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声に出来ない“アイシテル”  作者: 京 みやこ
第11章 そして2年後
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(5)与えられた再会 SIDE:チカ


 10分位して、お兄ちゃんが出てきた。

「少し話をしようか」

 この病院の中庭に向けて歩き出したお兄ちゃんに、私はおとなしく後をついてゆく。

 木陰にあるベンチに並んで座ると、お兄ちゃんは黙ったまま、しばらくの間景色を見ていた。

「あのさ……」

 視線を景色から私に移して、お兄ちゃんが言う。 


“何?”


「本当に、桜井さんと別れたの?」

 確かめるように、じっと私を見ている。


“本当だよ”


 短く一言で返す。


「そう……。だけど、嫌いになって別れたって感じじゃなさそうだね?」

 その言葉に、私はあいまいに微笑んだ。

 それだけで、お兄ちゃんには分かってしまったかもしれない。とても勘がいい人だから。

「桜井さんってさ、あのホテルグループの関係者でしょ。テレビで顔を見たことあるよ」


“うん、現社長の息子。養子だけど”


 それを聞いて、お兄ちゃんはベンチの背もたれに身を投げ出した。

「はぁ、大きな組織の一員って大変なんだな。自分の恋愛も思うようにならないなんてさ。たとえ金がなくても、好きな人とは一緒にいたいのが人情だよなぁ」

 独り言のようなセリフ。

 でも、私の耳にしっかりと届く。


―――やっぱり、お兄ちゃんは別れた理由に気付いていたんだ。


“そうだね……”


 私は苦笑いを浮かべ、空に視線を向けた。




 沈黙の後、お兄ちゃんが歯切れ悪く話を始める。

「こんなこと、今のチカちゃんにお願いするのは酷だと思うんだけど……」


“どうかしたの?”


「桜井さんに言われたんだ、“さっきの女性に会わせて欲しい”って。“どうにか連れてきてくれ”と頼まれた」


“え……?”


―――どういうこと?私と会う理由なんて、今の彼にはないはずなのに。


 戸惑いが私を襲う。

 お兄ちゃんは鼻の頭を指でかきながら、困ったように話を続けた。

「桜井さんは重度の記憶障害でね、自分の名前すら思い出せない状態なんだ。だけど、イギリスに何かを見つけに来たことだけは覚えてるんだって」


―――何かって、何?


 私はひざの上で、手をギュッと握る。


―――アキ君は、何を見つけようとしていたの?もしかして、それは……私?


 嬉しくて飛び上がってしまいそうになった。


 が、同時に、頭の奥で『期待するな』と言う声がする。

 彼の信頼と愛情を無情にも裏切った私なのだ。


―――そうだよ。そんな都合のいい話、あるはずないもの。


 なのに、お兄ちゃんから聞かされた内容は、私の心を簡単に舞い上がらせる。 


「それが物なのか、場所なのか、人なのか、はっきりとは分からないらしい。でも、“あの女性が関係していることは間違いないから”って」

 1度言葉を区切ったお兄ちゃんが、私の目を見て言った。

「“今の自分にあの女性が必要だから”って。土下座までして、必死で俺に頼んできたんだ」


 私は両手で顔を覆う。


―――ああ、ダメ。勘違いしてしまいそう。


 彼が私を捜しに来てくれたのだと。

 アキ君の心の片隅にはまだ、私が存在していたのだと。


 お兄ちゃんの話は、そうとも受け取れる。


 嬉しい。

 だけど、危険だ。



 


「彼が出国するまでの数日間だけでも無理かな?」

 不安そうな口調で、私に尋ねる。


“それは……”


 私は簡単には頷けないでいた。


―――もし、私と接しているうちに、アキ君の記憶が戻ってしまったら?!


 伯母様には、彼と二度と会わないと約束した。

 不本意な約束とはいえ、破るわけにはいかない。桜井グループに関わるたくさんの人の生活を脅かすことなんて、絶対にしたくない。


 そんな私の心中を察したのか、お兄ちゃんが優しく微笑む。

「チカちゃんは心配してるみたいだけど、気憶喪失はきっかけがあったからといって、簡単に回復するわけではないんだよ。そんなの、ドラマや映画の中でしか起こらない奇跡だ」


“え、そうなの?”


「桜井さんの場合はそうなんだ。記憶と記憶をつなぐ組織が壊死をして、完全に機能していない。代わりの組織を移植すればすぐに記憶は戻るよ。けど、移植しなければあのままだって事」


“本当に?”


 私は思わずお兄ちゃんへと身を乗り出す。


「うん。自然治癒で記憶が戻ったという前例は、これまでに聞いたことがないな」

 難しい顔でお兄ちゃんが言った。



―――移植手術をしなければ、アキ君は記憶喪失のまま……。


 私のことを“大野 チカ”だと認識できない彼となら、一緒にいても問題ないかもしれないけれど。

 どうしたらいいのだろう。

 

「その手術はここでは出来なくってね、専用設備のある日本の◇◇病院でしか行えない。……チカちゃん、どうする?」


 私は考え込む。


―――今のアキ君は、言ってみればまったくの別人なんだよね……。


 それなら、伯母様との約束を破ったことにならないというのは、甘い考えだろうか。

 アキ君が日本に戻るまで、一緒にいることが許されるだろうか。



「おせっかいなのかもしれないけど、チカちゃんの顔を見ていたら、本当は桜井さんのそばにいたかったんだろうなって思えてさ。だから、ひと時でも彼と一緒の時間を過ごさせてあげたいなって」


“お兄ちゃん……”


「まぁ、そうは言っても、覚悟を決めて日本を離れたチカちゃんに、これ以上桜井さんと会わせるのは悪い気もするし……」


 お兄ちゃんは“医者として患者の望みをかなえてあげたい”という思いと、“幼馴染の私を苦しめたくない”という思いに挟まれてはっきりと言えないでいる。


「やっぱり、選択はチカちゃんに任せる。桜井さんに会うことになっても会わないことになっても、ここでは誰も君を恨まないよ」


“うん……”


 私は迷っていた。


 本音はアキ君のそばにいたい。

 だけど、抑え込んできた2年間の想いが爆発してしまうのがとてつもなく怖いのだ。


 ようやく彼のことは想い出に出来そうだったのに……。



 地面に視線を落とし、じっと考える。

 迷って、悩んで、私は心を決めた。

 大きく息を吸い込んで、顔を上げる。


“アキ君に会ってもいいよ”


 もう一度彼に会って、自分の気持ちを整理しよう。

 そして今度こそ、自分の口からアキ君にお別れを言おう。


 今のアキ君は私の彼だった人物ではないけれど、それでも、さよならを告げることができたら自分の気持ちにケリがつく。


 そうすれば、彼への想いは素敵な想い出になるはず。



「それでいいの?」

 なんとも言えない表情のお兄ちゃん。


“もう!自分から話を切り出しておいて、今更迷わないでよ!”


 私はお兄ちゃんの肩をポン、とたたく。


“大丈夫とは言い切れないけど、けじめをつけるチャンスだと思うの”


 いまだに彼を吹っ切れない私の為に、きっと神様がアキ君に会わせてくれたのだ。

 きちんとお別れできなかった私に与えられた、さよならの為の再会。



「そうか……」

 お兄ちゃんが私の頭をそっとなでる。

「くれぐれも無理しないで。何かあったら、すぐ俺に言うんだよ」


“うん”


 私は小さく笑った。



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