6話「衝撃の事実。彼の正体は……」
私は彼の手を引き旧校舎まで走り、使われていない教室に飛び込んだ。
「ここまでくれば一安心ね」
扉を閉め、ふーーと息を吐く。
「人気のない密室に連れ込まれるとは思わなかった」
彼はそう言ってにたりと笑う。
私は彼からぱっと手を離し、距離を取った。
緊急事態だったとはいえ、男の子の手を引いて密室に連れ込んでしまった。
嫁入り前の娘のすることではない。
仕方なかったのだ。
彼は私の命の恩人で、どうしても助けたかった。
モンスターを倒したヒーローだけど、彼には素性を明かせない理由がありそうだった。
ほとぼりが冷めるまで身を隠すしかなかったのだ。
「からかわないでください」
「ごめんね、リアが可愛かったから」
頬を赤らめる私を見て、彼がクスクスと笑う。
「それはそうと、命を助けてくれてありがとうございます。
あなたがいなかったらどうなっていたか……」
考えただけで恐ろしい。
彼の正体はわからない。
だけど私の命の恩人なのは間違いない。
きちんとお礼をしなければ私の気が済まないのだ。
「律儀だね。そういうところリア先生らしいや」
ん……? 「リア先生」彼は確かにそう呼んだ。私は彼に物を教えたことはないけど……。「先生」とは?
「そうだ、忘れる前に渡しておくね。
これ俺の話を信じて食堂に行った生徒に渡しておいて。
特上ステーキとデザート代と、一番になった生徒への褒美に金貨三枚と、二番から五番になった生徒への銀貨五枚ね」
彼は懐から財布を取り出し、私の手に握らせた。
「あなたが直接渡した方が……」
「それが、できなくなるから君に頼んでるんだ」
モンスターと戦闘してボロボロになった制服では、食堂に行きにくいのかもしれない。
彼は帯剣しているし、モンスターを倒した経緯も聞かれるだろう。
彼がのこのこ食堂に行って、身分を偽っていることがバレたら大変だ。
「わかりました。このお金は責任を持って私が預かります」
「ありがとう。リア先生になら安心して預けられるよ」
彼はそう言ってニカッと笑う。
また私のことを「先生」と呼んだ。
「あなたは、なぜ私の事を『先生』と呼ぶの?」
彼は寂しげな表情で、目を細め愛おしそうに私を見つめた。
そんな顔をしないで。そんな風に見つめられると心臓がドキドキしてしまう。
「それを説明する前に俺の正体を明かすね。
リアは俺の正体を知りたがっていたから」
彼の正体がわかる。
ドキンと心臓が音を立てる。
彼の正体を知りたい。でも知るのが少し怖い。
「俺の名前はエルフォード。
エルフォード・ルシディアだよ」
エルフォードという名前には聞き覚えがある。それにルシディアって……。
「確かフィンセス先輩の甥御さんの名前が『エルフォード』だったわ。
でも彼はまだ……」
「そう、この世界の俺はまだ七歳のガキンチョだ」
彼は眉を下げ寂しげな表情でこちらを見ていた。
「俺は十年後の未来からタイムスリップしてきたんだよ。
リア先生を救うためにね」
彼は私の顔を真っ直ぐ見据え、真剣な表情でそう告げた。
彼が嘘をついているようには見えなかった。
彼が未来人なら、彼の今までの行動にも説明がつく。
魔術師団のインターンへの応募のことも、プリンのことも、試験のことも、今日のモンスターの襲撃のことも……。
彼は事前に知っていた。だから的確な対応ができたのだ。
「私は、あなたが私の未来の恋……友人か何かで、タイムループしてきたのだと思っていたわ」
「さすがリア先生、良い推理だと思うよ。
でも残念、俺はタイムリープじゃなくてタイムスリップしてきたんだ」
タイムリープは記憶を持ったまま魂が過去の肉体に戻ること。
タイムスリップ体ごと過去へ移動すること。
この世界には今、二人のエルフォード・ルシディアが存在しているのね。
一人はタイムスリップしてきたエルフォード君、もう一人はこの世界に元から存在してる七歳のエルフォード君。
「リア先生は俺の家庭教師の先生だったんだ」
公爵家の家庭教師なら悪くない就職先だ。
でもその職業に就いたということは、未来の私は魔術師団には入れなかったのね。
「未来の私はあなたのことをなんて読んでいたの?」
私も未来の自分と同じ呼び方をしたい。
「エルとかエル君とかかな」
「先生とはいえ、公爵令息に対してずいぶんフランクな呼び方ね」
教え子とは言え相手が公爵家の子息(多分跡取り)を愛称で君付けで呼ぶなんて、未来の私はエル君ととても親しかったのね。
未来の自分に嫉妬してしまう。
「俺が先生にそう呼ぶように頼んだんだ。
リア先生の事が大好きだったから少しでも距離を縮めたくてね」
彼は頬を紅潮させ、はにかみながら呟いた。
その表情は、未来の私を師として尊敬しているというよりはまるで……。
「九歳のときリア先生にプロポーズしたんだ」
「プロポーズ……!」
九歳でプロポーズするなんて、エル君はおませなお子様だったのね。
「断られてしまったけどね」
エル君はその時のことを思い出しているのか、悲しそうに眉根を下げた。
「未来の私はエル君に過去の愚痴を言ってたのね。
だからあなたは、過去を変えるためにタイムスリップしたんでしょう?」
教え子に迷惑をかけるなんて未来の私ダメダメね。
「リア先生は俺に愚痴なんか言わなかったよ。
それに、リア先生は俺がタイムスリップしたことも知らない」
「どういうこと?」
彼が過去に来たのは未来の私に頼まれたからじゃないの?
