第6章 迫る影と、守る者たち
大会当日の夕方。
ひよりがログインすると、森の空気はいつもと違っていた。
風は冷たく、木々のざわめきはどこか落ち着かず、
鳥たちの声もまばらで、森全体がひっそりと息を潜めているようだった。
「……なんだか、静か」
ひよりがつぶやくと、足元の落ち葉がかさりと揺れた。
その音がやけに大きく響く。
拠点へ向かう道は、いつもより薄暗かった。
木漏れ日は雲に遮られ、森の奥から冷たい風が吹き抜ける。
「ひよりちゃーん!」
突然、木陰からエルダが飛び出してきた。
その顔はいつもの明るさがなく、焦りで強張っていた。
「エルダくん……どうしたの?」
「やばいよ……! 他のプレイヤーが、ひよりちゃんを探してる!」
ひよりの背筋が凍る。
「ど、どうして……?」
エルダは唇を噛んだ。
「クロウ殿が大会で勝つために、“特別なバフ役がいる”って噂が広まったんだよ。
ひよりちゃんの料理のこと……誰かが嗅ぎつけたんだ」
森の奥から、ざっ……ざっ……と複数の足音が近づいてくる。
枝が折れる音、草を踏みしめる重い気配。
「いたぞ……!」
低い声が森に響いた。
木々の間から現れたのは、派手な装備を身につけた数人のプレイヤーたち。
金属の鎧が夕暮れの光を反射し、ギラギラと不気味に光っている。
「お前が……例の初心者か」
「クロウのバフ役、こっちに寄越せよ」
「料理スキルでNPC覚醒させるとか、反則級じゃねぇか」
ひよりは一歩後ずさった。
背中にひんやりとした木の幹が触れる。
「や、やめてください……!」
プレイヤーの一人が鼻で笑った。
「大人しく来いよ。お前の料理、俺らにも使わせてもらう」
「クロウの独り占めなんて許さねぇよ」
エルダがひよりの前に立ちはだかった。
「ひよりちゃんに触るな!」
「は? NPCが邪魔すんなよ」
プレイヤーの一人がエルダを乱暴に押しのける。
エルダの身体が地面に転がり、落ち葉が舞い上がった。
「エルダくん!」
ひよりが駆け寄ろうとした瞬間、
プレイヤーの手がひよりの腕を掴もうと伸びてきた。
そのとき——
森の空気が、凍りついた。
風が止まり、木々のざわめきが消え、
まるで森そのものが息を潜めたような静寂。
「……触るな」
低く、鋭く、冷たい声。
木々の影から、黒いコートがゆっくりと歩み出る。
長い前髪の隙間から覗く瞳は、闇よりも深く、鋭かった。
クロウだった。
夕暮れの光が彼のコートの端を照らし、
その姿はまるで森に降り立った影のようだった。
プレイヤーたちは一瞬怯んだが、すぐに強がった。
「お、お前……大会はどうした!」
「逃げてきたのか?」
クロウは答えない。
ただ、ひよりとプレイヤーの間に立ち、剣の柄に手を添えた。
「……ひよりに近づくな」
その声は、氷の刃のように冷たかった。
プレイヤーの一人が笑う。
「はっ、なんだよそれ。
お前、あの初心者に本気で肩入れしてんのか?」
クロウの瞳が細くなる。
「……黙れ」
次の瞬間、
風が裂けた。
クロウの姿が消え、
気づけばプレイヤーの足元に“警告ダメージ”の赤いエフェクトが走っていた。
「なっ……!?」
「速すぎ……!」
クロウは剣を構えたまま、低く言い放つ。
「次は警告では済まない」
森の空気が震える。
木々の葉がざわざわと揺れ、まるでクロウの怒りに反応しているようだった。
エルダが地面から起き上がり、ひよりの前に立つ。
「ひよりちゃんは渡さない!」
「俺らの大事な人だ!」
「プレイヤーだからって偉そうにすんな!」
NPCたちが次々と集まり、ひよりを囲むように立った。
その目は真剣で、いつもの明るさとは違う“覚悟”が宿っていた。
プレイヤーたちは舌打ちし、後ずさる。
「……チッ。クロウがいるなら無理だな」
「大会で潰してやるよ」
捨て台詞を残し、森の奥へ消えていった。
静寂が戻る。
風が木々を揺らし、焚き火の残り火がぱちぱちと音を立てる。
ひよりは震える声で言った。
「クロウさん……ありがとう……」
クロウは剣を収め、ひよりから視線をそらした。
「……礼はいい」
だがその声は、いつもより少しだけ優しかった。
ひよりの膝ががくりと折れた。
緊張が解け、身体が震える。
「ひより!」
エルダが支えようとするが、クロウが先に動いた。
「……立てるか」
クロウの手は温かく、力強かった。
「ご、ごめんなさい……私のせいで……」
「違う」
クロウは短く言った。
「悪いのは……あいつらだ」
ひよりの目から涙がこぼれた。
クロウはその涙を見て、胸の奥が痛むのを感じた。
(……こんな気持ち、初めてだ)
クロウは静かに言った。
「……大会はまだ終わっていない。
だが……ひよりを一人にはしない」
「え……」
「エルダ。ひよりを守れ」
「もちろん!」
クロウはひよりに向き直り、低く、しかしはっきりと言った。
「……必ず戻る。だから……待っていろ」
その言葉は、まるで誓いのようだった。
ひよりの胸が熱くなる。
クロウは闘技場へ向かって歩き出す。
その背中は、孤高で、鋭く、しかしどこか優しかった。
森の風が、彼のコートを揺らした。




