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1535年12月1週目。尼子経久 冬を舐めるな

 一方、出雲。

 大内勢二万五千が二方向から押し寄せているという報告を受け、

 尼子家中には明らかな動揺が広がっていた。

「二万五千……」

「安芸の国人衆まで五千ほど加わっております」

「安芸の者どもは何をしておる!」

 若い侍が吐き捨てた。

「大内の兵を素通りさせる家まであるとか。なんと薄情な!」

「このままでは安芸など、あっという間に抜かれますぞ!」

 口々に不満が上がる。

 だが、その中で尼子経久だけは落ち着いていた。

「いや、それでええ」

「……は?」

「安芸の国人衆が静観する。それでええと言うておる」

 家臣たちが顔を見合わせた。

「しかし、それでは大内がこちらへ――」

「では聞くが、安芸の小さな国人衆が尼子のためじゃと言うて大内二万五千と戦ったら、どうなる?」

「……潰されます」

「そうじゃ」

 経久は笑った。

「城を焼かれ、村を焼かれ、家を滅ぼされる。その恨みは誰に向く?」

 尼子である。

「だから前から言うてある。勝てぬなら無理に戦うな。静観でも恭順でも構わぬ。家と兵を残せとな」

「そこまで?」

「大内が帰る時に牙を剥けるなら、それで十分じゃ」

「帰ると決まっているので?」

「そこは知らん」

 経久があっさり答え、広間に苦笑が広がった。

「うちが先に潰れたら全部終わりじゃからな」

「笑い事ではございませぬ」

「だから潰れぬように考えとる」

 経久は中国地方から九州、四国まで描かれた絵図を広げた。

「大内は焦っておる」

「焦って?」

「忍びから九州の話は聞いとる」

 九州には八郎という幼い領主がいる。

 島津と結び、肥後、肥前へ勢力を広げ、大友や大内とも争った。

「大友と八郎が、大内を九州から追い出しかけた」

「はい」

「そこで大内が間に入り、今は一年の休戦じゃ」

 さらに八郎は四国へ渡った。

 伊予。

 土佐。

 讃岐西部。

 三好とまで戦い、一年の休戦を結んだ。

「五つ六つの童が?」

「それは儂も何度聞いても意味が分からん」

 笑いが漏れる。

「しかも今は、安芸の国人衆と商いの話を始めておる」

「……こちらとも交易したいという噂が」

「儂も聞いた」

 経久の指が、九州から四国、安芸を通り、出雲へと進む。

「大内からすれば嫌じゃろうな」

 西には八郎と大友。

 東には尼子。

 安芸まで八郎商会とつながれば、大内を囲むような形になる。

「つまり、大内は休戦している間に後ろを固めたい?」

「そういうことじゃろう」

 家臣の一人が唸った。

「ならば、八郎との縁組を急ぐ手もあったのでは?」

「それが一番手っ取り早かったじゃろうな」

 大内の姫君が八郎のもとへ遊学しているという話も、経久の耳には入っていた。

「無理にでも血縁を結んでしまえば、大内の後ろはだいぶ楽になる」

「なぜしなかったのでしょう」

「八郎側にも事情があるんじゃろう」

 すでに多くの家との婚姻が絡んでいる。

 さらに大内の姫を迎えれば、京都へ向かう際にも大内との関係が色濃くなる。

「五歳児のくせに面倒な立場になっとるな」

「五歳児の話とは思えませんな」

「それだけ大内も焦ったということじゃ」

 そして経久は、出雲へ向かって伸びる大内軍の線を見た。

「じゃがな」

 にやりと笑う。

「焦って攻めるにしても、時期が悪すぎる」

「冬、ですか」

「冬じゃぞ」

 二万五千の人間が毎日飯を食う。

 馬も食う。

 薪も要る。

 道は雨や雪で悪くなる。

「二万五千という数字だけ見たら怖い」

 だが二万五千を養うには、それだけ長い兵糧の道が必要になる。

「安芸側は抜かせてもええ」

 無理に守らない。

「石見側は?」

「じっくり下がれ」

 一城ごとに時間を使わせる。

 戦えるなら戦う。

 無理なら城を捨てる。

「ただし」

 経久の目が鋭くなった。

「米も薪も塩も、運べるものはできる限り運べ」

「大内に残さぬ?」

「空っぽの城を一つくれてやれ」

 城を取った大内軍が喜んでも、そこに兵糧がなければ、自分たちの後方から運ばなければならない。

「一つ取らせるたびに、大内の兵糧道を一里伸ばすと思え」

 家臣たちの表情が変わり始めた。

「そして月山富田城まで引く」

 出雲の山を背負った堅城。

「ここには物を集める」

「大量に?」

「食えるだけ集めろ。薪もじゃ」

 大内に城を囲ませる。

 二万五千という大軍に、冬の山中で陣を張らせる。

「すぐに戦わぬのですか?」

「なんでこちらから元気な二万五千に突っ込まなあかん」

 経久は鼻で笑った。

「腹を減らさせろ。寒がらせろ。家に帰りたいと思わせろ」

 一月。

 二月。

 それでも落ちなければ、大内兵の心には必ず疑問が出る。

 なぜ冬に来た。

 いつ帰れる。

 飯は届くのか。

「勝ち続けんと二万五千は維持できん」

 経久は言った。

「兵というのはな、前へ進んどる時は強い。止まった途端に余計なことを考え始める」

 家臣の一人が笑った。

「では、我らは待つ?」

「待つ」

 そして、大内が背を向けた時。

「その時だけは逃がすな」

 広間の空気が変わった。

 先ほどまで二万五千という数字に怯えていた者たちが、絵図を見る目を変えていた。

「安芸を抜かれても慌てるな」

「石見の城を取られても?」

「取らせろ」

「月山富田城を囲まれても?」

「歓迎してやれ」

 経久は楽しそうに笑った。

「冬を舐めすぎなんじゃ、大内は」

 二万五千。

 確かに恐ろしい軍勢だった。

 だが大軍には、大軍の弱さがある。

「戦は敵が一番強い時にするもんやない」

 尼子経久は静かに言った。

「一番弱うなった時にすればええ」

 その言葉に、家臣たちの士気は再び上がり始めていた。

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