第7章 開戦の鐘、孤高の刃
大会当日の夜。
ログインした瞬間、ひよりの耳に、遠くから重い鐘の音が響いた。
——ゴォォォォン。
空気そのものが震えるような低い音。
森の木々がざわりと揺れ、枝葉が細かく震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。
まるで森全体が、これから起こる出来事を知っているかのようだった。
「……始まったんだ」
ひよりは胸の奥がざわつくのを感じた。
森の空気はいつもより冷たく、湿った土の匂いが濃く漂っている。
風は細く鋭く、木々の間をすり抜けるたびに、葉がざわざわと不安げに揺れた。
焚き火の火は小さく揺れ、
木漏れ日の代わりに、月明かりが拠点を淡く照らしていた。
その光はどこか頼りなく、ひよりの影を細く長く伸ばしている。
エルダが駆け寄ってくる。
いつもの軽い足取りではなく、どこか落ち着かない様子だった。
「ひよりちゃん、大会始まったよ! クロウ殿、絶対勝つよ!」
「うん……でも、なんだか落ち着かなくて……」
ひよりは胸に手を当てた。
鼓動が早い。
森の空気が、いつもよりざわざわしている。
エルダは空を見上げた。
雲が薄く広がり、月がぼんやりと滲んでいる。
「……森が、緊張してるみたいだね」
風が木々を揺らし、葉がざわざわと音を立てる。
その音は、まるで森が何かを警告しているようだった。
***
その頃、闘技場では——。
巨大な石造りの円形闘技場。
観客席はぎっしりとプレイヤーで埋まり、
松明の炎が赤く揺れ、熱気が渦巻いていた。
砂埃が舞い、地面は無数の足跡で荒れている。
観客のざわめきは嵐のように渦巻き、
地面が震えるほどの歓声が響く。
「クロウ来たぞ!」
「今年も優勝候補だ!」
「いや、例の初心者のバフがあるからだろ!」
「どこだよ、その初心者!」
ざわめきは波のように押し寄せ、
闘技場の空気は熱と緊張で張り詰めていた。
クロウはその中心に立っていた。
黒いコートが風に揺れ、
前髪の隙間から覗く瞳は鋭く、
その周囲だけ空気が張り詰めているようだった。
(……ひより。無事でいろ)
胸の奥で、静かに願う。
審判の声が響く。
「——決勝戦、開始!」
闘技場の空気が一気に爆ぜた。
***
森の拠点では、ひよりが焚き火の前で膝を抱えていた。
風が冷たく、木々の影が揺れ、
森の奥から不穏な気配が漂ってくる。
「ひよりちゃん……」
エルダが心配そうに覗き込む。
「大丈夫……? なんか、顔色悪いよ」
「うん……なんだか、胸がざわざわして……」
そのとき——
森の奥から、複数の足音が近づいてきた。
ざっ……ざっ……ざっ……
落ち葉を踏みしめる重い音。
枝が折れる乾いた音。
風が止まり、森が息を潜める。
「……ひよりちゃん、隠れて!」
エルダがひよりの腕を掴んだ瞬間、
木々の間からプレイヤーたちが姿を現した。
派手な鎧が月明かりに反射し、
その光はまるで獲物を狙う獣の目のようにギラついていた。
「いたぞ……あの初心者だ」
「クロウのバフ役、確保しろ」
「大会中に弱らせれば、クロウは勝てない」
ひよりの背筋が凍る。
「や、やめてください……!」
プレイヤーの一人が笑った。
「大人しく来いよ。お前の料理、俺らにも使わせてもらう」
エルダがひよりの前に立ちはだかった。
「ひよりちゃんに触るな!」
「NPCが邪魔すんなよ」
プレイヤーの一人がエルダを殴り飛ばした。
エルダの身体が地面に転がり、落ち葉が舞い上がる。
「エルダくん!」
ひよりが駆け寄ろうとした瞬間、
プレイヤーの手がひよりの腕を掴もうと伸びてきた。
そのとき——
ひよりの手にあったスープが、淡く光り始めた。
黄金色の液体が揺れ、
焚き火の光を受けてきらりと輝く。
(……守りたい)
その想いが、スープに宿った。
——ぱぁぁぁぁっ。
光が弾け、
スープから“風の結界”が広がった。
「なっ……!?」
「なんだこれ……!」
プレイヤーたちが弾き飛ばされる。
エルダが目を見開いた。
「ひよりちゃん……今の……!」
「わ、わかんない……!
でも……守りたくて……!」
スープの光は、まるで意思を持つようにひよりを包み込んでいた。
***
その瞬間——
闘技場のクロウの身体にも、同じ光が走った。
「……っ」
魔力が脈打ち、
身体の奥から力が湧き上がる。
観客席がざわめく。
「クロウのステータス……上がってないか?」
「なんだあの光……!」
「まさか……噂の初心者の……!」
クロウは剣を握り直した。
(……ひより)
胸の奥が熱くなる。
次の瞬間、
クロウの姿が消えた。
風が走り、
剣閃が閃き、
相手のHPが一瞬でゼロになる。
——ドォォォォンッ!
観客席が爆発したように沸き立つ。
「クロウ勝ったぁぁぁ!!」
クロウは勝利のアナウンスを無視し、
すぐに闘技場を飛び出した。
(……間に合え)
その想いだけが、彼を突き動かしていた。
***
森の拠点では、
結界がひび割れ始めていた。
——バキィィィィンッ!
「やめて……来ないで……!」
ひよりの声が震える。
プレイヤーが手を伸ばす。
「大人しく来いよ。お前の料理、俺らが使ってやる」
「いや……!」
その瞬間——
風が吹き荒れた。
——ゴォォォォッ!
黒い影が、ひよりとプレイヤーの間に降り立つ。
「……触るな」
クロウだった。
月明かりが彼のコートを照らし、
その姿はまるで夜の森に降り立った守護者のようだった。
ひよりの目から、涙がこぼれ落ちる。
「クロウさん……!」
クロウは剣を構え、プレイヤーたちを睨みつけた。
その瞳は、鬼気迫るほど鋭く、
しかし——
ひよりを守るためだけに燃えていた。
「……二度と、ひよりに近づくな」
その声は、刃よりも鋭かった。




