閑話【マクレガーの手記】第八章『龍は神か災厄か』より
《神無き時代の龍》
著:神秘の探究者 ヘリオス・マクレガー
龍。それは、創造神アマリエルの御手により創造されたとされている。
──だが、私は近頃、いくつかの断片的な碑文に触れた。
そこにはこう記されている。
「神々が降り立つ以前、その遥か昔から、
煌龍ラミュゼールと幽哭龍バラギルダ、
二柱の龍が空と地を治めていた」と。
実に興味深い話ではないか。
アマリエルが龍を造ったという定説を根底から揺るがす記述だ。
……だが私は否定するどころか、むしろ心を昂ぶらせている。
なぜなら、もしこれが真実であるならば、彼らこそ“模範”として、後のすべての龍が生み出されたに違いないからだ。
さて、彼らの伝承について、現在知られている事を深掘りしていこう。
ラミュゼールは「空を駆ける輝き」と呼ばれ、太陽の煌めきを背に纏い、時に希望そのものとして人々に記憶されている。
対してバラギルダは「地の底に哭く影」として恐れられ、深き谷や洞窟で響く呻き声は、彼の残響だと信じられてきた。
相反する二柱は、意外にもその仲が良好であったらしい。
碑文の一節には「天と地、光と影、二つにして一つ」とも記されており、互いに神格を持ちながら、その立場や力、思想を共有していたと伝わる。
光がなければ影は生まれず、影がなければ光は映えない。彼らの関係は、まさしくそれを体現していたのだろう。
──しかし、彼らの強大な力は、ただそこに在るだけで大地や天を揺るがし、多大なる影響を与えてしまう。
そのため、彼らは常に“何らかの制限”を科されていると伝えられている。
別の例を挙げるならば、溶神グラーヴァもその類であろう。かの者は、
"龍"と言うには余りに神々しく
"神"というには余りに俗物であった
その実力は未だ計り知れず、かつては眠りを妨げられた腹いせに、一つの大国をものの数秒で滅ぼしたとも語られる。
だが、皮肉なことに、その身には煌龍や幽哭龍よりも遥かに重く…強い制限が科されているとも記されているのだ。
そして彼ら龍は、人に勝るとも劣らぬ知性を兼ね備えているという。
ある説によれば──彼らにとって不慣れであるはずの“人の言葉”すら、耳にした瞬間から即座に理解し、発することが出来たという。
……実に恐ろしい話だ。
もしも人の世に深く介入することを彼らが選んでいたのなら、この歴史は今とまるで違ったものになっていたのかもしれない。
介入と言えば──煌龍ラミュゼールは、ただ一度だけ、人の世に歩み寄ったと伝えられている。
それが崇高なる思想の産物であったのか、それとも気まぐれに過ぎなかったのか……真実は今なお定かではない。
ただ確かなのは、その時、彼は一人の少女を背に乗せた、ということだ。
やがて、龍と人のあいだに娘が生まれたとも語られているが……その真実を知るのは、当人たちだけだろう。
だが、その出来事は意図せぬまま、各国…いや、大陸全土を揺るがす波紋を呼んだ。
もとより狂信的に崇める者もいたラミュゼールは、人の世の情事に巻き込まれかける。
それを避けるためか、彼は自らの鱗を数十枚剥ぎ取り、それを加工し、小さな硬貨へと変えた。
後に『煌貨』と呼ばれるそれは、数多の国において権威の象徴とされ、やがて貨幣制度の源流ともなったのである。
一方、幽哭龍バラギルダは──ただの一度たりとも、自らの棲家を出たことが無いという。
煌龍ラミュゼールが時に人の世へ痕跡を残したのに対し、彼はあまりに異質であり、残された記録も極端に少ない。まるで“霊”そのもののような存在だ。
その彼が座す霊峰メル=ザナスに辿り着いた者は、私の知る中ではまだ一人もいない。
それが地の危険ゆえなのか、あるいは彼自身の特性によるものなのか。
唯一残っている物は、誰もが口を揃えて語る「視認できなかった」という証言だけである。
だが、もし再び彼らが現れる時代が来るならば……その時こそ、龍は神として讃えられるのか、災厄として恐れられるのか。




