(6)涙と笑顔と
人生初の告白が無事に終わり、彼女を抱きしめる腕を緩めた。
どちらともなく視線を合わせて、微笑みあう。
―――やっぱり、チカちゃんには笑顔が似合うな。これから先、彼女がいつでも笑っていられるように頑張ろう。
女のためには指一本動かすことさえ面倒だったのに、彼女のためなら何だってしてあげたいと思える。
こんなことを考える自分が照れくさいけれど、でもそれが、正直な気持ち。
『恋は人を変える』
そんな言葉をどこかで聞いたことがある。
嘘だと思っていたが、自分の身で証明された。それが本当だったと。
どこで聞いたかも思い出せないほど昔に耳にした言葉を、俺は噛み締めていた。
俺と彼女は近くにあったベンチに腰を下ろす。
俺の右側に座る彼女から伝わる体温が心地いい。
お互いの体温を感じながら、2人とも黙ったまま。
さっきまで普通に話せていたのに、改まると妙に気恥ずかしいのだ。
―――ああ、ダメだ。何か話さないと。
俺は頭をめぐらせて、話のきっかけを探した。
「あ、あのさ。いつから好きになってくれたの?」
俺と接する彼女は、これまでずっと『俺を好きだ』という素振りを見せてくれなかった。
いつでも単なる“顔見知りの先輩”という感じ。
彼女は何回か瞬きをした後、考え込む。
しばらく首をかしげて、サラサラとペンを動かした。
“体育祭で、先輩がリレーの選手で走った時からでしょうか。怖いくらいに真剣な顔に目が奪われて”
それを読んで、胸の奥がくすぐったくなる。
「そっか。必死だったのは、俺を応援しているチカちゃんを見たからなんだ」
“え?あんなにたくさん人がいたのに、よく私が分かりましたね?”
「だって、あんなに大きなポンポンを振り回してたら、目に入るよ」
クスッと笑う。
「一生懸命応援してくれているチカちゃんに、中途半端な俺を見せたくなかった。だから、必死で走った」
“そうだったんですか”
「次の日、筋肉痛で大変だったけどね。……でも、頑張ってよかった。おかげで好きになってもらえたから」
これまでの緊張が嘘みたいに、彼女の前だと素直に言葉が出てくる。
聞いている彼女は真っ赤になったり、モジモジしたり、落ち着かないみたいだが。
“どうして先輩は、こっちが照れるようなことを平気で言うんですか!ドキドキしすぎて、心臓が壊れそうですよ!!”
「しかたないよ、自然に口から出るんだし。……でも、チカちゃんの心臓が壊れるのは困るから、もう言わない」
それを聞いた彼女の顔が不安そうな色に染まり、遠慮がちに俺の腕に触れてくる。
そして、『イヤだ』と言うように首を小さく横に振った。
俺はニヤッと笑う。
「……ウソだよ」
ああっ、と大きな口をあけた彼女は“先輩の意地悪!”と書いたメモをサッと俺に押し付けて、プイッと横を向いてしまった。
だけど、すねて見せたのは一瞬。小さく笑いながら俺にメモを差し出してきた。
“先輩はイメージとぜんぜん違いますね。みんなは『クールだ』って言うけど、本当は笑ったり、怒ったりするし”
「周りの女子からいろいろ言われて、うんざりしているからなぁ。クールってよりも、不機嫌だっただけかも。普段はそんなんじゃないんだけどね」
彼女はフフッと笑って、ペンを進める。
“それに、優しいです。初めて図書室でお話した時、友達から聞いていた印象とずいぶん違うんだなって。
それからちょっと気になっていたんですよ。はっきり自覚したのは、ずいぶん後でしたけど”
「俺も考えれば、最初からチカちゃんが気になっていたのかもしれない」
図書室でのやり取りを思い出す。
「俺の心無い言葉で傷ついたはずなのに、“慣れているから平気です”って寂しそうに笑う顔が忘れられなかったんだ」
それを聞いて、彼女は困ったような微笑みを浮かべる。
俺はそんな彼女の頭をそっとなでた。
「自分の外見のことを言われるのは大嫌いなのに、チカちゃんにカッコいいって言われて嬉しかった。女子は近くにいるだけでも鬱陶しいのに、チカちゃんがそばにいるのは心地よかった」
ふっ、と短く息を吐いて彼女を見つめる。
「他の女子は邪魔なだけなのに、チカちゃんは違った。初めて逢った時から、特別な存在だった。俺にとって、チカちゃんは運命の人なんだと思う」
真剣に語った俺の言葉を、彼女はどこかぼんやりと聞いていて、反応がない。
「チカちゃん?」
呼びかけると彼女はゆっくりと瞬きをして、ペンを動かす。
“先輩が私のことを好きってことが、やっぱりまだ信じられなくて”
はにかむ表情がどこか硬い。
スッと目線を落とし、ペンを走らせる。
“前に、私は恋愛小説を読まないって言いましたよね?”
「覚えてるよ」
すごくつらそうな顔で涙をこらえていた姿を覚えている。
“自分に恋愛は出来ないって、本気で思っていたんです。私を好きになってくれる人はいないだろうって。だって、私には想いを伝える『声』がないから”
俯く彼女の肩が震えたように見えた。
泣いてしまうかと思った俺は、そっとその肩を抱き寄せる。
しばらくじっとしていた彼女は再び手を動かす。
“先輩は誰もが注目するほど素敵な人です。私は何の取り柄がない上に、話すことが出来ない。つまり障害者です。先輩とはあまりにも不釣合いで、好きでいることがつらかった……。
私にあれこれと手を貸してくれたことは嬉しかったです。でも、私が可哀想だから手伝ってくれているんだって思えて。嬉しいのに、悲しかったです”
ここまで一気に書くと、彼女は手を止めた。続きを書こうか、やめようか、迷っているみたいだ。
動かないペン先を2人で見つめる。
やがて大きく息を吸い込んだ彼女は、手を動かした。
“先輩のこと、あきらめようって思いました。何度も、何度も、思いました。それでも、自分の気持ちは変えられなくて。
悩んだけど、想いが通じないことを承知で好きでいることを続けました。恋愛は無理でも、片想いなら出来ますから”
「何、言ってんだよ。俺の言葉にウソはないから。だから信じて」
彼女の肩に置いていた手にそっと力を込める。
「チカちゃんはいい子だよ。素直でかわいい、素敵な女の子だよ。だからもう、自分のことを悪く言わないで」
彼女の瞳が柔らかく細められる。
“先輩の気持ちはすごく嬉しいです。ウソじゃないって分かってます。でも……”
彼女は少し前に書いたメモに戻り、『障害者』という文字の周りをグルグルとペンで囲む。
そして、深いため息をついた。
俺は彼女に微笑みかける。
「あのさ。声が出ないことは動かしようのない事実だけど、俺はそれも含めてチカちゃんが好きなんだよ。俺と初めて逢った時から、君は話せなかった。それでも、俺はチカちゃんに惹かれた」
置いた手にグッと力を込めると、彼女がゆっくりと顔を上げる。
俺は彼女の瞳をまっすぐ見つめ、ありったけの想いを込めて囁いた。
「好きだよ。君が障害者でも、俺はチカちゃんが好きなんだ」
彼女の大きな瞳にブワッと涙が浮かんだ。
溢れて止まらない涙を小さな手でぬぐいながら、メモの上でペンを動かす。
“あきらめないでよかった。先輩が大好きです”
涙をポロポロと流しながら、とびきりの笑顔を俺に向けてくれた。