(1)体育祭3週間前
この学校は9月に体育祭がある。今年は25日の月曜日だ。
3週間後に体育祭を控えて、俺は心なしかワクワクしていた。
転校してきてから初めての学校行事だし、体を動かすのは割りと好きだから。
でも、少しだけ気がかりな事があった。
小山の話によると、すでに全校の女子生徒のほとんどが俺の存在を気にかけているらしい。
そんな状況の中、体育祭で目立つ事をしたら……。
ますます雑音が増えるだろう。
俺としては全然嬉しくない。
卒業までの半年。平穏に過ごすためには、好きなように振舞う事もできないのだろうか。
女子というのは本当に面倒な存在だ。
自分の席で頬杖をついてぼんやりしていると、担任が入ってくる。
「今日のLHRは各自、参加する競技を決めてくれ。はい、男女分かれて」
担任の指示で男子が窓側、女子が廊下側に集まった。
「桜井、何に出る?」
「お前、足が速そうだからリレーに出ろよ」
「3年のクラス対抗は運動会の締めだからな。盛り上がるぜ?」
相変わらず女子とは距離を置いて接しているが、男子とはすっかり打ち解けた。
まだ数日しか経っていないのに、まるで4月から一緒にいるかのように仲がいい。
「リレーか……」
俺はポツリと呟く。
足には自信があるが、目立ちたくない。
出場種目リストを見て、その中から無難な競技を選んだ。
「俺、綱引きでいいよ」
団体種目だったら、そんなに目立たないだろう。
「桜井は綱引き?ん、分かった」
級長の滝沢がエントリー表に名前を記入する。
「本競技はそれでいいから、リレーの補欠をやってくれないか?」
「え?」
俺の顔が渋る。
「補欠と言ったって名前だけだ。リレーの本メンバーは、このクラスの体力自慢の奴等だからな。体調崩しての不参加はまずありえないから、安心しろ」
見せてもらったエントリー表にはサッカー部やバスケ部などのエースの名前が並んでいて、全員、“風邪なんか引いたことないぜ!”といった感じのメンバーだ。
「まぁ、そういうことならいいよ」
「OK。じゃ、次。障害物競走に出たい奴は?」
進行のうまい滝沢のおかげで、参加種目は次々に決まっていく。
担任が男女それぞれのエントリー表を受け取り、簡単な連絡事項を伝えてLHRは終った。
部活に入っていない俺は帰り支度を始める。
「小山、帰ろうぜ」
水泳部だった小山はすでに引退しているから、この時期は俺と同じく帰宅部。
俺が声をかけたところに、
「おーい、小山。大野さんがお前に用事だって」
ドアのところにいた男子が大声で呼びかけてきた。
―――“大野”って、昨日の子だよな?
何気なく目を向けると、ドアの手前で少し恥ずかしそうに立っているあの少女がいた。
「あれ?チカちゃん、どうしたの?」
小山が駆け寄って声をかけた。
俺の時と同様に、彼女は筆談で小山と何やら話している。
ただ昨日と違ったのは、彼女がずっとにこやかな笑顔を浮かべていたこと。
困った顔や泣きそうな顔は一切見せない。
当然と言えばそうなのだが、その事が何故か心に引っかかり、仲良く楽しげな2人から目が離せない俺。
視線の先の彼女は下を向いてペンを走らせるたびに、ツヤツヤの黒髪がサラリと揺れていた。
この学校の女子は全員と言っていいほど、茶色にカラーリングをしている。なので、彼女のような黒髪はかえって目立つのだ。
だからだろうか。俺が彼女から目が放せないのは……。
2人の会話が終ったのにも気付かず、俺はずっと彼女を見ていた。
すると視線を感じたのか、彼女がこちらに顔を向ける。
あっと思った時には、俺とバッチリ目が合ってしまった。
―――今から見ていなかったふりをするのも変だしなぁ。
俺は、目を逸らすタイミングを逃してしまう。
彼女も逸らすことなく、俺を見ている。どうして自分が見られているのか分からないという、不思議そうな顔で。
どれだけの間、視線を合わせていたのだろう。
時間にすればほんの2、3秒だとは思うけれど、すごく長く感じた。
まばたきをした彼女が俺に向かって小さく頭を下げた。
俺も応えるように軽く下げる。
顔を上げた彼女は小山に向き直り、にこやかな笑顔で手を振って出ていった。
―――小山にはあんなに親しげなのに、俺には他人行儀だ。
彼女と小山は親戚であり、彼女と俺はほとんど面識がない。
だから、大野さんのあの態度は当たり前のことなのに。
なんだか体の芯の奥の奥に隙間風が吹き込んだように、物寂しい感じがした。