(3)目覚め
ゆっくりと目を開ける。
まず視界に入ってきたのは飾り気のない、無機質な白い天井。
―――なんだ、ここは?
体を起こそうとするが、色々な機械やチューブにつながれていて身動きが取れない。
―――ここは……病院?!チカを迎えにイギリスに行った俺が、どうしてこんな所にいるんだ?
視線だけで室内を見回していると、静かに扉が開いて誰かが入ってきた。
「ああ、気がついたんですね」
看護士の男性が声をかけてくる。
「あの……、どうして俺はここにいるんですか?」
起き上がることが出来ない俺は首を少し動かして、問いかける。
すると、その看護士は俺のことを気の毒そうな目で見た。
「桜井さんはイギリスでテロに巻き込まれて、記憶喪失になったんですよ。なので、日本のこの病院で手術をしたんです」
「テロ?記憶喪失?」
確かに、バスに乗った後の記憶がない。
それから何があったのか。どうやって日本に帰ってきたのか。
まったく覚えていない。
「目が覚めたばかりで、まだ混乱していることと思います。どうぞ焦らないでください。今、ご家族の方をお呼びしますね」
言葉を失ってしまった俺にそっと微笑みかけて、看護士は出て行った。
しばらくして、看護士に連れられた伯父さんと伯母さんが病室に入ってくる。
「おお、やっと目が覚めたか」
「ねぇ、私たちのことが分かる?」
2人がベッドに駆け寄ってきた。
心配そうに俺のことを覗き込む2人に、微笑みかける。
「分かるよ。順次伯父さんと、理沙子伯母さんだろ」
それを聞いて、伯父さんたちは胸をなでおろした。
伯父さんは近くにあったイスに腰を下ろし、話しかけてくる。
「お前が急にイギリスに行ったと知って驚いたんだぞ。気晴らしの小旅行か?」
わざとらしく話をはぐらかそうとするのが分かった。
だけど、俺は正直に話す。
これ以上、2人に邪魔されないようにという宣言の意味も込めて。
「チカに会いに行った」
伯父さんと伯母さんがハッと息を飲んだ。
「……あの子のこと、あきらめたんじゃなかったの?!」
伯母さんが独り言のように漏らす。
伯父さんの瞳には戸惑いの色が強く浮かぶ。
この2年間、チカのことを口に出さずに黙々と仕事をしてきた俺を見て、伯父さん達は俺がチカのことを『過去の存在』にしてしまったのだと思ったようだ。
あいにく、チカに対する俺の気持ちは2年ごときじゃ消えやしない。
むしろ、よけいに逢いたい想いが募った2年間だった。
「それより、新しいシステムはきちんと作動してる?」
あのシステムには自信があり、横山のことは信頼しているけれど、実際どうなっているのかはずっと気になっていた。
システムがうまくいってくれないと、この先の俺の長期休暇にも関わってくる。
体調が回復したら、またイギリスに行くのだから。
尋ねると、伯父さんは大きく頷いた。
「ああ。信じられないくらい業務が順調だよ」
伯父さんはなんとも言えない表情を見せる。
「自分がいなくなってもいいように、あれだけの手はずを整えていたとは……。晃、チカさんのこと、本当に本気なんだな」
まっすぐに俺を見る伯父さんの目は、最後の確認と言った感じだ。
それに対して、俺は満面の笑みを浮かべる。
「当たり前だろ、俺にはチカしかいないんだから」
何があっても、どんなに邪魔をされても。
俺は絶対にチカを手放したりはしない。
そんな想いを込めて、2人に向ってはっきり言った。
伯父さんも伯母さんも、そんな俺の態度に困ったように目を見合わせている。
「何度反対しても、俺の気持ちは変わらないよ」
穏やかに。
そして力強く、自分の想いを口にする。
「だが、あの子は口が利けないじゃないか。晃の気持ちも分からなくもないが、会社のためには……」
今までに何度となく聞いてきたこのセリフ。
会社を守るためには仕方がないのだと、2人も自分たちに言い聞かせてきたのだろう。
現実的に考えると、『俺の養父と養母』と言う前に、『社長と社長夫人』でいなければならなかった。
だけど、今は2年前とは状況が少し違っている。
「俺にとって、もちろんチカが一番大事だけど、それと同じくらい会社のことも大切に思ってる。まだはっきりとは言えないけど、すべてが丸く収まる方法が見つかるかもしれないんだ。
だから、もう少し時間が欲しい」
強い意思を込めて言い切った俺に、2人は何も言い返さなかった。