(4)嫉妬
“ごめんね。アキ君抜きで盛り上がっちゃって”
チカが駆け寄ってきた。
俺がぼんやりしている間に、徹さんは行ってしまった様だ。
「……あの人と、ずいぶん仲がいいんだな」
うらやましいというものとはなんだか違う感情が渦巻いて、表情が硬い俺。
“トオルお兄ちゃんはよく遊んでくれた人なんだ。留学して以来ずっと会ってなかったから、つい話し込んじゃって……”
不安の色を浮かべて、チカが俺を見上げる。
“放っておいたから、怒っちゃった?”
「いや、怒ってないよ」
怒りとも違う。
モヤモヤとしたつかみ所のない感情が、胸に広がってゆく。
“でも、アキ君怖い顔してる”
「そう?」
俺はチカに微笑んだ。
だけど、自分でも分かるほどその笑顔はぎこちない。
“お出かけして疲れた?早く家で休んだほうがいいよね。明日も仕事でしょ?”
「ああ」
“もっと一緒にいたいけど、ここでバイバイだね。おやすみ、アキ君”
「おやすみ」
手を振る俺にチカは笑顔で“大好きだよ”と言った。
唇だけで。
それを見た瞬間、俺はチカの肩をグッとつかんだ。
驚いて目を開く彼女。
“アキ君!?”
「……どうして?」
“え?”
「どうして言ってくれないんだ?」
“何のこと?”
戸惑うチカが、オロオロと俺を見上げている。
「どうして、俺には声に出して“好き”って言ってくれないんだっ!」
肩をつかむ俺の手に力が入る。
痛みで顔をしかめるチカ。
“ア、アキ君痛いよっ”
俺から逃げようとするチカを力で押さえつけた。
「どうして……?どうして……!?」
無茶なことを言っている自覚はある。
だけど、すごく悔しくて、悔しくて。
俺はさっきの男に嫉妬していた。
俺の知らないチカの声を知っているあの男に。
いや、さっきだけではない。
彼女からの定期コールを待つ職場の先輩にも嫉妬した。
今思えば、幸せいっぱいの顔で恋人の声を聞いていたあの先輩が妬ましかったのだ。
だから胸の奥が痛かったのだ。
徹さんからチカの昔話を聞いて、これまでに募った胸の痛みが爆発した。
―――ずるい!俺だってチカに『好き』って言ってもらいたい!言葉で『大好き』って伝えてもらいたい!
掴んだチカの肩が、ギリッと鈍い音を立てる。
チカは眉を寄せて、痛みに耐えながら唇を動かした。
“ごめんね、アキ君……”
『痛い』でも、『怖い』でもなく。
『ごめん』と謝るチカ。
俺はハッとして、手を離した。
「あっ……、俺のほうこそごめんっ」
慌てて一歩下がる。
“平気”
チカは首を横に振って、弱々しく微笑む。
「痛かったよな?本当にごめん!」
今度はそっと彼女の肩に触れる。
チカはホウッと息を吐いた。
“それより、どうしたの?”
「……あの人に嫉妬したんだ」
“トオルお兄ちゃんに?”
「ああ。だって、俺が聞いたことのないチカの声を知ってるから、それで……」
とたんにチカが寂しそうな目をする。
それを見て、俺は慌てて首を大きく横に振った。
「でも、もういいんだ。チカはいつも言葉以上に気持ちを伝えてくれるもんな」
俺がそう言うと、チカは複雑な顔をして小さく“ごめんね”と、また言った。
「謝るのはこっちだよ。みっともなく取り乱したりしてさ。こんな俺、嫌いになった?」
チカの表情を伺うように彼女の顔を覗き込めば、チカはクスッと笑う。
“そんなはずないでしょ。アキ君のバカ”
目元を薄く染めて、小さなげんこつで俺の胸をトンと叩いた。
「ならよかった。おっと、もうこんな時間か」
腕時計を見ると、既に10時を過ぎている。
「おやすみ、チカ」
“おやすみなさい”
俺たちは笑って手を振り合った。
しかし。
一度気付いてしまった嫉妬心を完全に消せるほど、俺は大人じゃなかった。