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声に出来ない“アイシテル”  作者: 京 みやこ
第10章 交差する想い
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(6)缶コーヒー SIDE:チカ

 夕暮れ前の街中。

 私はとぼとぼと歩いている。


 呆然としすぎて、涙も出ない。

 何もする気力がない。

 食欲もない。


 だけど、何も食べないと体を壊すのが分かっていたから。

 こんな時こそ、何か口にしないと……。



 アパートの近くにあるコンビニに寄った。

 ぼんやりと店内を2周して、オレンジジュースとサンドイッチを手に取る。その他になんとなく目に付いたものを手に持ったカゴに入れてゆく。



 買い物を終えた私は重い足を引きずりながら、ようやくアパートに着いた。 


 リビングの真ん中においてある背の低い丸テーブルに荷物を置いて、ペタンと床に座り込む。

 頭の中がフワフワとしていて、何にも考えられない。

 ひざを抱えて、背中を小さく丸めた。



 ひざにあご先を乗せて、そのままの体勢で身動き一つしない。今の私には、指一本動かすのですら気だるい。

 全身が途方もない脱力感に襲われていた。


 目を閉じると余計なことを思い出してしまいそうだから、床の一点を見つめたまま。



 どの位の間、そのままでいたのか。麻痺した感覚では時間の経過が分からない。

 ゆっくりと頭を起こすと、部屋の中はうす暗い。

 時計に目を向けると、喫茶店を出てから2時間が経っていた。


―――ノド、乾いたな……。


 お店ではほとんど紅茶が飲めなかった。 

 取り乱すことないように気を張ることに必死で、紅茶を味わう余裕なんてなかった。 


 私は袋の中からごそごそと買った商品を取り出す。

 紙パックのオレンジジュース。

 卵のサンドイッチ。


―――あ……。


 私は息を飲んだ。

 視線の先にあったのは1本の缶コーヒー。それはアキ君がいつも飲んでいるコーヒー。

 無意識に買ってしまったらしい。



―――もう買う必要ないのに。彼がこの部屋に訪れることはもうないのに。


 それを見たとたん、私の目に涙が溢れた。

 必死で我慢していた感情が爆発する。


―――アキ君!

   

 震える両手で缶コーヒーを握り締める。


 別れたくなんてなかった。

 離れたくなかった。


 本当は泣いてわめいて、伯母様に土下座してでも、彼との付き合いを許して欲しかった。


 こんな私を優しく愛してくれている彼と『別れてくれ』なんて、たとえ冗談でも言って欲しくなかった。


 だけど、私1人と桜井グループを天秤にかけたら、どっちが重要かなんて一目瞭然。

 伯父様と伯母様が必死で育て上げたあの会社を、何の取り得もないちっぽけな私のために捨てるようなことは、彼にさせるわけにはいかなかった。


 伯母様に見せたのは、精一杯に強がっていた私。

 無理矢理浮かべた笑顔の裏で、やり場のない感情に心は引き裂かれていたのだ。


 涙は次々とこぼれて、目の前の缶コーヒーがぼやける。


 私はじゅうたんの上に身を投げ出した。




 涙が止まらない。

 感情の押さえがきかない。

 私の声なき声が嗚咽とともに溢れてくる。 


「―――っ!

 ―――っ!!」


 大声で泣きわめこうとしたって、声なんか出やしない。

 隣の人にも迷惑はかからない。

 誰にも気付かれない。


―――アキ君っ!アキ君っ!!



 その晩、彼の名前を何度も叫びながら私は泣き明かした。







 泣き疲れてそのまま眠ってしまい、リビングで朝を迎えた。

 頭も視界もぼんやりしていて、ノロノロと起き上がる。

 そっと指先でほっぺに触れると、うっすらと濡れた跡がある。眠りながらも泣いていたみたいだ。


―――一生分泣いたかも……。


『声が出なくなる』と聞かされた時よりも、たくさんの涙を流した。

 あの時も絶望が私を包んだけれど、その時よりも悲しみが上回っていた。


 でも、泣いたところでどうにもならない。自分で別れを決めたのだから。


 ジワジワと滲んでくる涙を強引にぬぐって、洗面所に向った。

 鏡の中にいるのは、泣きはらして真っ赤な目をした私。


―――変な顔。


 いつもなら笑ってしまうのに、顔の筋肉が固まっていて苦笑いすらできない。


 冷たい水でジャブジャブと顔を洗う。

 泣きすぎたからほっぺに水がしみた。

 その痛みを感じながら、顔に水をかける。


 滲む涙が止まるまで何度も、何度も。




 ふかふかのタオルで顔を拭くと、ほんの少しだけ気分が落ち着いた。

 リビングに戻って、テーブルの前に腰を下ろす。


 昨日は結局何も食べなかった。

 今もやっぱり食欲はないけれど、さすがに二食も抜くのは良くないと思うから、サンドイッチを一口かじる。

 それをオレンジジュースで無理矢理流し込む。

 大好きな卵サンドなのに、ちっともおいしく感じない。

 

 ふぅ、とため息をつく私の視界の端に缶コーヒーが入った。

 おずおずと伸びる私の手。でも、触れる寸前で手が止まる

 

―――アキ君……。


 彼と過ごしてきたこれまでの時間が次々と浮かんでくる。


 たまにケンカをすることもあったけれど、思い出すことのほとんどは幸せな記憶。彼に愛されていたという記憶。


 だけど、もう終わったことだ。


 枯れたはずの涙がうっすらと滲んでくる。


―――大人になっても泣きムシだなんて……。


 瞬きで涙をごまかした。



 どうにかサンドイッチを食べ終えた私は缶コーヒーを手に取り、立ち上がってキッチンへ向かった。

 プルトップを引いてジャバジャバとコーヒーを流し捨てる。


―――アキ君、さよなら。誰よりも、アキ君が好きだったよ。


 すっかり空になった空き缶をゴミ箱に落とした。


―――アキ君、愛してたよ。


 声にできないアイシテルを心の中で呟く。



 カラン……。

 乾いた金属音が静かな部屋に響いた。


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