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声に出来ない“アイシテル”  作者: 京 みやこ
第13章 再びイギリスへ
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(5)再会を夢見て

 正面きって反対はしないけれど、あまりいい顔をしなかった伯父さんと伯母さんをなんとか説得し、再びイギリスにやってきた。



 約1ヶ月前に起こったテロの傷跡が、今尚ところどころに残る街並み。

 崩れたままの建物を見ると、その衝撃の大きさに身震いするほどだ。


 これほどの爆発でありながら、『よく自分は死なずにすんだものだ』と、つくづく運のよさに感謝する。


―――きっと、チカに会うために俺は生き延びたんだ。


 チカに会いたいという想いが、願いが、神様に届いたのだ。


「これはもう、何が何でも会わないとな」

 苦笑交じりに呟きながら、路線バスを降りた。



 今井さんからの情報をもとに、チカを見かけたというあたりで聞き込みをする。

 日本人が少ないこの地域では、彼女の存在は目立っていたらしく、思っていたよりも早くにチカが住むアパートを突き止めることが出来た。

 教えられた場所をさっそく訪ねる。


―――この扉の向こうに、チカがいる。


 そう考えるだけで、嬉しくて涙が出そうだ。


 震える指でベルを押と、聞こえてきたのは優しそうな女性の声。


『Hello?』


―――え?


 チカは話せないはずだ。

 驚いて、思考が一瞬止まる。


 でも、すぐに思い直した。

 外国ではルームシェアが当然のように行われているという。

 無駄な家賃を払わないで済むこの手段を、チカが選んでもおかしくない。


 俺はインターフォンに向って自分の名前と、日本からチカに会いに来たことを英語で伝えた。


『うそ?チカちゃんの知り合い!?』


 ひっくり返った声の日本語が流れた後、バタバタと近づいてくる足音。

 せわしなくドアチェーンが外され、勢いよく扉が開いた。

 そこにいたのは俺と同じか、少し年上くらいの女性。

「はじめまして。上田 優子です」

 見るからに優しそうで、お姉さんという感じだ。

 挨拶もそこそこに、こんなことを言い出すのは失礼だとは思ったが、俺は一刻も早くチカに会いたかった。

「突然のことで申し訳ありません。チカに会わせていただけますか?」

 それを聞いた上田さんの瞳に、戸惑いの色が浮かぶ。

「ここにいるんですよね?」

 俺の問いかけに対し、済まなそうな顔で首を横に振る上田さん。

「そんな!?チカはここに住んでいるって……」

「正しくは“住んでいた”ですね」

 ため息をつきながら、上田さんが俺のセリフを訂正する。


―――どういうことだ?


「あの、中で話しませんか?どうぞ」

 促されて、部屋に通してもらった。

 玄関やリビングなどはどことなく寂しげで、一人分の生活感しかない。

 ざっと見回すと、壁には少し赤い顔をした上田さんとチカが並んだ写真が飾られている。

 印字されている日付を見ると、それは3週間ほど前のものだ。


「桜井さん。コーヒーが入りましたので、こちらにどうぞ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 壁から離れて、テーブルに着いた。


 コーヒーを飲む時間も惜しくて、俺は口を開く。

「先ほど“住んでいた”とおっしゃいましたね。チカはもう、ここにはいないということですか?」

 こわばる俺の表情に、上田さんは静かに答える。

「ええ。少し前に引越ししたんです。あの写真はお別れパーティの時に撮った写真なんですよ」

「それで、チカはどこに?」

 今はまだ日が暮れ始めたばかり。この近くであれば、夜になる前に訪ねていけるだろう。

 そう訊く俺に、上田さんは困ったような顔で言った。

「……アメリカです」

「アメリカ!?」 

 思わず立ち上がってしまった。

「はい。あの日、外出から帰ってくると、急にアメリカに行くんだって言い出したんです。あと2、3年はイギリスで勉強したいって言っていたのに」

「そうですか……」

 力が抜けた俺はストンと腰を下ろす。


―――なんで、そんな所に行ったんだ?


