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声に出来ない“アイシテル”  作者: 京 みやこ
第12章 想い出にさよなら
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(2)それぞれの心に残るもの SIDE:チカ


 お昼を少し過ぎた頃、お兄ちゃんが戻ってきた。

 アキ君の帰国は3日後だという。

 それまでの間、私は空いた時間に病院を訪れて彼の話し相手をすることになった。


 あと3日しかないのか。

 それとも、まだ3日あるのか。


 彼を見送る時、私はきちんとお別れできるのだろうか……。



 翌日、昼食を済ませてから、1人で病院に向った。

 お兄ちゃんは学会でスピーチをするので、どうしても抜けられないのだとか。

 患者さんを診察するのではなくて、いろいろ研究するのが今の主な仕事らしい。


―――『医者になった』とだけしか聞かされてないんだよね。それにしても、何科のお医者さんなんだろう。


 そんなことを考えながら歩いていたら、いつの間にか病室にたどり着いていた。

 私が病室の扉を軽くノックすると、アキ君が開けてくれる。

「こんにちは、どうぞ入ってください」

 昨日より彼の表情は柔らかく、ずいぶんと気分的に落ち着いているみたいだ。


―――良かった。


 私は軽くお辞儀をしてから、中に入った。

 昨日は私も戸惑うことが多かったけれど、一晩経った今はかなり冷静にアキ君と接することが出来る。


―――この分なら、きちんとお別れできそうだね。


 背の高い彼を見上げながら、そう思えた。



 話し相手になると言っても、私はアキ君を知らないことになっているため、内容は他愛もない世間話ばかり。

 外国人だらけの病院にいるせいか、アキ君はここぞとばかりに日本人の私に話しかけてくる。

 おかげで返事を書くのも結構大変だった。

 そっと手首をさする。


「あ……。もしかして、手が痛くなってしまいましたか?」

 見つからないようにしたのだが、彼には気付かれてしまった。


“少しだけです。でも、たいしたことないので気にしないでください”


 軽く笑って差し出したメモをアキ君は見つめながら言った。

「僕は読唇術が出来ると、大野さんは言いましたよね。でしたら、筆談はやめませんか」


 確かに、付き合っていた頃のアキ君は私の口の動きを完璧に理解していた。

 だけど、それは記憶を失う前のこと。

 簡単な単語は読み取れても、今では会話となると難しいと思う。 

 私が首を横に振ると、アキ君は私からメモとペンを取り上げてしまった。

「とにかく試してみましょう。無理なようでしたら、また筆談でお願いします」

 道具のない私は、彼に従わざるを得ない。


―――とりあえずやってみるかな。


 私は唇を動かした。


“桜井さんて、大人しそうに見えて結構強引なところがあるんですね。ちょっと意外でした”


 彼が読み取れるように丁寧に話してはみたが、アキ君はそれを見て困ったように苦笑い。


―――ゆっくりしゃべってみたんだけど、やっぱり無理だよね。


 メモとペンを返してもらおうと私はアキ君に手を伸ばすが、その手をやんわりと押し返された。

「はははっ、意外でしたか?強引な男で申し訳ありません」

 驚いたことに、彼には伝わっている。

「もう少し早くても読み取れそうです。これで、筆談の必要はなくなりましたよね?」

 にっこりと微笑まれると、言い返せなかった。



 学会から帰ってきたお兄ちゃんが病室に顔を出したので、車で送ってもらうことに。

 今日の出来事をお兄ちゃんに話すと、驚くこともなく説明してくれる。

「記憶がなくなっても、体で覚えたことは残っているんだよ。記憶喪失になったピアニストが、ピアノを前にしたらいきなり曲を弾きだしたって例もあるからね。

 だから、桜井さんが読唇術を出来ても不思議じゃない」


“そうなんだ”


 今のアキ君の中に“私”の記憶はなくても、“私と過ごした時間”が存在している。

 それは彼が『私を愛していた』という証拠でもあると思う。

 救われた気がした。


―――大丈夫。笑ってさよならできる。


 アキ君がくれた愛情が、前に進む力をくれる。

 いつまでも想い出に囚われて動けなかった私の背中を押してくれる。


 だけど、それは忘れるということではない。

 どんなに努力しても、アキ君のことは忘れることなど出来ない。


 ただ、過去に縛られるのではなく。

 過去は過去として、私の胸の中にしまっておけばいい。


 彼に愛されていたと言う事実を、無理に消すことなどないのだ。



 ずっと胸の奥でくすぶっていた感情が、少しずつ落ち着いてゆく。


―――ここでアキ君に会えてよかった。


 彼と別れて以来、ようやく私も心の底から笑えそうだ。


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