「俺が十一歳のとき、先生は亡くなったんだ」
「そんな……」
この世界のエル君の年齢は七歳だ。ということは私とエル君の年の差は十歳。
未来の私は彼が十一歳のときに死んだ。ということは私の享年は二十一歳なのね……。
あと、四年しかない。
心の中に不安と恐怖が広がる。
「そんな顔しないで、俺が過去を変えたから先生はその歳では死なないよ」
彼は穏やかな表情で、私を安心させるようにそう呟いた。
彼の言葉を聞いて少し安心した。
エル君が未来から来たことで、本来私が辿るべき道筋が変わってきているということなのだろう。
「聞いてもいい? 未来の私の死因ってなんだったの?」
「ヴィノムスパイトの毒」
「それってさっきエル君が倒したモンスター?」
「そう、あのモンスターの毒はしつこくてね。
四年かけて先生の体を蝕んでいったんだ」
エル君が苦し気な表情でそう漏らした。
本来の歴史では、私はあの蛇の魔物に襲われて怪我をしたのだろう。そして毒に犯された。
「相当苦しかったはずなのに、先生は表情や態度に出さなかった。
だから死ぬ寸前に、先生が倒れるまで誰も異変に気付かなかったんだ」
エル君が眉間に皺を寄せ辛そうに呟く。。
未来の私は、周りに迷惑をかけないように不調を隠したのだろう。
でも、それがかえってエル君の心に深い傷を残してしまった。
「先生の死後、先生の部屋から日記が出てきたんだ。
日記には先生の後悔が綴られていた。
魔術師団のインターンに申し込めなかったこと、
パティシエールのヨゼさんの作った最後のプリンが食べられなかったこと、
クラスメイトの勉強会に参加できなかったこと、
風邪を引いて試験で満足の行く結果を残せなくて、Cクラスに落ちたこと……」
そう……それが本来の歴史なのね。
「中庭でヴィノムスパイトに襲われて一命は取り留めたけど、杖なしでは歩けなくなったこと。
そのせいで魔術師団の試験を受けられなかったこと……」
魔術師団の試験は座学だけでなく、実技もある。満足に歩けない体で試験を受けられるほど甘くはない。
本来の歴史では、私はモンスターに襲われ足を怪我して後遺症が残ったのね。
だからあのときエル君は、私を必死で逃がそうとしてたのね。
「待って! ヴィノムスパイトには毒があるのよね?
エル君はあいつに噛まれてたけど大丈夫なの!?」
ポーションで傷口を塞いだあと、聖水で身を清めていた。
でも毒の治療はしてない!
彼は大丈夫なの?
「心配ないよ。
リア先生が亡くなった数年後、ヴィノムスパイトの毒を完全に解毒するポーションが開発されたから」
エル君が明るい声で言った。エル君が私の顔を見て微笑む。
「そう、それならよかった」
ホッと胸を撫で下ろした。
私のせいでエル君が毒で死ぬなんて嫌だ。
私が安堵の表情を浮かべたのを見て、彼は穏やかに笑っていた。
「悔しかったんだ。
あと数年、先生が生きていたら解毒剤が完成して、先生は死なずに済んだ。
そう考えると苦しくて、夜も眠れなくて……!」
エル君は眉根を寄せ、苦しげに漏らした。
「だから時の精霊と契約してタイムスリップしてきたんだ。
先生の未来を変える為に。
先生が机の引き出しの箱の中にしまいこんでいた書きかけの小説の続きも読みたかったしね」
小説と言われてカバンの中に入っている紙の束を思い出した。
「エル君、私小説の続きを書いたよ!
