(2)伯父さん
着替えが済んだところで、ドアのすぐ横に据え付けられた内線が鳴る。
この家はあまりに大きすぎて部屋まで呼びにくるのが面倒らしく、各部屋に一台ずつ内線電話が設置されていた。
連絡の内容は伯父さんが帰ってきたとのこと。
俺は電気を消して、部屋を出た。
ダイニングに入ると、スーツの上着を脱いでネクタイを緩めた伯父さんがもう座っていた。
「順二伯父さん、おかえりなさい」
あいさつして、俺は自分の席に座る。
4人がけテーブルの伯父さんの向かい側だ。
ちなみにこのテーブルは伯父さん、伯母さん、俺が食事するためのもの。
来客用のダイニングには40人がゆうに座れる巨大な長テーブルがある。各支社の幹部を集めたパーティで使われるんだとか。
一般庶民出身の俺としては、度肝を抜かれる事がこの家にはたくさんあるのだ。
「元気にしてるか?」
人懐っこい笑顔の伯父さん。
今年で50歳になったとは思えないほど若々しくて、弟の父さんのほうがいつも年上に見えていたっけ。
「うん。元気だけど」
いつものように答えただけなのに、伯父さんはじっと俺の顔を見ている。
「どうかした?」
「ん、いや。別に」
口元を緩めて、静かに笑っている。
そういえば、さっきの伯母さんもこんな顔をしていた。
―――2人とも、何を誤解しているんだろう。
彼らの意味不明な様子に、そっと首を捻った。
「学校はどうだ?」
ニコニコと俺に話を向ける伯父さん。
「まだ2日目だから、よく分からないよ」
「お前の事だから、クラス中の女の子の視線を集めているんだろ?」
ニヤリと楽しそうに伯父さんが笑う。
「どうだかねぇ」
ハァ、とため息をつく俺。
クラスどころか、学年関係なく盛り上がっているらしい、とは言えなかった。口にしただけで、精神的にぐったりするから。
俺は静かな学校生活が送りたいのに……。
「桜井家の男は、みんな美形だからなぁ」
伯父さんが言ったところで、鍋を持った伯母さんがキッチンから出てくる。
「そうやって、自分もかっこいいんだって事が言いたいんでしょ?」
苦笑しながら、テーブルの中央に鍋を置いた。
「話は後にして、食事にしましょ」
伯母さんが鍋のフタをあけると、温かな湯気が立ち上り、クリームシチューのいい匂いがした。
食事をしながら前に座る伯父さんをそっと見る。
長男の雄一伯父さんよりも、父さんに似ている。歳が近いせいだろうか。
顔立ちはもちろん、声や仕草なんかも似ているから、つい、父さんの面影を求めてしまう。
この人は伯父さんだと分かっているのに、ほんの一瞬、父さんに見えてくる。
伯母さん同様に俺のことを可愛がってくれていて、『将来養子として、この家の籍に入ってもらいたい』と、言われた事があった。
祖母の家で暮らしていた3年前、そんな話を何度もされた。
その時の俺は、自分に向けられる言葉を信用する事ができなくて。
父さんによく似ている伯父さんからのその言葉が、余計につらくて。
どう答えたらいいか分からず、返事が出来なかった。
だけど、一緒に暮らすようになって、俺が戸惑うほど優しくしてくれている。
あの時に比べれば、言葉に対する不信感も薄れてはいた。『養子になってもいいかもしれない』と、思えるまでに。
でも、まだだ。
全面的に信用するには、俺の心の傷は深すぎた。
食事を終えて、伯母さんがコーヒーを入れてくれる。
まだ熱いコーヒーにゆっくりと口をつけた時、伯母さんが突然立ち上がりキッチンへと駆けていった。
「九州のお友達から届いたのよ。みんなで食べましょうね」
戻ってきた手には、ガラスの器に盛られた桃と苺。
目の前に置かれた果物を見て、どうしてだか、今日知り合ったばかりの小山のイトコだという少女の顔が浮かんだ。
頬を桃のように淡いピンク色へと染めて、小さくはにかみ。
照れすぎると熟した苺のように赤くなった、あの少女のことだ。
―――なんで、思い出したんだ?
コーヒーカップを持ったまま、果物をじっと見つめてしまう。
「どうしたんだ、晃」
「もしかして、嫌いだった?」
固まっている俺に、伯父さんと伯母さんが不思議そうに尋ねてきた。
「……え?あ、その、嫌いじゃないけど。もうお腹いっぱいだから」
ガタガタと音を立てて、イスから立ち上がる。
「俺、部屋に戻るよ。ごちそうさまっ」
2人とは顔を合わせないようにして、テーブルを離れた。
そんな俺を見た伯父さんと伯母さんが、視線を合わせて楽しそうに微笑んでいた。