(1)狂わされるペース
「ねぇ、桜井君」
ある日、教室に入って早々声をかけられた。
松本だった。
「桜井君がデートするなら、どこに行きたい?」
「は?」
思いっきり眉をしかめる俺。
「ファンクラブの子達が知りたいんだって」
「彼女もいないのに、デートなんかするわけないだろ」
イライラと歩き出すと、松本はしつこくついてきた。
「じゃぁ、どんな女の子がタイプ?」
「うるせぇな」
クルッと振り返って睨みつける。
それでも松本はひるまない。
「だって、ファンクラブの会長としていろいろ情報が欲しいんだもん」
「俺は“ご自由に”とは言ったけど、協力するなんて一言も口にしてない」
感情無く言い捨てて、俺は自分の席に着いた。
いつだって気の合う友達と遊ぶほうが楽しくて、彼女を作るつもりなんか無い。
これまでに『デートをしてみたい』なんて、思ったことも無い。
どうして自分の時間を潰してまで、相手に合わせなければならないのか。
女なんて鬱陶しいだけなのに。
「朝から不機嫌な顔してんなぁ」
ポンと頭を叩かれた。
顔を上げると目の前に小山が立っている。
「“デートするならどこに行きたい?”とか、“どんな女がタイプ?”とか聞かれて、うるさかったんだよ」
「ふぅん、デートねぇ」
「そんなの、したことねぇから分かんないし」
「えっ!お前、デートしたことないの?」
小山が目を大きくして驚いた。
なんだか小バカにされたみたいでムッとする。
「そういうお前はどうなんだよ?」
「……俺はあるぜ」
ニヤリと得意げに笑う小山。
「うそだろっ!?」
俺は思わず立ち上がった。
「何だよ、その反応。失礼な奴だな」
口を尖らせて俺を睨んでくる。でも次の瞬間、ヘヘッと笑った。
「相手はチカちゃんだけどね。映画とか、水族館によく行った」
「何だ、イトコとか。それってデートって言えんのか?」
「女の子と出かければ、例えイトコとでも、それで立派なデートなんだよ」
なんて自分勝手な理屈だろうか。
呆れながら、俺はふとあの子を思い浮かべる。
あの子は他の女子と違って、そばにいても鬱陶しくない。
―――大野さんとだったら、デートしてみてもいいかな。
「……桜井。顔がやけに楽しそうだけど、何を考えてんだ?」
「えっ?べ、別に」
俺はこれ以上小山に突っ込まれないように、視線をそらした。
それにしても、いくら大野さんが“女の子”とはいえ、一緒に出かけることをわざわざ“デート”と称する小山は、よほどあの子と仲がいいらしい。
小山は病気になってつらい目にあったあの子を、ずっと近くで見てきた。
だから、つい気にかけてしまうのだろう。そして、出来る限りそばにいようとする。
そんな感じで何かにつけて奴が「チカちゃん、チカちゃん」と言うものだから……。
掃除の時間。
小山と焼却炉に向かっている途中、前の方にあの子がいた。
案の定、小山は駆け寄ってゆく。
「チカちゃんも焼却炉に行くの?」
振り返った大野さんは奴の言葉にニコッと笑い、俺には軽く頭を下げてくれる。
サラリと揺れた彼女の髪に白い物が付いていることに気がついた。
俺は手を伸ばし、付いていた糸を取ってあげる。
「チカちゃん、糸がついてたよ」
とたんに彼女は顔を真っ赤にし、持っていたゴミ箱を落としてしまった。
「うわぁっ」
それを見た小山が慌てて、散らばったゴミをかき集める。
彼女は俺を見て口をパクパクさせながら、手を振り回している。
俺はそんな彼女にジッと見られて、軽く焦る。
―――この子は何でこんなに驚いているんだ?
「急にどうしたんだよ、チカちゃん」
ゴミを拾い終えた小山が彼女を見る。
ようやく我に返った大野さんは、まだ少し顔を赤くしたままメモに何かを書いている。
“だって、桜井先輩が急に『チカちゃん』なんて言うから。いつもは『大野さん』なのに、それでびっくりして”
なるほど、そういう理由だったのか。
「驚かせるつもりはなかったんだ。小山がいつもそう言ってるから、俺もつられたというか」
「俺のせいだって言うのかよ」
ジロリと俺を睨む小山。
「お前が一日中、ずっとチカちゃんの話をするからだろ」
俺も睨み返す。
その横で今度は耳まで赤くする彼女。
「あっ、ご、ごめん」
俺の顔も赤くなった。
いつもは周りから無表情だと言われている俺なのに、この子といるとペースが狂う。
そんな俺を小山はなんだか嬉しそうに見ていた。
ゴミ捨てを終え、教室へ戻りながら小山が話しかけてくる。
「桜井って他の女子には素っ気ないのに、チカちゃんとは普通に話せるんだな」
「あー、そう言われればそうだな。あの子は俺の見た目で騒ぎ立てたりしないから、接しやすいかも」
「理由はそれだけか?」
「後は……、妹って感じだからかなぁ。あまり気を使わないで済むっていうか」
「へぇ」
さっきから小山はずっと楽しそうだ。
楽しそうと言うか、ニヤニヤしている。変な奴。
「何だよ?」
「別に~。ま、自分で気付けよ」
そう言って、小山は一人で先に行ってしまった。
「はぁ?意味分かんねぇ」
俺は頭をかきながら、遠ざかる背中に向かって呟いた。