(3)恋の代わり
手術が始まった。
口から管を通して、管の先に付いた小さなハサミで腫瘍と声帯を取るらしい。
内視鏡手術と言うそうだ。こうすれば無駄に切る事もないから、回復が早いとか。
きちんとした食事が摂れるまでには一週間くらいはかかるみたいだけれど、手術した傷が落ち着けばすぐに退院できる。
入学式には何とか間に合いそうだ。
麻酔が切れて目を覚ますと、私の周りにたくさんの人。
お父さん、お母さん。圭ちゃん。圭ちゃんのお父さんと、お母さん。
取り囲んでじっと私の顔を見ていたから、びっくりした。
起き上がろうとしたけれど、まだ体がうまく動かせない。
お母さんに背中を支えられて、ゆっくりと起き上がった。
―――みんな、来てくれたの?
つい今までのように口を動かすけど、声は出ない。
そんな私を見て、お母さんがペンとメモを渡してくれた。
「言いたい事があったら、ここに書きなさいね」
綺麗なピンク色のペンにはたくさんのハートマーク。メモ帳にもハートがいっぱい。
さっそくペンを動かした。
“みんな、来てくれてありがとう”
「チカ、調子はどうだい?」
お父さんが聞いてくる。
“ノドが少し痛いかな。突っ張る感じもするし。でも、思ったより元気かも”
私が書いた『元気』という文字を見て、みんながホッと胸をなでおろす。
私はまたペンを動かした。
“可愛いね、これ”
ペンとメモ帳を軽く持ち上げる。
「俺が選んだんだ。気に入ってくれた?」
得意そうに言ったのは圭ちゃん。
“うん。すごく気に入ったよ”
私がニコッと笑うと、
「よかったぁ。2時間もかけて選んだ甲斐があったよ」
エヘヘ、と圭ちゃんが照れ笑いをした。
直接話はできないけど、こうやって文字にすれば会話になるんだ。
こうやって、少しずつできることを見つけていこう。
私はメモとペンを胸に抱きしめた。
中学の3年間はあっという間に過ぎ、高校にも無事、入学できた。
圭ちゃんと同じ公立高校はのんびりとした雰囲気で、声の出ない私を苛める人もいない。
それなりに楽しい高校生活を送っている。
だけど……。
周りの友達に“彼ができた”って話を聞くと、心臓がキュッと痛くなる。
彼氏の話をする友達の顔はすごく幸せそうだった。
それは、私には出来ない表情。
そういえば、いつからだっただろうか。
あんなに大好きだった恋愛小説を読まなくなったのは。
あれは……、中学2年の秋のことだ。
放課後、職員室から戻ると、何人かの男子が教室に残っていた。
中から楽しそうな話し声がする。
「うちのクラスの女子で、彼女にするなら誰がいい?」
「そうだなぁ。佐川っていいよな。モデルみたいで、スタイルいいし」
「分かるー。俺的には山名かな。優しいんだぜ、あいつ」
「僕、この前、指をケガした時に絆創膏もらった」
「山名は癒し系だよなぁ」
「じゃぁ、大野は?」
―――えっ!?
突然自分の名前が挙がって、恥ずかしくて中に入れない。
廊下で息を潜めて、男子達の会話の続きを待つ。
―――なんて言われるんだろう。
ドキドキしながら、ちょっと期待している私。
ところが、聞こえてきたのはあまりに正直すぎる言葉。
「笑顔が可愛いんだけどさ、彼女にはしたくないな」
「話もできない相手とは付き合えねぇよ。どうやってコミュニケーションとればいいか分かんないし」
「いちいちメモを見せられると、盛り下がるしな」
「“好き”っていうセリフは、口に出して言って欲しいよ」
「それ、重要だな!」
アハハッ、と大きな笑い声が廊下にまで響く。
彼らの容赦ない笑い声を背に、私は唇をかみ締めて走り去った。
突きつけられた現実。
変えられない事実。
それ以来、部屋の本棚からピンク色の背表紙や可愛いイラスト付の本が消え、暗い背表紙で、文字ばかりの小説が並んだ。
声を使う仕事が無理ならば、声を使わない仕事を探せばいい。
仕事には代わりがある。
けれど、恋の代わりはないのだ。
それに気がついた私は、恋愛小説を手に取ることすらしなくなっていた。
最後には大好きな人と幸せを掴む主人公を見るのがつらい。
こんな私を好きになってくれる人なんて、絶対いないから。
―――嫌なこと思い出しちゃったな。
高校生になって初めての夏休みが終わり、明日からは学校が始まるという夜。
私は、真っ暗になった部屋で、長い長いため息をついた。