑を浮かべた。




 ひとしきり抱きしめられた後、彼の腕の中からゆっくりと開放される。

「すぐ慣れて、自然と呼べるようになると思うから。それより、私はいつ退院できるのかな?」

「ん?」

「体はすっかり元気だもん。おかげで毎日退屈なの」

 大きく腕を振り回す私を見て、徹さんはクスリと笑う。

「そろそろ言い出す頃だと思ったよ。さっき聞いたら、5日後に退院だって」

「本当?よかったぁ」


―――あれ?


 笑顔の私とは反対に、徹さんは真面目な顔だ。


「……ねぇ、チカちゃん」

 徹さんの声が少し硬い。

「何?」

「退院したら、帰る前に指輪を買いに行こうか」

 彼は私の目をまっすぐに見て言った。


「指……輪?」

 戸惑う私の左手を徹さんが取る。

「うん。ここにはめる指輪だよ」

 そう言って、薬指に触れた。

「気が早いかもしれないけど、退院祝いもかねて。……受け取ってくれるよね?」

 私はびっくりしてしまって、無言で彼を見つめる。。


―――それって、要はプロポーズってこと?


 確かに急すぎる気もするけれど、ぜんぜん考えていなかったことではない。

 いつかはそうなることも踏まえて、徹さんと付き合うことを決めたのだ。


 一つ息を吸って彼に微笑む。

「もちろん。ね、お医者さんってお給料がいいんでしょ?お給料3か月分の指輪ってすごい豪華だろうなぁ、楽しみ」

「これまで頑張って働いてきたからね。それなりの品物を買って上げられるから、安心して」

 はしゃぐ私に徹さんは頬を緩める。

「ふふっ、冗談だよ。どんな指輪だっていいの。気持ちさえこもっていれば、金額なんて関係ないから」

 私も頬を緩めた。

 大切なのは相手を想う心。

 アキ君があの時くれた指輪は、きっとそんなに高価なものではなかったと思う。

 だけど、高校生のアキ君が私の為に精一杯の愛情を込めてプレゼントしてくれた。

 その気持ちがすごく、すごく嬉しかった。


―――……あ、もう私ったら。アキ君のことは関係ないのに。


 何かあるとこんな調子で困ってしまう。

 私が徹さんだけを考えられる日が来るのだろうか。


―――ううん、きっと来るよ。


 だって、徹さんはこんなにも私を愛してくれている。

 だから、私も徹さんを愛せる日が来るはず。




 あの後、彼は用事があるからと言って研究所に向った。

 日本からのお客さんで、研究費用を援助してくれた人に会うのだという。


「人の為にお金を出すなんて、きっと立派な方なんだろうなぁ」


 その人のおかげで、私は話せるようになった。

 心の片隅で、人工声帯の研究がもっと早くに完成していればと思うけれど。

 悪性腫瘍が見つかった小学生の頃に、とは言わないけれど。

せめて2年前に技術と素材が完成していれば、私の人生は今とは大きく違っていただろう。


 だけど、これが私の運命なのだ。

 あきらめていた声が取り戻せただけでも、十分感謝に値する。


 名前も顔も知らない出資者に向って、『ありがとうございます』と呟いた。


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