(1)明かされない理由
日本に降り立つと、俺の伯母だと名乗る女性が迎えに来ていた。
「晃君!」
俺の顔を見た途端に駆け寄ってきて、ギュッと抱きついてくる。
「もう、心配したのよ!大使館から連絡が入った時、心臓が止まりそうだったんだから!」
沢山の人が行き交う空港でハグされるのは、かなり恥ずかしい。
だけど、それだけこの人は俺の身を案じてくれていたのだろう。自分が大事にされていることがよく伝わってくる。
「すいませんでした」
好きでテロに巻き込まれたのではないが、心配かけたのは事実だ。
俺は深く頭を下げた。
「なにはともあれ、無事に帰ってきてくれて本当によかったわ」
腕を解いた伯母さんが、俺の顔を見て嬉しそうに笑う。
「入院は明日だから、今日は家でゆっくりしなさいね。車はこっちよ」
そう言って連れてこられた空港の駐車場に用意されていたのは、運転手つきの高級車。
テレビの中で、政治家やどこかの大社長が乗っているのと同じ。
「晃君、早く乗って」
「は、はい」
戸惑う俺の前で、運転手が後部座席を開けてくれた。
驚きを隠せないまま車に揺られていると、更に驚くことに。
ここが自宅だと言われたものは、もはや家と呼ぶようなかわいらしいものではなく、城のように大きくそびえ立っている。
あまりに立派で、門の前で足が動かなくなってしまった。
―――俺、本当にホテルグループの跡取りだったんだ。
イギリスで『大きなホテルの次期社長で、日本ではある意味有名人だ』と大野さんに言われた。
いまいち信じてなかったけれど、これで納得。
―――そうだよな。大野さんはウソをつくような人じゃないよ。
だから、彼女が言ったとおり、俺達は本当に面識がなかったのだ。
そのことに、今更ながらすごくがっかりする。
「どうしたの?」
動かない俺を心配して、伯母さんが声をかけてくる。
「あ、その。家があまりに大きくて、驚いていました」
「ふふっ、ここは間違いなく私たち家族の家よ。大丈夫。記憶が戻れば、戸惑うこともなくなるわ」
―――『記憶が戻れば』か……。
この人は、俺の記憶がなくなる前のことを知っているのだろうか?
俺はずっと気になっていたことを尋ねる。
「あの、どうして僕はイギリスに行ったのでしょうか?理由をご存じないですか?」
すると女性はほんの一瞬眉をしかめた。
そして、少しぎこちない笑顔を作る。
「さぁ、私には見当がつかないわ。ごめんなさいね」
「いえ」
この女性は何かを知っている。だけど俺には言いたくない。
そんな態度に見えた。
―――別に、急いで訊くことでもないか。手術が終われば、解決するはずだ。
分からない事だらけで不安もあるけれど、もらったお守りのおかげか精神的に落ち着いている。
上着のポケットに入れた指輪にそっと触れた。
―――大野さん。不思議な人だったなぁ。
初めて会ったのに、どこか懐かしさを覚えた。
穏やかな安らぎを与えてくれた。
―――彼女が俺と結婚してくれたらいいのに。
そうすれば、俺はずっと笑顔でいられそうな気がする。
―――ははっ、それは無理か。
彼女はすでに『最高の出会いをした』と言った。おそらく、その最高の男性と将来、結婚するのだろう。
そこに割り込むことは出来ない。
―――退院したら、改めてお礼に行こう。そして、友達になってもらおう。
そのくらいなら、彼女の心を捉えた彼にも許してもらえるだろうか。
「晃君、なんだか楽しそうね」
すぐ横に立つ伯母さんが言う。
「そんな顔、していますか?」
「してるわよ。実はね、記憶喪失だと聞かされて、正直今もパニックなんだけど。
あなたの明るい表情が見られて安心したわ。よほど病院のスタッフによくしてもらえたのね」
「はい。本当にお世話になりました」
大野さんは病院とは関係ない人だが、あえて詳しく説明する必要もないと思い、伯母さんにはただ素直に頷いておいた。
自分の家だというのに、リビングに通された俺は落ち着かない様子でソファーに座っている。
伯母さんが苦笑しながらコーヒーを出してくれた。
「もっとくつろいでいいのよ」
「あ、はい。すいません」
硬い返事をすると、また伯母さんが笑った。
「ふふっ。順二さんが帰ってきたら食事にしましょうね、もうそろそろだと思うわ」
言ってるそばから、玄関で『ただいま』と言う声がした。
「おっ、晃。帰ってたんだな」
高そうなスーツを着こなした男性が現れた。
どことなく俺と似ているその人に向って、俺は頭を深く下げる。
「色々ご心配をおかけしました」
「いや、元気ならばそれで十分だ」
ネクタイを緩めながら、伯父さんが嬉しそうに言う。
「帰国したばかりで、晃も疲れているだろう。食事が終わったら、早めに休むといい」
「そうね。すぐに用意するわ」
二人はリビングから出て行った。
伯父さんも伯母さんも必要なこと以外は言わないし、尋ねてこない。
2人の表情から、自分がとても大事にされていることはよく分かる。
なのに、よそよそしさを感じる。
―――俺がイギリスに行ったことに、触れられたくないのか?
俺が“何か”を思い出すことが、そんなにまずいことなのだろうか……。
―――俺はいったい、何をしにイギリスへ行ったんだ?
そのことが気になって、せっかく用意してくれたご馳走の味がよく分からなかった。