(6)俺の本気<1>
チカの家の前では彼女の母親が立っていた。
「チカッ!」
姿を見かけてこちらに駆け寄ってくる。
「遅いから心配したのよ!……あら?」
娘の隣にいる見慣れない男にお母さんが驚く。
俺はペコリと頭を下げた。
「こんばんは。その、えと……、チカさんと同じ高校の桜井と申します」
「はぁ……」
どうして俺が一緒にいるのか分からず、不思議そうな顔をして見ているお母さん。
「公園で彼女が困った事態になっていたので、駆けつけたんです。すっかり暗くなりましたから、家まで送ろうと」
お母さんはチカを見る。
チカは俺の話通りだという意味で大きくうなずいた。
「それは、わざわざありがとうございました。上がっていきませんか?」
娘を送り届けてくれた俺にお礼のつもりか、お母さんがそう申し出る。
「いえ。送るだけのつもりでしたので」
断ろうとすると、チカが俺の手首をキュッと掴む。
そしてほんのりと顔を赤くして、見上げてきた。
そのしぐさとその視線には、『もう少し一緒にいたい』と言う気持ちが込められている。
「じゃぁ、せっかくなのでお邪魔します」
俺が少し笑うと、チカもニコッと笑った。
リビングに通され、チカと横並びでソファーに座る。
お母さんがジュースとクッキーを出してくれた。
俺がジュースを飲んでいる横で、チカはこれまでに起きたことをお母さんに説明している。
「えっ?さっきの電話、チカだったの?」
“そうだよ!お母さんたらぜんぜん分かってくれないんだもん。
だから、悪いと思ったけどアキ君に連絡したの”
「アキ君?」
お母さんが首を傾げる。
「あ、俺のことです。“あきら”なので、そう呼ばれてます」
親しげな呼び方にお母さんは気がついたらしい。
「もしかして、2人は?」
「あっ……、付き合ってます。すいません、報告もしませんで」
―――はじめに『彼氏です』って言えばよかったか?
彼氏としての挨拶のタイミングを外し、何だか落ち着かなくなってしまった。
―――でもなぁ。彼女の親を前にすると、妙に緊張しちゃってさぁ。“彼氏”って言い出せなかっただけで、隠しておきたかったわけじゃないんだ。
居心地の悪さを感じながら頭を下げると、お母さんは小さく笑っている。
「いいのよ、それは。もう、チカったらいつの間にこんな素敵な彼氏をつくったの?」
“いつの間にって言われても……”
グラスに刺さったストローを指でいじるチカ。
「桜井さん、ぜんぜん知らなくてごめんなさいね。この子ったら何にも話してくれないんですよ」
少し困ったような笑顔でお母さんが言う。
“だ、だって……。恥ずかしくって、なんて報告したらいいのか分かんなかったんだもん……”
チカは顔を真っ赤にしてジュースを飲む。
一気に飲み干して、少し乱暴にグラスを置くチカ。
“それより、どうして私からの電話を気付いてくれなかったのっ!?”
「そんなこと言っても、分からないわよ」
“アキ君は分かってくれたのにぃ”
恨めしそうにチカが母親を見る。
「え?あの無言電話を?」
お母さんが驚いたように俺を見た。
チカが生まれてから一緒にいる家族よりも、まだわずかな時間しか一緒にいない俺が気付いたことがなんとなく申し訳なく感じて、慌てて口を挟む。
「い、いえ、そのっ。俺に電話をかけてくる人は限られてますので、それでたまたま。そういう勘はいいほうなので……」
チカからの電話だと気づいたことが出しゃばったみたいで気が引けて、ちょっと言い訳めいたことを口にする。
お母さんは嫌な顔はしてないが、不思議そうな表情だ。
「それにしても、よくチカのいる場所まで分かりましたよね?メールじゃなかったんでしょ?」
「あ、はい。俺の携帯に“公衆電話”の表示が出ていたんです。それで、この辺りで電話があるところを探して」
俺があげた指輪のおかげで居場所に気付いた、という話は今は内緒にしておこう。
いろいろ尋ねられると恥ずかしいから。
「そうでしたか。本当にありがとうございました」
お母さんが頭を下げる。
視線を下げたお母さんが、チカの足元に目を向けた。
「あらやだ。チカ、スカートが汚れてるわ」
“あ、本当だ”
見ればスソに少し土がついている。
「すぐに着替えてきなさい」
“はぁい”
言われて、チカが席を立って出て行った。
彼女がリビングを出てしばらくすると、俺の正面に座っているお母さんの表情が少し険しくなる。
―――どうしたんだろう?
じっとテーブルを見つめていたお母さんが顔を上げた。
「娘とはどういうつもりで付き合っているんですか?」
「えっ?」
突然切り出されたセリフに、俺は言葉を失う。
「ごめんなさいね、いきなり。でも、親として知っておきたいの」
俺を見る目が何かを探り出そうとしている。
「いえ、気を悪くしたわけではないので。遠慮なく訊いてください」
「じゃあ、失礼を承知で……」
と言ったものの、お母さんはどう切り出そうか言葉を捜している。
黙ったまま瞬きを繰り返し、ようやく口を開いた。
「チカとは遊びで付き合っているの?」
俺はギョッとした。
まさかそんなことを聞かれるとは思ってなかったから。
「ち、違います!そんなんじゃありません!」
予想外の言葉に驚いたが、はっきりと否定した。
「でも……」
お母さんは俺の言葉が信じられないようだ。
「自分の娘を悪く言うつもりはないけど、ほら、あの子はしゃべれないでしょ?なのにあなたのような素敵な人が彼氏だって言われても、信じられないのよ」
娘が彼氏を連れてきたことに浮かれるのではなく、現実を考えている。
『チカが話せない』という現実を見て、物事を冷静に見ている。
チカが傷つくことのないように、俺の本音を探ろうとしている。
だから俺は正直に話す。
「遊びじゃありません。それと、俺はちっとも素敵じゃないです」
たまたま、ちょっとだけ人より良い外見に生まれただけ。
「そんなことないわ、本当に素敵よ。背も高くて、顔立ちも整っていて、マナーもいいし。こんなかっこいい人、女の子が放って置くはずないわよ」
「あ、まぁ。騒がれるとはよくあります。……でも、俺はそういう人たちのことを信用していませんでした」
俺はこれまで浮かべていた笑顔をスッと消し、淡々と言った。