(4)私の気持ち SIDE:チカ
リビングから戻った私は、ベッドの縁にポスンと座る。
混乱していて、頭の中心がなんとなく重い。
はぁ、と大きなため息が出た。
―――まさか、お兄ちゃんが私のことを好きだなんて……。
本当にびっくりした。
お兄ちゃんはずっと“お兄ちゃん”だと思っていた。それはこの先もずっと変わらない。
勝手にそう決めていた。
だけど、お兄ちゃんの気持ちを知ってしまったからには、私は考えなくてはいけない。
私のことを想って、自分の将来までも変えてしまったお兄ちゃんに対して、真剣に向き合わなくてはいけない。
それから3日間、私はずっと考え続けた。
考えて、考えて、結論というか、方向性が見えてきた。
お兄ちゃんと一緒にいるのはイヤではない。フワッと心が落ち着く感じがする。
ドキドキとしたトキメキはないけれど、こういう穏やかな感情もいいのかもしれない。
お兄ちゃんと一緒にいることで、これから先、長い時間が経てば愛情が芽生えることもありえる。
アキ君のように、とは無理だろうけれど、アキ君の次に愛せる。
だから、お兄ちゃんと一緒にいようと思う。
今はまだ、はっきりと『結婚する』とは言えないけれど、『いつかはそうなってもいいかも』というくらいには、お兄ちゃんを“男の人”として見る事が出来ていた。
その日の夕食時に話を切り出した。
“あのね……、じっくり考えたんだけどね。えと……、お兄ちゃんと一緒にいてもいいかなって”
かしこまってしまうと照れてしまうから、何気ない振りをして、そう伝える。
すると、パンに手を伸ばしていたお兄ちゃんの手が止まった。
「チカちゃん、それって……?」
びっくりして、何度もまばたきをしている。
そんな様子を見て、私は少し笑って頭を下げた。
“結婚とかはまだ考えられないけれど、少しずつ、進んでいけると思うの。こんな私でよかったら、よろしくお願いします”
するとお兄ちゃんは急にかしこまって、膝の上に手を置く。
「い、いや、そんな。俺のほうこそ、よろしくお願いします」
2人で頭を下げて、そして、2人で笑った。
「はぁ、よかった。これで少しはホッとしたよ」
お兄ちゃんがイスの背にゆったりともたれた。
「ゆっくりでいいから、一緒に前に進もうね」
私はちょっと顔を赤くして、頷いた。
―――いつの日か、お兄ちゃんが私の旦那さんになる……。なんか変な感じだけど、きっと幸せになれるよね。
それからは他愛のない話をしながら、食事を続ける。
食後のコーヒーを飲みながら、お兄ちゃんが言った。
「俺からも話があるんだ」
“何?”
「人工声帯の手術を受けてみない?」
“え?”
「これまでに50人近くの人が既に受けているんだ。手術をした人はみんな、自分の声で話せるようになってる。
リハビリは少し大変だけど、もともと話せていたチカちゃんならすぐに声が出るようになるよ」
お兄ちゃんが優しく微笑みかけてくる。
“自分の声……”
私は指先でノドにそっと触れた。
今では声のない生活が当たり前になっていて、話せる様になりたいと思うこともなくなった。
一生このままでいいとさえ思っている。
でも、お兄ちゃんは私のために大変なお医者さんになって、私のために人工声帯の研究をしてくれた。
手術は怖いけれど、お兄ちゃんがこれまでに費やした時間や努力、そしてお兄ちゃんの気持ちに応えるためにも、受けるべきだろう。
“……そうだね。手術、しようかな”
「そう言ってくれると思って、いつでも手術室は確保してあるんだ。さっそく明日は?」
お兄ちゃんが嬉しそうな顔をして、テーブルの上に身を乗り出す。
私はびっくりして、目をぱちくり。
“あ、明日?!それはなんでも急すぎるよ!無理だって”
たった今手術の話を聞かされたって言うのに、心の準備なんて、何も出来てない。
今度の手術は声を奪うものではなくて、声を取り戻すためのもの。
明るい希望の持てる手術だ。
だけど、自分の体にメスが入るのはやっぱり恐怖がある。
「だって、一日でも早く俺の研究の成果をチカちゃんに知って欲しいから」
お兄ちゃんは『出来ることなら今すぐにでも』という勢いだ。
“それにしたって……”
私はクスッと笑う。
“まぁ、いずれするなら早いうちがいいだろうけどね”
怖いことは早く終わらせてしまいたい。
お兄ちゃんの想いに応えたい。
それに、自分の声を聞いてみたい。
「じゃ、あさっては?」
“ふふっ、分かった。あさってね”
この後、手術についての話を聞いた。
今回の手術は声帯を取り除いた時よりもちょっと大掛かりになるようだ。
怖い。
それでも、お兄ちゃんがいてくれるから心強い。
自分でも気がつかないうちに、私は自然とお兄ちゃんを頼りにしている。
―――お兄ちゃんを選んだのは間違いじゃないんだ、きっと……。