(3)切ない再会 SIDE:チカ
“トオルお兄ちゃん!どうしてここに!?”
「この格好、見てわかんない?」
お兄ちゃんは良く見るタイプの白衣と救急箱を手にしていた。
ああ、そうだ。彼はお医者さんになったのだ。
でも、研究したいことがあるからということで、アメリカに行っていたはず。
私が首をかしげていると、答えが返ってくる。
「学会がこの近くであってね。事故のニュースを聞いて、手伝いに来たって訳。……おっと、いろいろ話したいけど今は治療が優先だな」
お兄ちゃんはもう一度私の頭をなでて、ケガ人のところに走っていった。
何台かの救急車ですべてのケガ人を搬送し終えたのは、日付が変わる頃だった。
裕子さんは通訳として、病院へ行っている。
私一人で教会の前に立っていると、後ろから声をかけられた。
「お疲れさん」
お兄ちゃんがジュースを持ってきてくれた。
教会の入り口の石段に、並んで座る。
“お兄ちゃん。本当にお医者さんになったんだね?”
「なんだよ。今まで信用してなかったのか?」
手を伸ばしてきて、私の髪をグチャグチャにする。
“ああっ、もう!”
ぷぅっとほっぺを膨らませると、お兄ちゃんが笑った。
「その顔、変わってないなぁ」
“えー、えー。どうせ私は、いつまで経っても子供っぽいですよっ”
睨みつけてやろうと横を向いたら、お兄ちゃんはもう笑ってなかった。
真剣な顔で私を見ている。
「どうして、イギリスにいるの?」
私はゴクン、と息を飲んだ。
答えようとしない私に、お兄ちゃんが改めて尋ねる。
「ここで何してるの?」
何かを探り出そうというような、まっすぐな視線。
私は戸惑いながらも笑顔で返す。
“えと。そ、それは、絵本の勉強に来ていて……”
「なるほどね。イギリスは児童文学に造詣が深いし、有名な作家さんも多いしな。チカちゃんがここに留学するのも分かるよ」
私の言葉に大きく頷いてくれるお兄ちゃん。
“う、うん。そうなの”
その様子を見て、ちょっとホッとする。
―――……ウソはついてないもん。
ただ、それが『真実の一部』というだけ。
真相の大部分が他にあるというだけ。
だけど、お兄ちゃんは簡単にはだまされてくれなかった。
「理由はそれだけ……じゃないよな?」
ぎこちなく笑う私に、お兄ちゃんは何か気付いたのかもしれない。
でも、すっと視線をそらした私にそれ以上は訊いてこなかった。
「まぁね。チカちゃんももう立派な大人なんだし、考えがあっての行動だろうから追求はしないよ」
“……そうしてもらえると助かる”
「まさか、家の人にまで内緒ってことはないよねぇ?」
お兄ちゃんは笑いながら冗談ぽく言ったのに、私の肩はビクリとはねてしまった。
「本当に内緒なのか?!」
ギョッと驚くお兄ちゃん。
バレてしまってはごまかしようがない。
私は頷くしかなかった。
「いくらなんでも、それはマズいだろ?みんな、心配してるはずだよ!」
“3日に1度、葉書を出してる。こっちの住所は書いてないけど”
「どうして?何で居場所を知られるのがイヤなんだ?」
私はお兄ちゃんにすがりつく。
“私がここにいること、誰にも知らせないで。ここで会ったこと、誰にも言わないで!”
「チカちゃん?」
“お願いっ!!”
私はお兄ちゃんの上着をきつく握り締めた。
「……分かったよ」
やれやれと肩をすくめながら、お兄ちゃんが言う。
“ごめんね。無茶なこと頼んで”
頭を下げる私。
「いいよ。その代わり、俺にだけ住んでいるところを教えてくれ。チカちゃんの家族にも知らせないと約束するから」
私はポケットからメモとペンを取り出し、サラサラと書き付ける。
「学会が開かれている間は滞在してるから、そのうち一緒に食事に行こう」
メモを受け取りながら、お兄ちゃんが言う。
“うん”
「じゃ、おやすみ」
“おやすみなさい”
私は手を振って、その場をあとにした。
次の日。
裕子さんはまだ帰ってきてないので一人で朝ごはんを食べていると、呼び鈴が鳴った。
―――誰だろ?
急いで玄関に行ってドアを開ければ、そこにいたのはトオルお兄ちゃん。
「おはよう」
“どうしたの?こんな時間に。昨日、食事に行く約束はしたけれど、今からってことはないよね?”
お兄ちゃんはなんだか複雑な顔をしていた。
「一緒に来てもらいたい所があるんだ。いい?」
言いづらそうな顔をして、遠慮がちに告げてくる。
―――来てもらいたい所?
“いいけど……。10分だけ待ってて”
私は部屋に戻り、大急ぎで出かける支度を始めた。
お兄ちゃんが運転する車で連れてこられたのは、病院だった。
昨日の事故でケガをした人たちがここに収容されている。
―――私に何の用があるんだろう?裕子さんのことかなぁ。
お兄ちゃんはずっと難しい顔をしているから、なんだか訊きにくい。
無言のまま廊下を進み、ある病室の前で止まった。
「チカちゃんに会って欲しい人がいるんだ」
“私に?”
ますます意味が分からない。
お医者さんでも、看護婦でもない私が、なんの役に立つのだろう。
思いっきり不思議そうな顔をすると、お兄ちゃんは少し苦笑い。
「ケガの治療をしてもらうわけじゃないから、そんなに不安がらないで」
“あ、うん”
「でも、すごく驚くかもしれない」
“驚く?”
お兄ちゃんは意味深な言葉とともに病室の扉を開け、私は促されて1人で中に入る。
そこは個室らしく、窓際に1人の男の人が立っていた。
私の足音に気付いて、その人がゆっくりと振り向く。
―――あっ……。
ドクンッ。
私の心臓が大きく音を立てる。
逆光になっていてその人の顔がはっきりと見えないけれど、このシルエットには見覚えがある。
スラリとした長身。細身だけど、男らしい肩幅。バランスのいいスタイル。
間違えようがない。
忘れようがない。
日本を出てから、何度この人の夢を見たことだろう。
この人を想って、何度涙を流したことだろう。
会いたくて、会いたくて。
だけど、もう二度と会えない人。
会わないと決めた人。
その人が今、私の目の前に立っている。
―――どうして!?
“アキ君……”
私の震える唇が、声にならない声で彼の名前を呼んだ。