第4章 拠点の灯りと、静かな手
翌朝、ひよりはいつもより少しだけ軽い足取りで会社へ向かった。
電車の揺れも、昨日よりは心に刺さらない。
(……昨日、エルダくんたちと話したの楽しかったな)
森の匂い、木漏れ日、スープの香り。
それらが、ひよりの胸の奥をそっと温めていた。
会社に着くと、千夏がすぐに声をかけてきた。
「ひより、今日も顔色いいじゃん。なんか最近、楽しそう」
「そうかな……?」
「うん。なんか……前より柔らかい感じ。ゲーム、そんなに癒されるの?」
ひよりは少し照れながら笑った。
「うん……森がすごく綺麗で、NPCの子たちが明るくて……
料理してると、なんか落ち着くんだ」
「料理!? ゲームで!?」
「うん。昨日はスープと焼きキノコ作ったの。
バターがじゅわって溶けて……すごくいい匂いで……」
千夏は目を輝かせた。
「ひよりがそんなに楽しそうに話すの、久しぶりに見たよ」
その言葉が、ひよりの胸にじんわり染みた。
***
仕事を終えて帰宅すると、ひよりは自然とスマホを手に取っていた。
ログインボタンを押すと、白い光が視界を包み、次の瞬間、森の匂いがふわりと広がった。
「……ただいま」
ひよりの声に反応するように、NPCたちが一斉に駆け寄ってくる。
「ひよりちゃーん! 今日も来たね!」
「お疲れー! 今日は何作るの?」
「素材なら任せて! 危ないとこ行ってくる!」
「行かないで!?」
ひよりは笑いながら、今日の料理を考えた。
「今日は……
・森の香りスープ
・ハーブバターの焼きキノコ
・ベリーの甘煮
・野菜のポトフ
・ハーブパンのトースト
この中から……スープとパンにしようかな」
エルダが目を輝かせる。
「パン焼くの!? 絶対うまいやつ!」
ひよりはパン生地をこね、焚き火のそばで焼き始めた。
バターがじゅわっと溶け、香ばしい匂いが森に広がる。
スープは黄金色に輝き、ハーブの香りがふわりと立ち上る。
「……いい匂い」
ひよりがつぶやくと、エルダは鼻をひくひくさせながら鍋とパンを交互に覗き込んでいた。
***
そのとき、低く静かな声が森に響いた。
「……また騒がしいな」
木陰から現れたのは、黒いコートをまとい、長い前髪で顔を隠した男——クロウ。
昨日よりも少しだけ、その視線が柔らかい気がした。
「今日も来ていたか」
「え、あ……はい」
クロウはひよりの周りを見渡し、眉をひそめた。
「……この拠点、ひどいな」
「えっ」
ひよりが見回すと、確かにボロボロだった。
苔むした岩は崩れかけ、調理台はガタガタ、焚き火の石は欠け、屋根代わりの枝は折れている。
エルダが笑う。
「まぁ、森の奥だしね〜。俺らは気にしないけど!」
クロウはため息をついた。
「……気にしろ。こんな場所で料理していたら、いつか怪我をする」
そう言うとクロウは無言で歩き出し、崩れかけた岩をどけ、調理台の脚を直し、焚き火の石を組み直し始めた。
「ちょ、ちょっと!? クロウさん、何してるんですか!?」
「見れば分かるだろ。整備だ」
「え、でも……」
「危険だからな」
その声は冷たい。
けれど、どこか優しさが滲んでいた。
エルダがにやにやしながら言う。
「クロウ殿、優しい〜!」
「黙れ」
クロウは淡々と作業を続け、
調理台は安定し、焚き火は安全に組まれ、枝の屋根はしっかり固定され、足元の石は平らに整えられた。
ひよりはぽかんと口を開けた。
「……すごい」
「これくらい、誰でもできる」
「いや、できないよ!?」
クロウは視線をそらし、小さくつぶやいた。
「……危なっかしい初心者を放置するのは、気分が悪いだけだ」
ひよりの胸が少し温かくなる。
***
エルダが思い出したように言う。
「そうだ! クロウ殿、例の大会のこと話した?」
ひよりが首をかしげると、エルダは嬉しそうに説明した。
「年に一度の大イベント! プレイヤー1位を決めるPvP大会だよ!」
「PvP……って、プレイヤー同士で戦うやつ?」
「そうそう! クロウ殿は毎年上位常連なんだよ!」
クロウは淡々と言う。
「……別に興味はない。ただ、参加しないと面倒なだけだ」
エルダは笑う。
「でもさ、今年は特別なんだよね。NPCの覚醒が条件の“隠しルール”が追加されててさ」
ひよりは目を丸くする。
「隠し……?」
「ひよりちゃんの料理が、その条件を満たしてるんだよ」
クロウは静かに言った。
「……あんたの料理は、プレイヤーの能力を底上げする。それも、“その瞬間に必要な効果”をだ」
「そんな……」
「だから危険なんだ」
クロウの声は冷たい。
だが、その奥に別の感情が揺れていた。
(……この初心者が、大会の鍵になる可能性がある?)
(……いや、それだけじゃない)
クロウはひよりとエルダが笑い合う姿を見て、胸の奥がざわつくのを感じた。
(……なんだ、この感情は)
それはまだ、“嫉妬”と呼ぶには小さすぎる揺れだった。
だが確かに、クロウの心は動き始めていた。




