(5)夜明け前の夢
「疲れた……」
滞在中のホテルに戻るなり、俺はベッドに倒れこんだ。
カリフォルニアに来て、今日で1週間。
毎日、朝から日が暮れるまでチカを探すが、今のところ、これと言った手がかりはない。
気候が温暖で、治安の良いこの地域には日本人が多く、その中からチカを探すのは大変だった。
研究所の“トオルさん”に話を聞きたいけれど、チカを見つけないことにはどうしようもない。
そんなこともあり、研究所に出向くのは後回しにしていた。
それから10日が経ち、2週間が経ち。それでもチカはまだ見つかっていない。
上田さんからのメールからすると、チカは引越しをすることなくこの地域にとどまっているらしい。
ただ、事情があってしばらくメールや手紙のやり取りが出来なくなると、チカから送られたメールに書いてあったという。
―――事情って何だ?
詳しい話は上田さんも聞かされてない様子だった。
何があったのか、それはチカに会った時に尋ねてみよう。今はとにかく、彼女を見つけ出さなければ。
チカがこの地域にいるのであれば、徹底的に頑張ろう。
なんとなくだが、もうすぐ彼女に会えそうな気がしているのだ。
決定的な証拠も、確実な根拠もないけれど、チカが近くにいる。そんな気がする。
「明日も朝早いからな。そろそろ寝るか」
大きく背伸びをして、俺はベッドにもぐりこんだ。
その晩、ある夢を見た。
厳かな雰囲気漂う教会。鮮やかな緑の木々に囲まれ、爽やかな風が頬を撫でる。
建物の中にはたくさんの白いユリが飾られていて、中央の通路には真っ赤な長いじゅうたんが敷かれていた。
辺りを見回しても俺の他に参列者はなく、1番後ろの席に1人で座っている俺。
その服装は小ざっぱりとした品のいいスーツで、参列者として妥当な服装だった。
―――俺は……客?これは誰の結婚式なんだ?
不思議に思って前を見ると、祭壇の手前に白のタキシードを着た男性の姿が目に入った。
純白の衣装に身を包んだ彼は、これから式を挙げるもう1人の主役であることを示している。
その彼は後ろにある大扉をじっと見つめていた。
嬉しそうに、幸せそうに、愛しそうに。
その表情からは、花嫁の登場を心待ちにしているのがよく伝わってきた。
―――あの人、誰だっけ?
振り返った新郎に見覚えがあるけれど、どうも思い出せない。
首をかしげていると、静かに扉が開いた。
俺からは逆光になっており、目を凝らしてみても女性の顔が良く見えない。
なのに、そのシルエットを目にした俺の心臓がドクン、と大きく音を立てる。
全身が粟立ち、ものすごい勢いで血液が巡る。
背後から光を浴びている女性が1歩、また1歩と足を進め、やがて俺の真横に到達した。
眩しさがなくなり、ベール越しでもその顔がはっきりと見て取れる。
俺の目の現れたのは、色鮮やかなブーケを手に持ち、眩しいほどの純白なウェディングドレスに身を包んだチカだった。
―――え……、チカ?!チカ!!
名前を呼ぼうとするけれど、なぜか声が出なかった。
どんなに振り絞っても、その喉からは声が、愛しくてたまらない彼女の名前が紡がれない。
オマケにイスに貼り付けられたように体が硬く、立ち上がるどころか身動きさえ取れなかった。
それでもどうにかチカの気を引こうとするが、彼女は俺に気付くことなく、静かに横を通り過ぎていく。
―――クソッ、何でだよ!!
俺の目の前にチカがいるのに手が出せない歯がゆさで、泣きそうになる。
―――チカ!チカッ!!
俺の心の叫びは届かず、チカは祭壇で待つ男性の横に立った。
男性はより一層破顔し、満足そうに頷く。
―――チカの隣に立つのは俺だぞっ!チカと結婚するのは俺だぞっ!
どんなに心の中で喚いても、チカにはまったく届かない。
―――ちくしょう、ちくしょう!!
悔しさのあまり、ついに涙が1粒こぼれる。
その時、チカがゆっくりと振り返った。
自分でベールを少しだけ上げて、2回まばたきをし、そして、まっすぐに俺を見る。
チカは少しだけ瞳を大きくして、唖然としていた。
その唇が震えながら、それでも『アキ君……』と動く。
―――良かった、気づいてくれた!
体がいまだ動かない俺は、視線だけで必死に訴える。
―――俺がいるのに、他の男と結婚するな!!
しかし。
「もう遅いよ。私、×××さんと結婚するって決めたの……」
チカは信じがたい言葉を口にする。
話せないはずの彼女の唇から紡がれる言葉は弱々しく、最後列の席に座る俺は男性の名前が聞き取れなかった。
―――チカッ?!
「アキ君、ごめんね」
チカは寂しそうに微笑んだ。
「うわぁっ!!」
大声とともに飛び起きる俺。
心臓が痛いくらいに脈打ち、全身にじっとりとイヤな汗が滲んでいる。
「夢、か……」
額の汗をぬぐい、ほう、と息をつく。
「やけにリアルな夢だったな」
目が覚めた今も、瞼裏にはその光景が鮮明に残っている。
―――そんなこと、あるはずないさ。
チカは俺と結婚するのだ。
すっと、すっと、彼女と共に過ごすのだ。
そのためにこの2年間、俺は手を尽くしてきた。
その努力がもうすぐ報われそうだという時に、なんて後味の悪い夢を見てしまったのだろう。
「きっと逆夢だ……。ははっ、そうだよ。これは逆夢なんだ、は、ははは……」
夜明け前の一室に、乾いた笑いが静かに響いた。