(5)足し算:SIDE チカ
アキ君がおしょう油を持ってくれて、空いた手を私とつなぐ。
二人並んで歩き出した。
「さっきは本当に驚いたよ。公衆電話からなんて、初めてかかってきたし。何でメールにしなかったんだ?」
“あ、あの、充電が切れてたのを忘れてて……”
私はしょんぼりうつむく。
「俺もよくやるよ、ソレ」
だから気にするな、と笑いかけてくれる。
「で、なんでわざわざ離れたところにある公園の電話ボックスに?公衆電話なら他にもあるだろ」
“野良犬に追いかけられて、逃げてるうちにいつの間にか公園に来てて。逃げる場所がなくって、それであの中に入ってたの”
「へぇ。犬、苦手?」
私は大きくうなずく。
追いかけられた時のことを思い出して、ブルッと震えた。
するとアキ君が、つないでいた手にキュッと力を入れる。
「俺がいるんだから、もう怖くないだろ?」
彼の手のぬくもりと、優しい笑顔に、大きく、大きくうなずいた。
“それにしても、よく私からの電話だって分かったね?おまけにいる場所まで”
「チカのことで俺が分からないはずないよ」
ちょっと得意気にアキ君は言う。
“なんで?お母さんでも分かってくれなかったんだよ?”
「なんでって言われても……。そうだなぁ、チカのことを誰よりも分かろうとして、一生懸命だからかなぁ」
“そうなの?でも、それってアキ君の負担になってない?”
私は彼に負い目がある―――障害者だから。
たかが野良犬1匹追い払うことが出来ない。まともに電話をかけることも出来ない。
誰もが当たり前に出来ることを、私には出来ない。
私といて、彼は疲れたりしないのだろうか。『イヤだ』と思うことはないのだろうか。
私の口からため息がこぼれる。
そんな私に、アキ君はニコッと笑った。
「負担だなんて、感じたことないよ」
“本当に……?”
「うん。自分の意思でやってることだし。むしろチカのことが分かっていくたびに、達成感があって楽しい」
優しい笑顔を向けてくれるけど、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
“私がこんなだから、これから先もアキ君にたくさん迷惑をかけることになっちゃうよ……”
せっかく彼が拭いてくれたのに、涙でほっぺがまた濡れる。
思わず立ち止まってしまった。
「チカ?」
急に動かなくなった私にびっくりして、アキ君が名前を呼ぶ。
“ごめんね。ごめんね。アキ君の彼女が私じゃなくて、何の障害もない人だったら苦労や心配をかけないですむのに”
ポロポロと涙がこぼれる。
するとアキ君が私の正面に立った。
「あのさ、世の中には完璧な人っていないと思う。誰だって足りない何かを持ってるんだよ」
私はしゃくりあげながら、黙って彼の話に耳を傾ける。
「恋人とか夫婦って、足して2になればいいんじゃないかな。1足す1は2だけど、0.5足す1.5も2だよ。
お互いが相手の足りない部分を補えばいいと思う。俺が言ってること、分かる?」
私は泣きながらうなずく。
「俺はチカにない声を持っているけど、チカは俺にない優しさや強さを持ってる。
俺が1.5の時もあるけど、0.5の時もあるよ。それはチカにも言えることだから」
つないでいた手をグッと引かれ、私はアキ君の胸にコツンとおでこをつけた。
「2人で頑張ろ」
彼の声が頭の上から降ってくる。
顔を上げると、そこには真剣な瞳のアキ君がいた。
「チカだけが頑張ってもダメだし、俺だけが頑張ってもダメなんだ。2人で一緒に頑張らないとさ」
彼は私の前を歩くのでもなく。
私の後ろからついてくるのでもなく。
横に並んで進んでいこうと言ってくれている。
―――こんなに頼もしい彼氏、他にいないよ。
私は空いている手で涙をグイッとふく。
“うん、頑張るね”
泣いて真っ赤になった目で、精一杯笑った。