(9)チカからのメッセージ
辺りがすっかり暗くなった頃、どうにか車を運転して家に帰ってきた。
「ただいま……」
力なく玄関に入ると、伯母さんが出てきた。
「どうしたの?ずいぶん帰りが早いのね」
「うん。チカに会えなかったから」
ポツリと呟くと、伯母さんが首を捻る。
「でも、今日は約束をしてたんでしょ?晃君、さっき電話で言ってたじゃない」
「うん……」
「チカちゃんに急用でも入ったの?」
俺はゆっくりと首を横に振った。
「違う。留学したんだって」
伯母さんはちょっと大げさに眉をひそめる。
「……あら、そう。またずいぶんと急なことね」
驚いた表情の割りに、その声は冷静だ。
だけど、俺には伯母さんの様子に気を配る余裕なんてない。
頭の中では『留学』という言葉がグルグルと回っていて、不安と喪失感で倒れないようにしているのがやっとだった。
「俺、何も聞かされてなくて……」
「そう。チカちゃんたら、急にどうしたのかしらねぇ」
「分からない……」
俺は大きなため息を付く。
―――『留学する』なんて、簡単なことじゃないのに。こんな大事なことを、どうして俺に内緒にしていたんだ?
黙ってしまった俺に、伯母さんが微笑みかける。
「チカちゃんに会えなかったのなら、食事はまだなんでしょ?すぐに用意するわ」
「いや、いらない。部屋で休むよ」
俺はがっくりと肩を落とし、伯母さんの横を通り過ぎる。
伯母さんの顔がどこかホッとした表情になっていたことに、俯いていた俺は気が付かなかった。
着替えもせず、ベッドに身を投げる。
―――どういうことなんだ?
一週間前のチカの様子に、おかしなところはなかった。
少しまじめな顔で“話があるから”と言っていたけれど、それがいきなり姿を消したことに繋がっているとは考えられない。
おまけに、家族にも行き先を内緒にしたままなんて。
―――こんなのおかしい!
チカは誰にも本当のことを告げずに、留学したのだろうか。
もしかして、俺の出張の間に手紙でも来てなかっただろうか。
俺はベッドから飛び降り、リビングへと向った。
扉を開けると、帰っていた伯父さんが驚いて俺を見る。
「どうした晃。なんだか慌てているみたいだが?」
「あ、うん。俺の留守中に手紙か葉書が届いてなかった?」
すると伯母さんが部屋の奥から箱を持ってきた。
「手紙はないけど、荷物を預かっているわ」
伯母さんから渡されたのは小さめのダンボール。その差出人はチカだった。
ふっと笑顔になる俺。
―――ほらな。チカは黙っていなくなるような薄情な人間じゃないんだ。まして、俺の前から消える理由なんてないんだし。
急いで箱を開ける。
バッと開いて、真っ先に目に飛び込んできたのは短いメッセージ。
“アキ君、さよなら。もう会いません”
淡いピンク色の葉書に書かれていたのは、間違いなく彼女の字だった。
「……え?」
引きつるノドから、やけにかすれた声が漏れた。
素っ気無い言葉。
いつも彼女から感じられていた温かみも優しさも一切伝わってこない、一方的に突き放した言葉。
―――『アキ君、さよなら。もう会いません』?
何度読み返してみても、それ以上のことは書かれていない。
葉書を持って愕然とした。
「晃、どうしたんだ?」
伯父さんと伯母さんが俺の肩越しに手元をのぞく。
「これは……」
「まぁっ」
伯父さんたちは驚いた声を上げたが、そのすぐあとに、2人の口元にわずかな笑みが浮かだが、背後にいる伯父さんたちのその表情は、俺には見えなかった。
―――“もう会いません”ってどういうことだよ!?
あまりの衝撃に、パニックになることも出来ない。
ただ立ち尽くす。
「晃、しっかりしろ」
伯父さんに肩をたたかれ、ハッと我に返った。
「あ……、ああ。ごめん」
「ねぇ、チカちゃんは何を送ってきたの?」
伯母さんに促され、震える手で1つの包みを取り出す。
包装紙から出てきたのはマグカップ。これは俺がチカの部屋で使っていたものだ。
「なんで……?」
次々と出てくるものは、すべて彼女の部屋に置いていた俺の私物。
―――どうして送りつけてきたんだ?
テーブルの上に広げた俺のスウェットや箸を見て、言葉が出ない。
「どうやら、チカさんはお前と手を切りたいらしいな」
伯父さんがゆったりとソファに腰掛けながら言った。
「まさかっ!そんなはずないよ。こんな時にタチの悪い冗談、言わないでくれ!!」
俺は伯父さんを睨みつけた。
「なら、そのメッセージはどう説明をつけるんだ?あの子に別れるつもりがないなら、なぜ荷物を送りつける?」
伯父さんは睨む俺にひるまず、まっすぐに俺を見る。
「それは……」
言葉に詰まってしまった。
言い返すセリフが見つからず、視線が床に落ちる。
チカがどういうつもりで書いたのか、さっぱり分からない。
―――本当に書かれている通りなのか……?
自分の馬鹿げた発想に、俺は大きく首を振る。
―――そんなこと、あるわけないじゃないか。
だけど、きっぱりと否定することも出来ない。真相を尋ねようにも、チカがいないのだ。
手の中で葉書が音を立てて握り締められる。
―――チカ……。
がっくりとヒザを折った俺の肩に、伯母さんがそっと手をかける。
「帰国して間もないから疲れているでしょ。今日はもう寝たら?夜食は冷蔵庫に入れておくから」
「……そうする」
ソファーの背に掴まりながら立ち上がり、ふらつく足でリビングを出た。
ベッドの縁に腰を下ろし、クシャクシャになった葉書をゆっくりと開く。
書かれている文面は、時間が経っても何一つ変わっていない。
―――どうして……。
俺は野良犬に追いかけられた彼女を家まで送って行った時のことを思い出していた。
“私がアキ君から離れるはずないよ!!”
小さな体を怒りで震わせて、はっきりと言った。
その彼女が突然、俺の前から姿を消した。
何も言わず。
何も残さず。
―――どうして?どうしてっ?!
めまいと吐き気が一気に襲ってきた。
数年前と同じく、重たく冷たい闇が目の前に広がってゆく。
―――両親のように、チカも俺のことを捨てたのか?!
無意識に唇をきつく噛み締める。
ギッ……。
低く鈍い音が耳の奥に響いた。