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(1)病気発覚


≪SIDE:チカ≫


 小さな頃から本を読むことが好きで、幼稚園では友達と遊ぶよりも絵本に夢中だった。

 お母さんには『本があれば、チカはいつもご機嫌ね』とよく言われていた。


 大好きな絵本はシンデレラ。いつか私のところにも素敵な王子様が来てくれるのだと、本気で信じていた。



 小学校に入って、読める漢字も増え、私はますます本の世界にのめり込む。


 魔法使いが出てきたり、動物達と冒険するお話も面白かったけれど、年を重ねてゆくと、小中学生向けの恋愛小説に夢中になった。


 先生を好きになったり。

近所に住むカッコいいお兄さんを好きになったり。


 どの小説も胸をドキドキさせて読んだ。


 この先、もう少し大人になったら、本と同じように自分にも幸せな恋愛が約束されていると思っていた。




 だけど……。


 私に用意されていたのは残酷な現実だった。





 無事に小学校を卒業した春休み。

 しばらく前から気になっていた事をお母さんに言った。


「なんかね、ノドがおかしいんだ」


 飲み込む時に違和感があったり、時々声がかすれることがあった。

 前は『気のせいかな』と思う程度だったのに、最近は『やっぱり変だ』と感じる。



「あら、風邪じゃなくて?」

「違うと思う。咳も出ないし。ただ、ノドの奥が腫れてる感じ」

「扁桃腺に熱を持ってるのかしら。じゃ、今から病院に行って診てもらいましょ。中学の入学式に病気でお休みなんて寂しいものね」

「そうだね」

 私とお母さんはニコッと笑った。


 この後、12歳の私を押し潰してしまう事が起きるなんて、夢にも思わずに。




 お母さんの運転する車で、もう10年も通っている内科に向かった。

 そこの院長先生はいつもニコニコしていて、優しくて、お医者さんって言うよりも、自分のおじいちゃんみたいな人だ。


「おや、チカちゃん。今日はどうしたのかな?」

 一人で診察室に入ると、椅子に座っていた先生が優しく話しかけてくる。

「ノドの奥がね、なんか変な感じなの」

「どれどれ。口を大きく開けてごらん」

 先生はいつものようにライトを当てながら、私の口の中を見る。

 すると、これまでニコニコしていた先生がノドの奥をすごく真剣に見詰め、表情を曇らせた。


―――どうしたのかな?


 先生は近くにいた看護士さんに何か伝えている。

 しばらくして、看護士さんに連れられてお母さんが入ってきた。

 先生は引き出しから紙を出し、いくつか書き込んだ後封筒に入れて、お母さんに差し出す。

「これは大学病院の紹介状です。念のために診察を受けてください」

 こんなに固い顔をした先生は初めてだった。


「えっ?大学病院ですか?」

 お母さんがびっくりして聞き返す。

「詳しい事は検査で分かるでしょう。場合によっては命に関わる事ですので、できればすぐにでも行ってください。先方には電話をしておきますので」

 そう言って、先生は机の上の電話に手を伸ばした。



―――大学病院?検査?命に関わるって、何?


 パニックになって動けなくなった私の手を引いて、お母さんは車へと急いだ。




 大学病院に着くと準備はもう出来ていて、私はすぐに検査室に連れて行かれる。


 一通りの検査を終えてお母さんと待合室で待っていると、名前を呼ばれた。

「そちらに座ってください」

 会議室のような部屋に入ると、私のお母さんよりも少し年上くらいの女の人がいた。

 ノドの病気を専門にしていると言う。


 その先生が怖いくらい真剣な顔をして、私のノドの奥の写真を見せてくれた。

「チカちゃんのノドには腫瘍があります。……残念ながら、悪性です」

 お母さんがハッと息を飲んで、口を手で押さえて震えている。

 私は“腫瘍”の意味が分からなくて、きょとんとするだけ。


 小さく息を吐いた先生は堅く閉じていた口をゆっくり開いて、ゆっくり言った。

「このままにしておくと、チカちゃんの命は数年持たないでしょう」



 お母さんは何も言わないで、ポロポロと泣き出した。


 先生の言葉、今度は私にも分かった。


―――死んじゃうの?……私、死んじゃうの!?


 悲しみというより、例えようのない恐怖が襲ってくる。

 私の目からも涙がこぼれた。


 泣き出した私とお母さんに、先生は慌てて話を続ける。


「でも、落ち込まないでください!早い段階での発見ですし、幸い他の臓器にはまったく転移してなかったんです。手術すれば、完治しますから」

「……チカは治るんですね?」

 お母さんが恐る恐る尋ねる。

「はい、絶対に治ります。手術も簡単なものですから、10日ほどの入院で済みますよ」

 先生が自信を持って答えてくれた。


―――10日だったら、入学式にも間に合うんだ。


 私とお母さんにホッとした笑顔が戻る。

 だけど、それは一瞬の事。


「ただし、腫瘍を完全に取り除くためには、声帯をすべて取り除く事になります」


 先生の顔がさっきよりも厳しい表情になった。

 部屋の中の空気がすぅっと、冷たくなったような気がする。


「それって……、声が出せなくなるってこと……ですか?」

 震える唇をどうにか動かし、私は尋ねる。

 先生は何回か瞬きをした後、あえて無表情で大きくうなずいた。


「急なことで驚かれているでしょうが、時間がありません。一日でも早い処置が、チカちゃんの命を救います。今日はこのまま入院していただきますので」

 お母さんにそう言ってから内線電話を使って、先生がベッドの空きを確認する。

「小児科のベッドが空いてました。お母さんはご主人とこの事に付いてお話なさってください。また明日、改めてお会いしましょう」

 立ち上がった先生は私の頭をそっとなでる。

「大丈夫。手術をすれば、何年だって生きられるからね」


 にっこり微笑まれたけれど、私は呆然としてしまって何か言うどころか、うなずく事も出来なかった。




 そのまま小児科に行って、借りたパジャマに着替えてベッドに横になる。

 お母さんは入院の準備をするからと帰っていった。



 隣りのベッドとの仕切りのカーテンを閉めて、白い天井をぼんやりと眺めていたら涙がにじんできた。


―――声が出なくなるなんて、絶対にイヤだよっ!


 涙は次々と溢れる。



 小学校の卒業文集に書いた“将来の夢”は、アナウンサーと、バスガイドと、幼稚園の先生。1つに決められなくて、3つも書いた。


 テレビの中ではきはきとニュースを読んでいるアナウンサーを見て、カッコいいと思った。

 景色を見ながらすらすら説明してくれるバスガイドさんを見て、素敵だと思った。

 楽しく歌を教えてくれた幼稚園の先生を見て、あこがれた。


 それが、声が出ない私には手が届かない夢になってしまった。


『諦めなければ夢はかなうよ』って、ずいぶん前に学校の先生に言われた。

 でも、こんな私じゃ、どんなに頑張ったってダメ。


 だって、声のない私が声を使う仕事に就けるはずもないのだから。



「う、ううっ……」

 私は頭から布団をかぶった。

 そして泣いた。


 泣いて、泣いて。

 体の水分が全部涙になってしまうくらい、泣いて。




 会社を早退したお父さんが、お母さんと来てくれた。

 だけど今の私は誰にも会いたくなくって、ずっと布団にもぐったままだった。

 お母さんが『また明日来るからね』と声をかけてきたけれど、ずっと布団にもぐったまま。



―――神様、どうして私から声を奪うの?夢を奪うの?


 悲しくて、苦しくて、私の人生がここで終ってしまったかのように思えて、ひたすら泣き続けた。



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