君に読んでもらいたくて……」
私は書いた小説の束を取り出し、エル君に手渡した。
「リア先生が俺の為に小説を書いてくれたんだ。
すごく嬉しい!!」
エル君が満面の笑みを浮かべる。
「でも残念だな。読んでる時間がないや」
エル君の体が光に包まれていていた。
目の前の光景が理解できず、私はヒュッと息を呑む。
「時の精霊との契約なんだ。
正体を知られたら元の時間に帰らないといけない」
「そんな……」
せっかく仲良く慣れたのに。
「この小説は、この時代の俺に読ませてよ」
エル君が私の手に紙の束を戻した。
「無理言わないでよ!
公爵家の嫡男にそう簡単に接触できるわけないでしょう!」
相手は七歳の少年。お茶会やパーティーで接触する機会すらないわ。下手に関わろうと近づいたら変質者扱いされてしまう!
「先生がこの小説を出版したらこの世界の俺は必ず読むよ。
そして本の虜になる」
「私に小説家になれってこと?」
彼は静かに首を横に振った。
「リア先生は夢だった魔術師団のテストを受けて、魔術師団に入ってよ。
魔術師団の仕事が落ち着いたら、小説はその片手間に書いてくれたらいいから。
魔術師団員と小説家、リア先生なら両方の夢を叶えられるよ」
エル君はそう言ってふわりと微笑んだ。
「無茶振りが過ぎるよ!
私はそんな凄い人間じゃないよ!」
「自信を持ってリア!
リアは俺の最高の家庭教師の先生だったよ!」
彼はそう言って歯を見せて笑った。
彼の全身は眩い光に覆われていた。
もう時間がない! 彼が元の世界に帰ってしまう!
私は小説を彼に押し付け、彼の手にしっかりと握らせた。
「リア先生……?」
「未来で読んで!」
「でもそれだとこの世界に先生の書いた小説が無くなってしまうよ……?」
勉強会のとき、彼はタイムスリップについて並行世界分岐説を推していた。
彼は知っているんだ。
私がいる世界と、彼のいる世界が繋がっていないことを。
過去を変えても、彼が戻った世界に私はいない。
彼が過去を変えたことで、私が生きている並行世界が生まれただけだから。
それでも彼は私を助けに来てくれた。
この世界の私が夢を叶えられるように、幸せになれるように、長生きできるように、手を貸してくれた。
彼に恩返しがしたい!
「小説はまた書くわ!
心配しないで!
プロットは残っているし、ストーリーもしっかり頭の中に残っているから!
あなたが持ち帰ったものより、クオリティの高いものを書き上げてみせるわ!」
プロットがあっても前と全く同じ物を書くのは不可能だ。
それなら以前より質の高いものを作るしかない。
「出版社に持ち込んで絶対本にする!
公爵家嫡男が夢中になるほどのベストセラーにしてやるんだから!」
「うん、リア先生ならできるよ」
彼がにっこりと微笑むと、彼は光の粒子となって消えていった。
私が伸ばした手は中をきるだけだった。
「行っちゃった……。
嵐のような人だっわ……」
彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。
仔犬のように無邪気に振る舞い、よく笑う人だった。
ポタポタと床に水滴が落ちる。
足に力が入らず、その場に膝をつく。
好きだった。
たった数日一緒に過ごしただけだけど、彼の事が好きだったんだ……!
初恋の人は未来に帰ってしまった。もう二度と会うことはない。
その事実が胸を締め付ける。
◇◇◇◇◇
どのくらい泣いていたかわからない。
ふと窓の外を見ると、茜色の空が広がっていた。
泣いてる暇なんかない。
魔術師団の試験は難関だし、ベストセラーになるような小説を書くことだって大変なんだから。
まずは、家に帰って記憶が薄れる前に小説を書き上げてしまおう。
私は涙を拭って立ち上がった。
エル君の恩に報いる為にも、彼が作ってくれたチャンスを活かし生かさないと。
別の世界で生きている彼に笑われてしまうわ!
「小説を書き上げる!
それから魔術師団に入る為にいっぱい勉強をする!
友達も作って学園生活も謳歌する!」
日記に後悔を綴って生きていくなんて嫌だから!
未来の自分が誇れるように今を生きよう!