(4)恋愛小説
両手がふさがっている俺の代わりに、彼女が図書室の扉を開けてくれる。
中に入ってカウンターの上にドサリと本を下ろすと、誰もいなくて静かな図書室に本を置く音が響いた。
「ふぅ」
短く息を吐く。
男の俺にしてみても、そこそこ重く感じた本たち。彼女一人に運ばせなくて良かった。
大野さんは“ありがとうございます”と書いたメモを差し出して、ペコペコと頭を下げている。
「別に。大したことじゃないし」
“でも、すごく助かりました”
まだ頭を下げている。
「もういいって。……前もこんなシーンがあったよな?」
俺が初めてこの子と会った日のことだ。
俺が……、心無い言葉で彼女を傷つけてしまった日。
あの時も頭を下げ続けていた。怯えたような顔で。
―――俺、そんなに怖い顔してたかなぁ?
思い出して、苦く笑う。
そんな俺を見て、彼女はようやくお辞儀をやめた。
運んだ本を棚に戻す作業を手伝いながら話しかけた。
「大野さんは本が好きだから、図書委員なんだよね。普段はどんな本を読んでる?」
彼女はちょっと首を傾げた後、メモにペンを走らせる。
“色々読んでますけど、ミステリーとか探偵モノが多いですね”
「ミステリー?ちょっと意外」
“意外ですか?”
どうして俺がそんな事を言ったのか分からなかったらしく、また首をかしげている。
そんな彼女に、俺は何気なく言った。
「女の子は恋愛小説ばかり読んでるかと思ったから」
本屋に行くと、文庫のコーナーにはピンク色を主体にした表紙で、なんだかメルヘンチックなタイトルの本がぎっしり並んでいるのを目にする。
クラスの女子の大半が、休み時間にその手の本を読んでキャーキャー言っているのを何度も耳にしていた。
本には先輩に恋をする話とか、気が付いたら幼馴染に恋をしていた話とか、そんなの恋愛話が詰まっているのだろう。
―――大野さんだって年頃の女の子だし。本が好きなら、そういう類の作品を読んでいてもおかしくないよな。
何の気なしに言った俺の言葉に、彼女はキュッと口をつぐんでペンを走らせる。
“恋愛小説は読みません”
その文字が心なしか硬く、震えているように見えた。
「どうして?女の子ってそういう作品が好きだよね?」
俺がメモから視線を上げると、そこには泣きたいのを我慢しているような、そんな複雑な笑みを浮かべている彼女がいた。
“そういうお話を読むと、恋愛は自分の手が届かないところにある物だって思い知らされるんです。それが嫌で、恋愛小説は読みません”
「……大野さん?」
彼女の表情に戸惑う俺に、スッと新たなメモを差し出してくる。
“話も出来ない私を好きになってくれる人なんて、どこを探してもいませんから”
そう書かれたメモを静かに俺に押し付けて、彼女は隣りの司書室に消えた。
「余計なこと、言っちまったな……」
教室に向かう廊下を歩きながら、ため息とともに呟いた。
彼女は声を失った事で、声以外の事も色々と諦めてきたのだ。
それはきっと俺なんかでは想像も付かないくらい、つらく苦しかったことだろう。
そう思うと、胸が痛くて、目の奥がジンと熱くなった。
―――少しでも苦しみを軽くしてあげたい。俺が彼女を支えてあげたい。
「……って、何考えてんだよ、俺」
こんな事をチラリとでも考えた自分に驚いた。
あの子を見ていると、いつも自分のペースやスタンスが狂う。
「ああ、もう!訳、わかんねぇ」
頭をガシガシとかきながら、小さく呻く。
それよりもっと驚いたのは、そんな事を考える俺を少しも不快に感じていない自分に気が付いたことだった。