 まったくの予想外の展開に思考が止まりそうになるが、必死に冷静さを取り戻す。

「その後、チカからの連絡はありますか?」

「メールはよく送ってきますね。手紙も時々来てますよ」

 上田さんはテーブル横にある引き出しから何通かの封筒を出してくれた。

 受け取ってみると、どの封筒にも差出人の住所がない。


―――やっぱりな……。


 記憶が戻った俺がイギリスにやってくると悟って、チカは引越しをしたのだろう。

 そして、万が一俺がここを突き止めても居場所が分からないように、住所は書くこともなく。


―――ようやく会えると思っていたのに。


 指の間から流れる水のように、あっという間にすり抜けていってしまったチカ。


―――くそっ。


 歯軋りの音が耳に響く。

「桜井さん?」

 おずおずと声をかけてくる上田さん。

 その声にハッと我に返る。

「すいません。2年ぶりに彼女に会えると思って、喜び勇んでこちらに来たんです。ここにチカがいなかったことが悔しくて、つい」

 苦笑いをしながら、少しぬるくなったコーヒーを飲んだ。


 本当は“悔しい”などという一言では言い表せない。

 胸をかきむしりたくなる衝動と、大声で泣き出したい激情が俺の身体を駆け巡る。


「これから日本に戻られるのですか?」

 上田さんがそう尋ねてくる。

 俺はそっとカップを戻し、正面に座る彼女に告げた。

「いえ、アメリカに向います」

「……は?今からですか!?」

 あからさまに目を大きく開き、上田さんはあっけにとられる。

「少しでも早くチカに会いたいので、すぐに出立します。この腕に抱きしめて、チカを実感したいんですよ」

 そんな彼女に、俺は照れることなく返す。

「お気持ちは分からなくもないですが、どこにいるのかも分からないのに行かれるんですか?」

「はい。この手紙に記された消印の地域をしらみつぶしに探します」

「そんな無茶な……」


 彼女の言うことはもっともだ。

 俺がこれからやろうとしていることは、無謀としか言いようがない。

 だが、それしか方法がないのであれば、どんなに時間がかかっても、どんなに大変でも、やるしかないのだ。

 イギリス中を探さなければならないのかと、悲嘆にくれていた2年前より、住所は分からなくとも地域が限定されている今のほうが、はるかに状況は好転している。


 コーヒーを最後まで飲み干し、席を立つ。

「ごちそうさまでした。……ああ、そうだ。上田さんにお願いがあります」

「何でしょう?」

「俺がここに来たことは、絶対チカに教えないでください」

「え?」

 瞬きをして、上田さんが首をかしげる。

「実は、チカは俺から逃げているんですよ」

「それはどういうことですか?」

 上田さんは眉をひそめ、不審そうに俺を見る。


―――きちんと説明しないと、俺は悪者だな。 


 苦笑いを押し殺し、俺は話を始めた。

「チカと俺は恋人同士なんです。将来、結婚するつもりでいました。でも、俺の家の都合で引き離されてしまたんですよ。……俺の知らないうちに」

「家の都合?」

「はい。俺の養父母は大きな会社を経営していまして、その……、チカは俺にはふさわしくないと、そんなようなことを彼女に言ったんです。

 恐らく、話ができない女性では社長婦人は務まらないといったところでしょうね」


 チカは何の反論も出来ずにいたことだろう。

 その時の彼女を思うと、自分の身が切られるようだ。

 そんなつらい思いをさせてしまったことを、本当にすまないと思う。


「チカは自分が身を引くことで、会社やそこで働く従業員を守ろうとしたんです。それが、2年前のことです」

 上田さんが小さく息を飲んだ。

「チカちゃんがイギリスに来たのは、それが理由だったのね」

 何か思い当たる節があるのか、何度も頷いている。

「絵本の勉強ということもあったでしょうが、きっかけは俺と別れるように、養母に言われたからです」

「そうだったの。だから、あの子は悲しい笑顔しか出来なかったのね」


 上田さんは当時のチカを思い出しているのだろう。

 瞳に浮かぶ光が見守るように優しく、そして寂しそうに遠くを見る。


「チカには本当に悪いことをしました。だからこそ、どうにか掴まえて謝りたいんです。

 そして、やり直したいんです。もし俺がここに来たことが知られたら、また居場所を変えるかもしれない」

「そういうことでしたか」

 俺を見る上田さんの視線に、不審の色が消えた。

「勝手なお願いをして申し訳ありません。でも、もう二度とチカを手放すわけにはいかないんです。先日イギリスに来た時、すぐ目の前にチカがいたのに抱きしめることも、謝ることも出来なかった。

 まぁ、爆発のショックで記憶を失っていたので、仕方がないのかもしれませんがね」

「それは、路線バスの自爆テロのことでしょうか?」

 じっと俺を見て、確かめるような口調の上田さん。

「はい。運良く命は助かりましたが、怪我をしていたのでしばらく入院してました」

「××病院に?」

「そうですけど」

 声まで硬い表情だった上田さんが、ふっと微笑んだ。

「なるほどね」

「どうかしました?」

「チカちゃん、あのテロのあった日からその病院にしばらく通っていたんですよ。なんでも、被害にあった日本の方のお世話をするんだって」

「ああ。それは俺のことですね」

「勉強やアルバイトで疲れているのに、病院から帰ってくると良い顔をしているんです。 その日どんな話をしたのか報告してくれるんですけど、その時のチカちゃん、すごく嬉しそうで。

『まるで恋人に会いに行ってるみたいね』って少しからかったら、“そうかも”と、笑ったんです」


 ふふっと笑う上田さん。

「チカちゃんが留学してきてからずっと一緒に暮らしてきましたけど、あんなにいい笑顔を見せてくれたのは初めてでした。

 もちろん、過去にそんな理由があったのなら、桜井さんに会えた事を単純に喜んでいたとは思えません。

 ですが、彼女に笑顔を取り戻してくれたのは、あなたのおかげだったんですね」

 上田さんがニコリと目を細める。

「分かりました。あなた事はチカちゃんには知らせません。だから、約束してください。この先も、チカちゃんの笑顔を守るって」

「もちろんです。彼女を幸せにするのは、俺にしか出来ない役目ですから」


 そして、俺を幸せに出来るのはチカしかいないのだ。


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